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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

谷村新司さん逝去

16日(月)、ZOZOマリンスタジアムへ向かうべく京葉線に乗っていた時、スマートフォンを見ていた妻が、谷村新司さんの訃報を見つけた。

このように移動中に知った訃報に衝撃を受けた例としては、昨年の安倍晋三氏、それより前の竹内結子さんがある。

 

ユーミン、さだ(まさし)さん、TULIPと、デビュー50周年のアーティストの公演を聴きに行っている。

1971年結成のアリスとも長いつきあいになる。

 

古い記憶では、谷村新司という名前を初めて知ったのは、高校の時だったと思う。

ある日、クラスメイトで今でも親交のあるSが、深夜放送に出ている谷村新司がとにかく面白くてさあ、という話をしていた。

前後してアリスの「青春時代」を耳にしたと思うが、同曲は1973年12月のリリースなので、受験勉強最盛期の3年生の時だったようだ。

この頃、深夜放送を聞く習慣はなかったので、実際に谷村新司のラジオ・パーソナリティぶりに接することはなかった。

 

大学に入った後、アリスにとって最初のスマッシュヒット「今はもうだれも」が私の視野に入ってきた。このシングルと、アルバム「アリス・ファースト・ライヴ!」を買ったのは、1976年5月、3年生の時だ。

 

おそらくこの3年生の年の秋だと思うが、大学祭にアリスが来て聴きに行った。学内の兼松講堂で行われたアリスのコンサート、前座が美樹克彦だった。

「愛の光」「明日への讃歌」などが歌われたと記憶する。一番印象に残っているのは、アリスのナンバーでなく堀内孝雄のソロナンバー「カリフォルニアにあこがれて」だった。

 

アリスのアルバムは、在学中から就職後と、「アリスⅤ」「アリスⅥ」「アリスⅦ」などを買い集めてそれなりに聴き込んでいった。

 

「アリスⅤ」の最後に入っている「帰らざる日々」を聴いた時、荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」によく似ている、と直感的に思ったのをおぼえている。この2曲は、リリース時期が半年も違わず、相前後して聴いたので、その酷似ぶりが強く印象に残った。

 

大学時代は深夜放送を聞くこともあって、谷村さんがばんばひろふみとやっていた番組をよく聞いていた。「天才秀才ばか」シリーズというのがあった。

番組の中で生歌コーナーがあったが、そこにハガキを出して読まれたことが一度あった。谷村、ばんばの2人が因幡晃の確か「別涙」を歌った時に、途中でメロディがたどれずにおかしくなったのを聞いて、「歌い出しの音が違うんじゃありませんか」と書いたハガキだった。

 

就職2年目の1979年に、日本武道館にアリスを聴きに行った。「限りなき挑戦」のタイトルだったと思う。

終盤に、目玉曲、「美しき絆-ハンド・イン・ハンド-」が歌われる前のMCで、谷村さんが「今、隣にいる人の顔を見てみませんか」と言い、手をつなぐように呼びかけたのだが、その時隣にいた連れは、つきあっている彼女でもなく、気恥ずかしいというか気まずい思いをしたのをおぼえている。

 

3年後、1982年に、谷村さんとさださんが武道館でジョイントコンサートをやったことがあるが、この時も聴きに行った。この公演はライブ・アルバムが市販された。

この時点でアリスは活動休止に入っている。

 

以後、谷村さんはソロ歌手として活躍し、いわゆる実力派シンガーの位置づけとなる。紅白歌合戦のトリが似合うポジションだ。

 

会社で労働組合の仕事をしていた1996年夏、同僚のF氏が退任することになった。この退任は、さる事情によるもので、一緒に仕事をしていた仲間としても想定外のことだっが。F氏の送別会の二次会でカラオケに行ったのだが、去っていく彼との別れを惜しみながら、みんなで「サライ」を歌った。F氏と同期入社のM氏が歌いながら泣いていたのが、私個人にとってはこの曲にまつわる忘れられない思い出である。

 

アリス、谷村さんについての個人的な縁はこんなところだ。

 

アリスとして、またソロシンガーとして数々の代表曲を持つ谷村さんが、まさか忽然と他界してしまうとは思っていなかった。

 

2020年1月、東京国際フォーラムで行われたアリスのコンサートに行っておけたのが、まだしもよかったと、妻と話した。

 

74歳での逝去は、やはりまだ早いイメージがある。

人間の死として早い、というだけでなく、まだ一線で活動しているミュージシャンが多数いる中、惜しいとの気持ちが大きい。

(1948年生まれのミュージシャンには森山良子、鈴木康博財津和夫泉谷しげる沢田研二井上陽水らがいる)

私自身に置き換えると、74歳になるにはたった6年。自分の人生がそれしかないとは思いたくないが、そういう人もいるのだ、と感じる。


Twitter上に載った発表文と遺影写真。

戒名の「天」「昴」「音」「楽」の文字が泣ける。