naokichiオムニバス

66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

昔はなかったもの~パソコン<8:プライベートでのパソコン使用>

「自宅にパソコンを置く」ということのインパクト!

自分の人生においては、パソコンに出会ったのが会社だった(ある世代から上の人は皆そうだろう)、ということで、会社におけるパソコンとのかかわりについて、出会いの1984年から2000年代に至る経緯を、前の記事までに書いてきた。

ここで、時代をさかのぼることになるが、「プライベートでのパソコン使用」に話を移す。

今では、どこの家庭にもパソコンは当たり前のようにあるが、そもそも人生の途中までパソコンというものがなかった私の場合、「もっぱら会社で仕事のために使うものだったパソコンを、私用のために自費で購入して自宅に置く」というのは、本当に大事件というかエポックメーキングな出来事だったのだ。

会社では、1984年から使い始めたパソコン。
個人でパソコンを買って、家でも使いたい、と思ったのは、7年後の1991年のことだった。

「パソコンを買ってもいいか」と妻に相談した。切り出すのに結構勇気が要った。

今ふりかえっても、当時、自宅にパソコンを持つというのは、決して当たり前のことではなかったと思うし、決断が必要だった。

テレビをもう1台買おうか、とか、トイレに洗浄便座をつけようか、とかいうよりは大ごとだったという記憶がある。

まして、妻は当時パソコンを使ったことがなかったし。

でも、OKが出た。

で、秋葉原の電気街に買いに行った。キーボードが打ちやすいものがいいな、と思って、店頭であれこれ試し、エプソンのノートパソコンを選んだ。MS-DOSのマシンだ。

パソコン本体だけを買った。12万円くらいしたんだっただろうか。
プリンタは買わなかった。もっぱら入力用として使った。

当時、私用でのパソコンの使用目的がそうたくさんあったわけではなかったが、日記を打ったり、買ったレコード(CD)の一覧を作ったりしていたと思う。

とにかく、値段そのものとは別の意味で「大きな買物」だったという記憶がある。

「パソコンで通信をする」ということのインパクト!

1996年に、2台目のパソコンを買った。労働組合で仕事をしていた時期だ。

会社では、年1回、自己啓発のための通信教育を、外部の教育機関と連携して行っている。

その一環に、パソコン講座があった。

この年に案内されたパソコン講座は、Excelなどのアプリケーション・ソフトの使い方を教えるものだったが、オプションとして富士通のWindowsパソコンが店頭より廉価でついてくる、とされていた。

Windowsマシンが安く買えるなら、と、申し込んだ。組合の同僚も、家にパソコンがほしいと思っていたらしく、一緒に申し込んだ。

デスクトップ型のパソコンが届いた。

このパソコンを使って、インターネットと電子メールを始めたことが、家にパソコンを導入したことに続く、2つ目の大事件だった。

初めてのことなので、家の固定電話のプッシュ回線を流用したダイヤルアップ接続。

確か、プロバイダは、パソコンに付属していたInfowebを使い、メールについては、まだパソコン通信の時代だった、ニフティサーブにした。

この時期、会社でも、まだインターネットや電子メールは使っていなかったので、私の人生において、通信にパソコンを使ったのは、自宅が初めてのことだった。

このインパクトは、今でも忘れられない。

何と言うのか、「世界が広がった」とでも形容すべき、不思議な感覚にとらわれた。

それまで、自分の家でさわるパソコンは、プリンタにさえつながっていない、本体限りのスタンドアロン
必要な入力をするだけの機械だった。

それが、1本の電話線を通じて、「外の世界」とつながった、という感覚。

当時は、メールをやりとりするような相手は、まだほとんどいなかったはずだ。オケ仲間の何人か程度だったと思う。

それでも、手元のパソコンが、メールやインターネットを通じて、世間と、社会と、世界とつながっているという実感。

家の玄関や窓を開放した、というような感覚を持った。

やがて、会社でもメールやネットは普通になったし、今では当たり前すぎて、何の感慨も起きないことではあるが、この時は本当に感激したものだ。

母がパソコン

この時期、実家の母がパソコンを買いたいと言い始めていた。

正直、昭和1ケタ生まれ、仕事をしたこともない専業主婦一筋の母が、60代も後半になって、パソコンなんか買って、一体どうするんだ、と思ったものだ。
同居しているわけではないから、教えに行くのも面倒だし。

