naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

小澤(征爾)さん逝去<5>

音楽からの退き方、人生の引き方

 

最後の指揮となった「エグモント」序曲を、痛々しく見た。

 

小澤さんの晩年、ここ10年余りは、食道癌に始まり、あれこれの病気で、不本意なものだっただろうと思う。

演奏会のキャンセルが増えたり、そもそも演奏会1つを振れなくなったことは、ファンの1人としても残念だったが、一番無念だったのはもちろん小澤さん自身だっただろう。

 

最後に生で小澤さんを観た2019年の京都の「カルメン」、前奏曲しか振れないとは、と重く感じたものだが、それでもあの短い前奏曲を指揮する小澤さんにはまだ「小澤征爾」としての生気を感じた。あれが5年前。

 

ただ、ここ2年くらいだろうか、時たまテレビの映像や写真などで観る小澤さんの姿はすっかり変わってしまったと感じるものがあった。

それまでは、たとえ高齢や病気の影響から椅子に座りながらの指揮であっても、若い頃から知っている小澤さんの延長で観ることができた。小澤さんも歳とったな、と案じつつも、そこには「小澤征爾」がいた。

しかし、このところの小澤さんは、穏当でない言い方と承知の上で書けば、そもそも人相が変わってしまった。
車椅子に乗っているから、とかではない。車椅子に乗っている小澤さんその人が、私が追い始めた頃はまだ30代、あの時代らしい長髪で若々しくさっそうとしていた、あの小澤さんとは違う人になってしまったと感じられたのだ。

人間というのは、ここまで老いさらばえてしまうものなのだろうか。そんな小澤さんの姿を見るのはとても悲しいことだった。

「エグモント」のあの指揮は、私から見れば、だから痛々しかった。あんなにかっこよく素敵な指揮ぶりで魅了してくれた人が、と。

 

今回の逝去を受けて、ネット上で、小澤さんは引き際が悪かったというような意見をいくつか見た。最後まで現場にしがみついていた、と言う書き方もあった。ネガティブな意見と読んだ。

楽家としての退き方について、私などは言える身でないが、おそらく、松本のフェスティバルを始めとして、「小澤征爾」という名前の「大きさ」はあったのだろうな、と思う。関係者にとっての大きさ、ビジネス面での大きさである。
ともかくも総監督が存命であることだけで、実際の指揮がかなわなくとも、ビジネス面では大きいのだろうと察する。
(またそれは、小澤さん亡き今後も続くものかもしれない)

 

周囲にとっての小澤さんのネームバリュー。
一方、小澤さん自身として、指揮すること、教育することに、この最晩年どの程度拘っておられたか。
このあたりは、ご本人でないとわからないところだ。

(2015年、松本のフェスティバルが「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」から「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に変更された時は、小澤ファンの私も、さすがにこれはどんなものか、と思ったものだ。もともと恩師をトリビュートして始まったものなのに、と。しかし、これとて小澤さん自身の考えがどうだったのか、ご本人以外の思惑によるものなのか、真相は知る由もない)

 

楽家としての話と別に、私は、前述したここ2年ばかりの小澤さんの姿に、人間が老いて、人生から引いていくということについてとても重く感じるものがある。
つまり、自分もいずれああなっていくのか、と。

 

私は小澤さんより20歳下、今年69歳になるが、既に自分の残り時間を意識することが増えてきた。長患いしながらの長命でなく元気な状態で長生きしたいものだと思う。
そんな個人的な思いからすると、「エグモント」の指揮、あるいは昨年のフェスティバルでジョン・ウィリアムズと握手している場面を観た時、いったい小澤さんは頭の中で何を考え、何を周囲の人たちに語っていたのだろう、と思うのだ。

 

楽家として、人として、幸せな死に方だったのか、と考えさせられるが、これもご本人にしかわからないことだ。

そして、私の死に方も私だけのものでしかない、ということだと思う。