naokichiオムニバス

66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

音楽「自分史」~ヴィオラ事始め

大学入学後、管弦楽団に入部してヴィオラを始めた。

当然楽器は持っていなかったが、部の楽器があって、それを借りて弾き始めた。
楽器を買ったのは後で書くが2年生の時だったので、それまでは部の楽器を自分の楽器のように使わせてもらっていた。

入部当時、ヴィオラは私以外に4人いた。
3年生が1人、トップを弾いていた。
2年生が2人、そして同期で入学した1年生が私の他に1人。
この4人は全員経験者で、初心者は私だけだった。

先生につくことはせず、もっぱら先輩の指導で始めた。
弓の持ち方、ボウイングを始め、すべてを先輩たちに教わった。
レッスン料を払った覚えはもちろんないので、今から思うとありがたいことだった。
楽器も団のものだし。

オケの部室には大きな鏡があり、その鏡の前でボウイングの練習をしたのを思い出す。

入部して7月に初めての演奏会、サマーコンサートがあったが、もちろんヴィオラで乗れる訳はない。
打楽器とキーボードで出してもらった。

当時のサマーコンサートは、前半に軽めのクラシックをやり、後半がイギリス人の指揮者、D.H氏のアレンジによる映画音楽や日本民謡などをやるパターンだった。
この、私にとってのデビューステージは、オープニングが「フィンランディア」で、打楽器をやらせてもらった。シンバルとトライアングルと大太鼓を1人でやった。
楽器の持ち替えが大変だったし、打楽器は習ったこともない。
後々思うと、専門の打楽器奏者にとってもこの曲は結構大変な曲であり、よくまあやったものだ。やった方もやった方だが、やらせた方もやらせた方だ。
曲末のシンバルの後打ちなどは大笑いの出来で、後々録音テープを聴いて赤面した。
後半の映画音楽では、シンセサイザーを担当した。

その後は、秋の定期演奏会に向けての練習となった。
魔笛」序曲、サン=サーンスの「アルジェリア組曲」、シベリウスの2番というプログラムであり、一応これらの曲の楽譜をもらった。

夏休みも楽器を実家に持ち帰って練習した。

楽器を始めたばかりの初心者新入生ではあったが、この演奏会には乗せてもらえた。
まあ、人数が少なかったからであろう。入学式での勧誘の先輩の言葉通りになった。

魔笛」は降り番、他の2曲に乗った。

この演奏会の次は、4年間でも大きな思い出となる、翌年春の演奏旅行だった。
沼津、清水、名古屋、木祖村、松本をまわった。
マイスタージンガー前奏曲、「未完成」、ブラ2であった。
私の在学中、演奏旅行はその後なかった。
(後年、後輩たちはヨーロッパへの演奏旅行をするまでになった)

演奏旅行への練習に入って、初めてヴィブラートのかけ方を教わるようになった。
逆に言えば、シベ2の演奏会はヴィブラートなしでやっていた訳だ。
細かくは覚えていないが、おそらくファーストポジションだけ、また開放弦使いまくりだっただろうと思う。

ヴィブラートを覚えて、少しは弦楽器奏者らしくなり、演奏旅行に出かけた。

そして2年生に進級。秋の建学100周年記念「第九」演奏会に向けての練習となる。

この頃、パートの先輩から、先生について習えという話が出た。

周知のことだが、私の大学は津田塾大学との交流が盛んだった。
オケにも津田の学生が何人かいた。ヴィオラにも1年先輩にいた。
また、津田には弦楽合奏団があって、合同演奏会をやったりもしていた。

その弦楽合奏団のヴィオラの初心者にレッスンをつけている先生がいるので、お前も習ったらどうか、というのだ。

専門家にちゃんとみてもらうのもいいことだと思い、レッスンにつくことにした。
週1回、小平の津田塾大学まで通った。弦楽合奏団の部室に行き、1対1のレッスンを受けた。
先生は、Y先生と言い、音楽大学を卒業して間もない女性であった。
おっとりとした優しい先生だった。
よく、今でいうパンツルック、当時だとパンタロンスーツで教えに来られることが多かった。
当時は女性の「スカート率」は今では信じられないほど高かったから、Y先生=ボーイッシュ、というイメージがあった。

1年くらい通ったと思う。

そんな時期、そろそろ自分の楽器を持ちたいと考え、Y先生に相談した。
しばらくたって、先生の知人で東京フィルにおられる方が、楽器を買い替えることになり、今使っている楽器を譲って下さるという話を紹介して下さった。
値段は12万円ということだった。
親に相談し、一時立て替えてもらって、バイト代で月1万円返済、1年で完済という条件で許しをもらった。

目黒駅の近くでその東フィルの方とY先生と3人で会い、楽器を譲り受けた。
東フィルの方と別れた後、Y先生が、「お茶でも飲んでく?」と誘って下さったのだが、年上の女性から誘われたのが気恥ずかしく、「いえ、いいです!」と言ってそのまま電車に乗った。
今でも目黒駅を通るだびにもう30年も前のこの時のことを思い出す。

この時期、尾高忠明氏が東京フィルを振ったドヴォルザークの8番と9番のレコーディングがある。
この演奏では、この楽器が使われている。もちろん弦楽器のことなので聴き分けられる筈もないのだが(笑)、私にとっては値打ちのある話で、8番の方は確か発売当時買った。
CDでも割合最近再発売された筈だ。

私は普通のヴィオラよりやや小ぶりなこの楽器を今でも使っている。
今のところ買い替える予定はなく、この楽器を一生使うことになると思う。

ところで、このY先生とは、この時期1年ほどレッスンを受けてからはご縁がなくなっていたのだが、実に20年近くたってから、思いがけないところで再会することになるのだ。
その話はまた。

   →その話 「浦安での思いがけない再会」
           http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/22157967.html