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SMAPの解散

明日、12月31日(土)をもって、SMAPが解散する。

もっとも、紅白歌合戦には結局出ないので、26日(月)放映の「SMAP×SMAP」最終回をもって、実質的な解散ということになるだろうか(これもメンバーの生出演はなかったが)。

私の人生においては、1977年のグレープと、1989年のオフコースが、いわば「二大解散」で、それぞれ、その当時は嘆き悲しんだものだ。

SMAPの場合、そこまでの感情はないものの、やはり、長くトップランナーとして見聞きしてきただけに、もちろんさみしさはある。

SMAPは、1988年の結成、1991年がCDデビューということだが、私の視野に入ってきたのは、割合遅い。

「夢がMORI MORI」でだったと記憶する。おそらく1993年頃のことだと思う。スーパーキックベースの森且行

シングル曲も、「$10」あたりから知った気がする。

その後の、ドラマやバラエティでの活躍は、ずっと見てきた。

ロンバケ」は、一所懸命観たなあ。「GOOD LUCK!!」もよかった。

また、よく言われることだが、アイドルがバラエティ番組でコントをする、というのも、SMAPが開拓した領域だ。

アーティストとしてのSMAPのライブにも、もうずいぶん前だが、一度妻と行った。東京ドームだったと思う。

小田(和正)さんとのからみも、記憶に残っている。

小田さんが、「BISTRO SMAP」に出るなんて、信じられなかったよなあ。確かあの時、「夜空ノムコウ」を、小田さんとSMAPが一緒に歌ったが、その際に、小田さんが、「この曲は、君たちが思っているよりも、ずっといい曲だと思うよ」と言っていたのを憶えている。

クリスマスの約束」に中居(正広)君が出たのも、印象深い。この時も「夜空ノムコウ」だった。

菅(義偉)官房長官までもがコメントを述べたのには驚いたが、それだけ、今回の解散が、広く惜しまれているということを物語っていることかと思う。

SMAPというユニットが、格別熱心なファンとは言えない人も含めて、日本の国民に親しまれたのは何故なんだろう、と思う。

四半世紀の活動を重ねる中で、(森且行は抜けたものの)この5人のメンバーの組み合わせでなければならない、という不動の存在感みたいなものができてきたからではないだろうか。

5人のメンバーのそれぞれが持つ個性。ユニットの中におけるそれぞれのポジションみたいなもの。

お互いの連絡先を知らないとか、楽屋ではあまり話さない、などのエピソードも伝えられてきた。真偽はわからないが、それでも、主としてテレビの画面を通じて観る、SMAPの5人は、仲の良い、良い仲間だと感じられた。

(「古畑任三郎」に、SMAPが犯人役で出たことがある(つい先日再放送されていた)。もちろんフィクションの世界でありながら、他の番組を通じて知っている、5人のキャラクターそのままに、彼らが犯人を演じているのが、実に見ものの一編だ。いかにも木村拓哉が言いそうなせりふ、いかにも草彅剛らしい役柄、など、三谷幸喜氏に、そのように脚本を書かせるところに、いかに「ユニットとしての存在感」を持っている人たちなんだろうか、と思わされる)

国民に広く親しまれたのは、そうした部分ではないだろうか。

正直、歌に関しては、嵐の方が上手いと思うし、その嵐やTOKIOだって、良い仲間を感じさせる組み合わせだと思うが、総合的には、やはりSMAPがナンバーワンではないかと思う。

以下が、この記事の主旨になるが、今回の解散が、惜しまれるという以上に、さみしさ、さらに悲しみを、これも広く国民にもたらしているのは、そんな彼らが、「仲違いしての解散」をすることが、あからさまだからだと思う。

報じられていることが真実であるかどうかは、わからない。

しかし、解散コンサートもなければ、記念曲のリリースもなく、NHKからの懇願にも拘わらず、解散当日の紅白歌合戦への出場もない。紅白のオファー断りのコメントに、「「SMAP×SMAP」の最終回を、自分たちのラストステージにしたい」と述べながら、その最終回に、顔を揃えて生出演することもなかった。

これは、やはりメンバー5人の間に、埋めがたい何かしらの齟齬があるからと受け取らざるを得ない。

(小田さんは、今になってのコメントで、オフコースの末期は、バンドメンバーの間がぎくしゃくしていたとの実情を隠していないが、それでも、当時はラストツアーを完遂した上で、東京ドームでの解散公演を行っている)

今年初めに、解散報道がなされた時から、私は、明確に解散とか言わなくてもいいじゃないか、と思っていた。

SMAPの場合、既に、色々な番組で、バラ売りのソロ出演は、長いことしているわけで、むしろ5人が揃うのが、「SMAP×SMAP」だけなのであれば、番組を終わらせて、ライブ活動も当面休止する、「活動休止」を宣言すれば、実質的な解散はできるのではないか、と。

私の頭にあったのは、ハナ肇クレイジーキャッツと、ザ・ドリフターズだ。彼らはいずれも、明確に解散しなかった。

前記の、コントもやるアイドルの先駆として、SMAPは、クレイジーキャッツドリフターズのような存在である、と評されたこともあったと記憶する。

メンバーに高齢で逝去する者が出てなお、グループの看板を下ろすことのない、彼ら先達のようなあり方が、SMAPにおいても考えられるのではないか、と私は思ってきた。

今の時点で、小さくない仲違いがあるにせよ、5人揃って活動する場面を実質的になくすことによって、当面の収拾を図るのも一法だろうと思った。

しかし、そうはならなかった。「活動休止」では駄目だ、あるいは嫌だ、との議論があったのだろう。あくまで、「解散したい」、「解散でなければならない」、と。

つまり、5人揃わないのであっても、例えば、今後のソロ活動において、「SMAPの◯◯」と呼ばれることを、誰かが嫌った、とかだろうか。

バンドなどの解散でよく言われる、「発展的な解散」などと言うものは、現実には存在しないそうだ。解散するからには、多かれ少なかれぎくしゃくしたものがあるからだろう。

仲が良くなくても、「仕事として」集まって、必要なパフォーマンスをすることは、大人ならできなければならない。しかし、そうであっても、それができないレベルになったら、解散を選ぶ。そういうものだろう。

今回のSMAPの解散は、それ以上のものが伝わってきてしまっているような気がする。

その真偽は定かでないにせよ、前記の、良い仲間、ユニットとしての存在感に、大きな魅力を感じていた者にとっては、それとのあまりの落差が衝撃なのだ。

中川右介氏が、「SMAP×SMAP」の最終回の後に、Twitterにこう書かれた。

「演技でいいから握手すればいいのに。闇が深い」。

この解散の核心を突いたコメントだと思った。

12月には、その中川右介氏の著書、「SMAPと平成」(朝日新書)の他、「大人のSMAP論」(速水健朗・戸部田誠・みきーる共著、宝島社新書)、「SMAPと平成ニッポン」(太田省一著、光文社新書)が相次いで刊行された。

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順次読んで行きたい。

今は、悲しく残念な結果となっているが、彼らメンバーの人生は、これからまだまだ長い。今後の個々の活躍を願うことはもちろんだが、長い時間の経過の中で、また、いずれ、違った形のコラボレーションが生まれることも、心から期待したいと思う。

(私は、小田さんが、いずれ鈴木(康博)さんと、一度限りでもいいから、何かの形での共演を見せてくれることを、ずっと夢見続けている。そして、これからもずっと夢見続けていく)

※過去の関連記事
    76年4月グレープの解散
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/54390598.html
    89年2月26日・・・オフコース 「The Night with Us」 東京ドーム
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/46518307.html