naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

ほどほどにしてほしいスタッフの笑い声

感心しない話だが、テレビは「お気楽な番組」ばかりついつい見てしまう。

例えば、火曜日の夜9時台、おそらく日本のサラリーマンの多くが「プロジェクトX」(今は終わってしまったが)に釘付けになっているであろうその時、私はテレ朝の「ロンドンハーツ」の「格付けしあう女たち」を見ていたりする。
こういうことではいけないと思いつつ、経済番組、政治番組などは敬遠してバラエティばっかり。
まあ、ニュースや相撲、野球は見るが。

そんな私だが、バラエティ番組で時々気になることがある。正確には、観覧者を入れていないスタジオ収録のバラエティ。

トークやコントで、可笑しい場面、つまり視聴者を笑わせるべき場面で聞こえる、番組スタッフの笑い声である。

私は、生まれた時から家庭にテレビがあった訳ではないという世代だ。
物心ついてから、家にテレビが「導入」されてきて、見始めた頃、国産のテレビ番組は多くなかったので、放映されるプログラムのかなりの部分を、アメリカのドラマやアニメなどが占めていた。

奥様は魔女」や「世界の料理ショー」などは、そうした「輸入番組」の代表だが、これらの番組を見ていると、やはり笑うべき場面に、笑い声がかぶるのだった。
私の世代の人間には、その笑い声に、「ああ、テレビ番組というのはこういうものなのだ」と感じた思い出を持っている人が少なくないと思う。
奥様は魔女」の笑い声は、おそらく録音した笑い声の音声をかぶせていたのだろう。「世界の料理ショー」の方は、観覧客の笑い声だったかと思う。
どちらにせよ、それらの笑い声は、非常に自然なものに感じられた。

そこで、現在の日本製の民放のバラエティ番組なのだが、どうもそれとは異質なものを感じる。
前記の、テレビ黎明期の輸入番組を引き合いに出さずとも、例えば、演芸場の落語を放映する番組などは、集まった観客が発する、まさに自然発生的な笑い声が聞ける。

それに引き換え、スタジオ収録のバラエティでのスタッフの笑い声はいただけない。

ともかくわざとらしい。
番組を作っているスタッフ自らが笑っているというのは、本来はおかしい話だ。きちんとした落語家や漫才師は、どんなに可笑しい話をしながらでも、自分が笑ってしまってはいけない、と聞く。
番組を自ら作っている人間が、そこで心底可笑しくて笑っているなんてことは本来はありえない筈なのだ。
制作側として、視聴者に、ここで笑ってもらわないといけない、ということで、わざと笑うのだろうが、笑うかどうか、つまりそれが可笑しいかどうかは、見ている視聴者が決めるべきものであって、制作者に強要される筋合いはない。
制作側が笑って、視聴者の笑いを誘発するというのは、要するに「サクラ」であり、演出に従うことの強要だ。
そこに、番組を作って見せてやっている、という傲慢さも感じることがある。

そして、不愉快に感じる一番の理由は、その笑い声があまりにも下品だったり野卑だったりすることだ。
テレビ局の制作スタッフというのは、こういう品性の持ち主ばかりなのか、と想像させられたりする。

こんなことを、今さっき、「SMAP×SMAP」を見ながら感じた。
フジテレビが特にひどいような気がする。

スマスマなどはとても水準の高いバラエティなのだから、あんな汚い笑い声をかぶせなくても、充分面白いのに、と残念に思う。
良質のバラエティは、スタッフが煽動しなくても、視聴者はちゃんと笑うのに。

まったくやめてしまうのは難しいかもしれないし、トークにスーパーを入れるのと同じで、「ここは笑うところですよ」と視聴者に示すのも、ある程度は必要な視聴補助機能があるかもしれない。
しかし、やるならもっとほどほどにしてほしい。音声かぶせでもいいんじゃないかと思う。
少なくとも、スタッフの下品な嬌声はやめてもらいたいものだ。