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高校の同窓会会報に担任の先生が寄稿

数日前、高校の同窓会の会報が届いた。

A4サイズ、10ページである。

(県立木更津高校。略して「木高」(きこう)と言うので、会報の名前も「木高同窓会報」)

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「話題」というページに、OBである千葉真一さんが文化庁長官表彰を受けた旨の記事が載っている。

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さらに見て行くと、次の「恩師が語る」というページに、私が1年生の時の担任、篠原覚先生が寄稿されているのを見つけた。

おおー、篠原先生!

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篠原先生は、まだ新任間もない若い先生だった。この記事を見ると昭和45年(1970年)から在職されたとある。私は翌1971年の入学だから、赴任2年目だったんだ。

 

入学時のオリエンテーションでは色々な書類を記入しなければならないが、氏名に添えられているフリガナ欄について、篠原先生が「この書類は「ふりがな」とひらがなで書いてあるので、ふりがなもひらがなで書いて下さい」「こっちは「フリガナ」とあるからカタカナで」と言われていたことが記憶に残っている。

 

記事にもあるように、担当教科は英語だったが、教科書と別に、サン=テクジュペリの「星の王子さま」をテキストに、丸々1冊、最初から最後まで英文和訳したのを覚えている。何ヶ月くらいかかったんだっけ。

 

それから、私が入学した1971年は、高校の創立70周年にあたり、記念式典が行われたが、篠原先生は当然に生徒たち全員がこれに出席するものという考えでなく、「出るか出ないかは皆さん一人一人が考えて決めてくれればよい」とおっしゃった。

1970年代、その時代の雰囲気を何となく実感する出来事だった。私は出席した。

 

そんな数々の思い出がある篠原先生のご健在を確認できて、大変嬉しかったが、読んでみて、そこに書かれているのが、私自身にも印象に残っている制服制度をめぐる議論であることに興味を惹かれた。

 

そう、あの時期、制服制度を廃止したい、という提言が生徒会で出され、これをめぐって長いこと議論が戦わされたものだった。

制服の全廃でなく、制度としての廃止であって、着たい人は着ればよいし、着たくない人は着なくてすむ、という、何やら現在の選択的夫婦別姓制度みたいな話だった。

 

私が卒業するまでに結論は出ず、どうなったのかな、と思っていた。

今でも木更津に帰れば、当時のままの制服を着た生徒たちと行き会うことがある。少なくともいまだ全廃にはなっていないのだ、とは思っていたのだが、今回の篠原先生の寄稿によれば、生徒と教職員は賛成したものの、PTAが反対して実現しなかったと書かれている。

そういうことだったんだ。

 

あれから半世紀近くが経つ。あの頃、制服制度の存廃を議論したというのは、ずいぶん先駆的な話だったように感じるが、当時と比べものにならないくらいダイバーシティの進む今の時代にあっては、いまだ全員が同じ制服を着ていることに、第三者的には少々違和感もある。

 

ところで、今回の会報には、今年の大学入試の合格者数の一覧表が載っている。

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やっぱり千葉大は多いな、とか、おっ、我が母校にも1人現役で合格してる、などと思いながら見たが、一番目を引いたのが、東京女子大の14人、日本女子大の16人だった。

女子生徒が増えたっていうことなんだろうな。

 

※過去の関連記事

    母校の制服を見ながら
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/60475203