最初の要約部分。
「閉会式が国立競技場(東京都新宿区)で無観客であり、・・・」。
この書き方には違和感を感じる。
主語・述語だけを抜き出せば、
「閉会式があり、」
となる。
閉会式は「ある」ものなんだろうか。
「開催される」、あるいは「行われる」の方がすっとなじむように思うのだ。
「閉会式が国立競技場(東京都新宿区)で無観客で開催され、・・・」
「閉会式が国立競技場(東京都新宿区)で無観客で行われ、・・・」
違和感のもう一つは、この書き方だと、「・・・である」(我が輩は猫である、の)を想起させる点だ。
本文にもこういう書き方がある。
「22競技539種目があり、・・・」。
これもおかしくないかなあ。
競技、種目は「ある」ものなんだろうか。
「22競技539種目が行われ、・・・」
「22競技539種目で熱戦が繰り広げられ、・・・」
でしょ。
朝日新聞は、時々こういう言い方をする。以前から長く使われる言い方で、ずっと気になってきた。
裁判の報道記事にも使われる。今、そのものずばりの記事が手元にないので、記憶で書かざるを得ないが、
みたいな言い方である。
これも主語・述語を取り出せば、
「判決があり、」
になるのだが、判決は「言い渡される」ものだと思う。
(判決公判なら「開かれる」もの)
この場合も、言い方が「であり」となってしまうのが、「「運命」はベートーヴェンの代表作であり」みたいな言い回しを連想させられてしまう。
朝日新聞においては、ある記者がこういう書き方をしているわけでなく、社の文章規範の一つとしてこれを採用しているのだろうと思う。
私が言うのも、違和感であって、日本語として間違いだ、とまでのレベルではない。
ただ、同じ日の日本経済新聞。
こちらの方が、私にはやっぱりすんなりと読めるのだ。