何に使うつもりなのかがはっきりしないと、買っても無駄な買物になるよ、などと消極論ばかりを話した。

しかし、昔から結構新しい物好きの母は、なかなかあきらめない。
その内、父からも電話があり、やらせてやりたいと思うが、と言う。

仕方なく、私が使っていたのと同系統のデスクトップを勧め、とうとう実家にパソコンが置かれることになった。

その頃、パソコンもさまざまなソフトがプレインストールされ、多機能化していたので、母は、「これは安い買物だった」ととても喜んでいたものだ。

その後、母は、昔からの日記をテキストデータの形で入力保存することを中心に、熱心にパソコンをいじるようになった。

しばらくした後、ocnとプロバイダ契約も結んで、ネットもメールも始めた。

その都度、私がサポートする必要はあったが、自分でも試行錯誤しながら習得していったようだ。

何年か経った正月に帰省したら、買い換えた2台目のパソコンがあって、びっくりしたことがある。セッティングなどは私がやってやったのだが。

また、新しい物好きの本領発揮で、デジカメやスキャナを買ったのも私より早く、このあたりはまったく独学で、父との旅行の写真をパソコン上で整理したり、あれこれやっていた。

このブログも日頃読んでいて、コメントは書き込まなかったものの、何か気がついたことがあればメールをよこしたし、亡くなる直前の母と直接会って交わした最後の会話は、私の記事の内容への小言だった。

2年半前、そんな母が倒れて亡くなったのは、パソコンのある自室でのことだった。本望だっただろう。そう思う。

主のいなくなったパソコンは、今では電源が入ることもほとんどない。ocnも、昨年末に契約解除した。

そしてブログ、SNS

私自身の話に戻ると、パソコンは、その後、2回買い換えている。

今使っているパソコンは、Vistaだが、そろそろ丸5年になる。

やはり、家ではネットとメールが中心になる。初めてパソコンでの通信の感激を味わった16年前から今日まで、ネット文化の充実、メールの普及はめざましいものがあるので、家でもパソコンは欠かせない。

オケ関係の連絡事項一つとっても、今やメールなしにはとても考えられない。
昔は、エキストラさんへの連絡をハガキで行ったりしていたものだが。

そして、パソコンの個人使用という点での近年の大きな出来事としては、やはりこのブログ、そしてSNSだ。

インターネットというものができて、まずは、当時在籍していた、労働組合のWebサイトをいずれは作らないといけないだろうか、と思ったことがある。
これは、自分の在籍中にはそれができる才覚のある者もおらず、結局数年後に後輩が開設した。

次に、浦安オケのサイトができた。これも、スキルを持った団員が開設してくれて、今日に至る。もう10年以上になる。

ネットの普及で、どんな企業や団体などでも、Webサイトくらい持ってるでしょ、という世の中になった。

そんな流れの中で、個人でサイトを持つ、という発想も出てきた。本格的なサイトを構築するのは、私の知識では今もって難しいが、幸いにも、ブログ、という形で簡易に情報発信ができるようになった。

2005年10月、試しにやってみるか、と開設して、既に6年半。自分の生活の中でも大きなものになっている。

そして、その翌年からmixiを始めた。これも人とのつながりという点で、生活に楽しさを加えてくれている。

ブログとmixiで手一杯なので、今のところFacebookにはまだ手を出していないが、いずれは首を突っ込むだろうか。

今回の「昔はなかったもの」、パソコンを題材に書いてきたが、最後にふれた、ネットやメール。
これ自体、昔はとても考えられなかった、という意味では、単独の題材になりうるものだと思う。

第一、ブログをやっていなかったら、今回のこの一連の文章、自分の手元だけのために書くことがあっただろうか、と思う。

ただ、ネットやメールの功罪、についてはよく言われるところだ。わきまえつつ、生活の楽しみを享受していきたい。

50代も半ばを過ぎたこれからの人生で、パソコンやネットのような、何か劇的な変革に、また出会う機会があるだろうか。