今日の「らららクラシック」は、モーツァルトがテーマ。
今、「ジュピター」のフィナーレをやっていた。
で、思ったんだけど・・・。
(あ、その前に、「ジュピター」、シベ7、偶然いずれもハ長調ですが、それぞれの作曲家の到達点、奇跡の音楽として、私はもう宝物みたいに思ってます。神品です)
このフィナーレ、コーダに入ってから、例のものすごいフーガが始まるんだけど、そこから曲の集結に持っていくやり方って、ちょっと強引かも。
長年、何度も何度も聴いてきたこの曲であり、それから上記の通り、個人的にはもう奇跡の音楽だと思ってるんだけど、今日はこのテレビ観てて、いつになくそう思ったな。
さしもの大天才、モーツァルトにして、あのフーガを展開し始めたら、収拾がつかなくなっちゃったんじゃないんだろうか。
突然Fの和音に収斂させて集結に持っていく、あの場面。
何と言うのかな、「宴もたけなわではございますが」と、三本締めに持っていく感じ?
「まあ、それぞれに言い分はあるだろうけど、ここはもうこれで」みたいな。
ある声部からすると、突然断ち切られた、あるいはねじ曲げられた、そんな感じじゃないかなあ。
すんごい傑作であることはゆるがないけど、何か、モーツァルトが最後の最後、無茶してるって感じもあるな。
今日のテレビ映像を観ていて、そんなことを思った。
もしかして、モーツァルト、もう少し時間があったら、書き直したかったかも?
そんなことはないか。