naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

N君の13回忌

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   N君の遺影を囲んで



19日(日)、浦安でのオケ練を終えて、いつもならもちろん帰宅するところだが、上り電車に乗って東京へ向かった。

今年は、大学オケの友人、N君の13回忌にあたる。
彼と特に親しかったフルートのI君から数日前に電話があり、仲間で集まっての会食をしようという。
もちろん出席させてもらうと返事をした。

N君は、I君や私と同級生で、チェロ弾きだった。
オケの練習日以外でも、よく会って遊んだものだ。
野球が好きで、しょうもない冗談ばかり言う、底抜けに明るい奴だった。

彼は卒業後、大手商事会社に就職した。
結婚したのが、確か81年の初め頃だったと思う(クリスタル・キングの「大都会」がヒットしていた頃だ)。
都内のホテルでの結婚式には、大学オケの仲間が多数招かれ、私も出席した。
披露宴がとても楽しかったのはもちろんだが、それよりも、お開きの後、オケ仲間たちで、何軒も飲み歩いたことが記憶に残っている。
地方からの出席者もいたのだが、ご両家から交通費が支給された。「この金で飲もうぜ」という話で、タクシーに分乗して、あっちへ走って飲み、またこっちへ返して飲み、何やら都内を東奔西走したような記憶がある。
挙げ句、地方在住者用に用意されたホテルにみんなで転がり込んで、ベッドの隙間や床に雑魚寝をしたのだった。
楽しかった。

N君が他界したのは、それから僅か13年後、94年のことだ。

当時、私は労働組合の専従役員の仕事をしていて、訃報は出張先の広島で受けた。
同じチェロの同級生のM君から、組合の事務所に「電話をくれ」という伝言が入ったことは聞いていたのだが、移動のあわただしさもあって電話をしそびれていた。
そして、春闘オルグ先の現場事務所に到着したら、組合事務所からファクスが届いていた。
「お友だちのNさんが亡くなったそうです」

信じられなかった。
まだ40歳手前なのだ。

告別式が翌日だった。
翌日は帰京の予定だったので、東京に戻ったその足で会場に向かい、遺影と対面した。
仲間もたくさん来ていた。

そこで聞いた話では、N君は海外勤務をしていて、体調が思わしくなく、一時帰国して検査してもらったら、重篤な病気とわかったのだという。

30代にして親しい友人を喪うのは、私にとって初めてのことで、大きな衝撃だった。
告別式の後、仲間たちでお茶を飲みながら、N君の思い出を語り合った。話は尽きなかった。
「いずれこういう思い出話を何かの形でまとめられたらいいね」と言い合った。

それから6年たった00年春、7回忌ということで、仲間で集まる機会があった。
夫人のC子さんを囲み、持ってこられた遺影やスナップ写真を見ながら、久しぶりに彼の思い出を語った。
楽器と楽譜を持ち寄り、アンサンブルもした。
これも忘れられない思い出だ。

そして、速いものだ。
それからまた6年。
前回と同じ、竹橋の如水会館での会食である。

C子さん、それから音大からの親友の、Iさん、Oさん。
大学オケからは、1年先輩のヴィオラのHさん、クラリネットのYさん。同期からは、発起人のI君と、ヴィオラのI君。全部で8人が集まった。
当初は、2年先輩のホルンのNさんも参加の予定だったのだが、出張が入ってしまったとのことで、誠に残念だった。

今回は、館内のレストランで、フランス料理のコース。
往年、N君も含め、国立の汚い居酒屋でばかり飲んでいた我々である。私だけかもしれないが、何か違和感(笑)があった。
生ビール1杯飲んだ後は、ワインになってしまって、日本酒も焼酎も出なかったし・・・。

しかし、杯を重ねる内に、あれこれの昔話が口々に飛び出して、楽しく盛り上がった。
もちろん、話題の中心はN君である。
「Nがさ、本屋に一緒に行ったら、文庫本の棚の前で「この棚の端から端まで買ったらいくらするのかな」って言ったんだ」
「そうそう、そういう言い方、よくしてたよな。レコード屋でも同じこと言ってた」
7回忌の時同様、N君をめぐるあれこれのバカ話で、一同大笑い。

互いの近況報告などもしながら、あっという間にコースはデザートを迎えた。

今回も、C子さんが、N君の写真を持ってきてくれた。
「N、若いなあ」とみんなで言う。

・・・そういうことなのだ。
50代相応に老けてきた我々だが、N君にはそういう写真がない。30代で彼の時間は止まったのだということを、その写真を見て痛感させられる。
久しぶりに悲しみがこみあげる。

C子さんのこの12年、思いはいかばかりだっただろうと思う。
でも、7回忌の時、今回とお目にかかって、明るくお元気そうなのが本当に何よりだ。
葬儀の時、まだ小さかったお子さんたちが、立派に成長されているとのお話が嬉しい。

娘さんが、二次会に合流できるという話で、皆で移動することになった。
私だけ、翌日の朝が早いので、残念だが遠慮させてもらった。
また近い内に集まって、ゆっくり語れる機会があれば、と思う。

実は、今回出張で参加できなかった、ホルンのNさんとの間で、話し合っていることがある。
mixiの中に、同世代の大学オケの仲間を対象にしたコミュニティを作ろうというプランだ。
Nさんは既に私が紹介した形で、mixiに登録している。
我々が、知る限りの当時の仲間にメールで呼びかけてmixiに登録してもらい、コミュニティを作ろうという話を今している。

N君の葬儀の際、「今語り合ったNの思い出話を、いずれ何かの形でまとめられたら」と話しつつも、結局、また皆ばらばらになって、具体化することはなかった。
しかし、今は、当時はまだ普及していなかったネットというものがあり、かつSNSというものがある。

少なくとも、今回一緒に語り合った人たちで、そのコミュニティの中で、「N君の思い出を語ろう」というトピックを立てて、各自思い思いに書き込むようにしたい。
今回語りきれなかったこと、思い出したことをどんどん書き込んでためていければ、と思うのだ。
きっと貴重なライブラリーが作れるだろう。

近い内に実現したいものだと思う。