今ごろ、3月場所の話で、すみません。
その後、報道で得た情報や、ネット上で見た意見などをもとに、補足(修正)する。
ああいう相撲が取れるのに、何故、変化したのか、と。
ただ、その後の報道では、どうやら琴奨菊戦の時点では、膝に痛みが出ていて、相撲に支障があったと聞く。
さらに、ネット上で見た見解として、照ノ富士は琴奨菊に変化で勝ったことで、大ブーイングを浴びたが、それでは、稀勢の里が、千秋楽の照ノ富士戦で立ち会いに変化したことはどうなのか、というのがあり、これにもなるほど、と思わされた。
あの一番、右に左にと変化した行為については、まったく非難されず、決定戦も含めて2番勝っての逆転優勝が、相撲ファンに感動を与えたとして絶賛されているのは確かだ。
関連して思い出すのは、平成27年(2015年)の9月場所14日目、鶴竜が稀勢の里戦で、やはり不成立の立ち会いも含め、右に左に変わって非難を浴びたことだ(この一番は、たまたま国技館で観戦していた)。結果として鶴竜本人は、「どうしても優勝したかった」とのコメントを残したと記憶する。
そこに、出身国の違いは働いていないか。
公平、不公平、ちょっと考えさせられるところはある。
まあ、とは言え、あの状況で、稀勢の里の立ち会いの変化を批判するべきか、と問われると、うーん、と思ってしまうが。