naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

浦安での思いがけない再会

今のオケに入って、何人かの人と思いがけない再会を果たした。
いずれも95年入団当時の話である。



一番驚いたのは・・・。

 

このオケの練習に初めて参加した95年1月15日。
某小学校の音楽室に入った時、ヴィオラは一人もいなかった。
私一人でしばらく弾いていたのだが、その内、女性が一人、隣に座った。
その時弾いていたのが、ドビュッシーの「小組曲」だった。
その女性が「よろしくお願いします」とか何とか言ったと思う。
私は「すみません、この曲、初見なんで」とか何とか言い訳をしたと思う。
ちらっと見た横顔。どっかで見たような気も・・・。

 

その時はそれで終わった。
そして練習も回を重ねて、3月12日が本番であった。
私にとっては、実に14年ぶりとなるオケの本番だ。
浦安市文化会館の舞台袖で、確か開演直前だったと思うが、その女性が「あのう、一橋で弾いておられた・・・」と話しかけてきた。
「えーーーっ!Y先生?」

 

大学2年の時、1年ちょっとの期間、津田塾大学まで通ってレッスンを受けたY先生であった。
Y先生には、在学中に楽器を買う時にも相談した。
知り合いの東京フィルの方が楽器を買い換えるということで、その方の使っておられた楽器を安く譲って頂いた。その楽器は、その舞台袖で持っていた楽器で、11年後の今でも使っている。

 

何しろ入団したばかりで、人の顔も名前もわからない訳だが、確かに言われてみれば、どっかで見た気がする筈だ、Y先生ではないか。
しかし、しかし。
津田塾のある小平で会っていたのが、この時からさかのぼって20年くらい前。
20年の時を経て、また、小平とは遠く離れたこの浦安で再会するとは!
劇的な再会と言ってもいい。まったく驚いた。

 

話をうかがってみると、既に結婚されて、Tさんと姓が変わられ、プロとして活動しておられるとのことだった。
浦安に在住で、このオケにはエキストラで以前から来られていたという。
(T先生には、以後もほぼ毎回エキストラでお手伝い頂いている)

 

   ※関連の過去記事
       音楽「自分史」~ヴィオラ事始め
          https://naokichivla.hatenablog.com/entry/17478028



それから。

 

入団して2回目か、3回目の練習の時だった。
美浜公民館の音楽室。

 

何の曲を弾いていたか忘れたが、指揮者が演奏を止めて、一瞬静かになった時だった。
「おいっ!naokichi!naokichiじゃないか!」
   (「naokichi」のところには私の本名が入ります)
後ろの方から大きな声。
振り返るとそこに、高校のマンドリンクラブで、一緒にギターを弾いていた1年先輩のT氏が、トランペットのところにいるではないか。

 

「何でお前そこにいるんだよ」
「いや、最近入団したもんで」
「・・・お前、ふけたなあ」
(ここでその場の一同、事情がわからぬまま爆笑)
(内心「ふけたのはお互いさまでしょ」と思ったが、言わなかった)

 

休憩の時に1対1で声をかけてくるならともかく、練習の最中に大声で呼ばれたのでびっくり。
弦インペクのNさんなどは、いまだにこの時のことを覚えているという。

 

T氏には、高校在学中に、私が聴き始めたクラシックで、どのレコードを買ったらいいかなど、色々相談させてもらった。
高校卒業後、T氏は早稲オケに入ってトランペットを吹いていた。
大学在学中は、手紙のやりとり(今ならメールなんだろうけど)をしていたし、お互いの演奏会を聴きに行ったりしていた。
早稲オケでは、前半ベト7、後半マーラー1番というとてつもないプログラムの演奏会と、ブルックナーの8番をやった演奏会を覚えている。
私が3年生の冬、ブラームスの4番他をやった時に聴きにきて下さったのだが、1楽章の途中、再現部前のアコードで弦を切った。オケの本番中に弦を切ったのは、後にも先にもこの時だけなのだが、T氏はこの時のことを覚えていて、「ブラ4の時、お前弦切ったんだよな」と今でも言う。

 

大学卒業後はだんだん音信がなくなったが、一度、数寄屋橋の路上でまったく偶然にバッタリ出会い、近くの店で飲んだことがあった。卒業して3、4年目くらいだったか。

 

それ以降、おそらく15年くらいはたっていたと思う。
トランペットを持ってアマオケにいることに不思議はなかったが、何故この浦安なのか、私の方こそ、「何でここにいるんだよ」という感じであった。



他にも、大学オケの1年後輩のクラリネットのK氏が団員で在籍していたり、同じく1年後輩のチェロのS氏がエキストラの形で来ていたり、という再会もあった。
ただ、彼らには、Y先生やT氏ほどのサプライズがなかったので、小さい扱いで申し訳ない。



しかし、考えてみるに、これは、新興住宅地区である新浦安だからの現象なのだろう。
確率的に、人と再会する可能性が高いということがあるように思う。
もっと地方の小さい都市だったら考えにくいかもしれない。

 

ともかく、思いがけない再会を果たしたこれらの方々とは、以後現在まで、おつきあいを続けさせて頂いている。
演奏への復帰がもたらした、これも人生の大きな財産である。