誰もが予想できなかったであろう、稀勢の里の逆転優勝について一言だけ。
キーワードは「変化」である。
一言、と言いつつ、言いたいのは2つ。
いかに苦しいこの状況にあっても、どうせ散るならば、まともに行ってほしいと思った。
再度の立ち会いは、今度は左に動いた。これにも落胆したが、以後の展開は予想外。差した左を痛みに耐えかねてか抜いたところを寄られながらの突き落とし。
そして決定戦は、照ノ富士にもろ差しになられながら、後退しつつ右からの小手投げが決まった。
逆方向に寄られていたら、左から投げることはできなかっただろうから、九死に一生を得ての逆転優勝となった。
何故、この状況で強行出場するのか、と思っていたが、この結果を出されては、本人の気力を認めざるを得ない。
少なくとも、あの平成13年5月場所の、貴乃花の優勝に匹敵する、長く相撲史に語り継がれる事態であることは間違いない。
併せて、あの時の貴乃花のような、以後の経過にならないことを願う。
誠にご同慶の至りである。
先日ふれたように、取り口、技術面の進歩は認められないながら、これだけのドラマを見せてくれたことについて、今場所の稀勢の里について、言うことはない。
問題は、照ノ富士である。
手負いの相手と二番取って、つまりは「とどめをさせなかった」という相撲だった。二番とも。
このことを、照ノ富士自身、どうとらえるべきか。
このことを、照ノ富士自身、どうとらえるべきか。
私は、前日の琴奨菊戦での変化にあると思う。
それを、敢えて変化相撲で勝ちに行ったこと。
そこに、少なくとも、精神面で全力を尽くさぬ姿勢があったと考えられる。
そして、今日、必死の稀勢の里に対して、二番も取って、二番とも攻めながら逆転を許したこと。
ここには、共通する精神面の姿勢がある。「半端」な姿勢だ。半端に勝とうとしたこと。昨日はそれが当たり、今日は二番ともうまくいかなかった。
昨日、琴奨菊に対して、全力を尽くしたまともな相撲を取っていたら、今日の二番連敗はなかったと思う。
やはり、キーワードは「変化」だ。
照ノ富士には、大いに猛省してほしい。師匠始め、この点を本人に説いてほしいと思う。