naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

小澤(征爾)さん逝去<4>

ノーベル賞以上、イチローに匹敵


高校の時、母が「大したもんだねえ」とつぶやいたボストン響音楽監督への就任。
以後、メジャーレーベルからの夥しいレコードや、時たまの生の演奏会で、半世紀あまり小澤さんを追ってきた。

 

小澤さんのなした実績としては、海外ではボストン、それからウィーン国立歌劇場、国内では松本のフェスティバル、水戸室内管、音楽塾が代表的なものであり、それと並ぶ活動としては、あまり表に出てきてはいないが、教育があったと思う。
バーンスタインが、指揮、作曲と併せて教育に力を注いだことと共通点がある。教育の領域における小澤さんの功績は讃えられるべきものと思う。

 

そうした小澤さんの歩みを喜ばしく見てきた私個人の思いはさておいても、ともかく日本人指揮者として未曾有の高みに達した超絶的な存在であることは、客観的事実だろう。

 

2002年、小澤さんが生涯一度だけウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮した時、木更津の実家のテレビで父母と観ていた。
父はクラシックにはまったく不案内だったが、この時に私は父に、「この人がここで指揮しているのは、ノーベル賞をとるよりも値打ちがあることなんだよ」「大リーグのイチローと同じくらいすごいこと」だと説明した。
クラシックを知らない人に説明する比喩として、まあ適切な言い方だったのではないかと今でも思う。
今言うのであれば、大谷翔平だろうか。

(高校の頃、ボストン響音楽監督の値打ちがわかっていなかった私だが、30年後には父に講釈を垂れるくらいにはなっていたわけだ)

 

世間の評価としては、何と言っても文化勲章の受章。

音楽界で朝比奈隆吉田秀和と来たら、次は当然小澤さんしかいないだろうと思ってはいたが、それが実現したのは嬉しかった。
(今、小澤さんに国民栄誉賞をという意見もあるようだが、文化勲章で充分な気がする。日本人として前例のない実績を(それも国際的に)あげたという点では、文句なしにその要件を満たすが、クラシック音楽というジャンルが、広く国民に愛されているかどうかを考えた場合、国民栄誉賞にマッチするかどうか、と思うのだ。その世界における功績は文化勲章で既に十二分に評価されているわけだし。ただまあ、小澤さんほどの人への授与が見送られるなら、今後クラシック音楽界からの国民栄誉賞は未来永劫ないだろう、ということにもなる)