naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

禁煙記念日

10月2日は、禁煙記念日。81年10月1日の夜、最後の1本を吸って禁煙に入り、26年が経過した。

 

煙草をおぼえたのは、大学に入ってから。
親元を離れた開放感もあって、手を出した。

 

入学間もない頃だったので、ここに書いちゃまずいね、19歳になる前でした。

 

「初めて試した煙草がショートピース」は、その翌年に発表された、ダウンタウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」だが、私の場合はセブンスターだった。

 

煙草の銘柄は、今だと、コンビニとかでも、ずらりと何十種類も並んでいるが、当時(74年)は、ずっと少なくて、自動販売機なんかだと、せいぜい2列、10種類くらいだったと記憶する。

 

ハイライトが80円、セブンスターが100円。

 

最初の1本を吸った時のことは、鮮明におぼえている。
小平のキャンパスの生協でセブンスターを買って、下宿に帰って火をつけた。
吸い込んだ時、後ろめたさというか、背徳感に、思わず勃起したのだった。

 

以後大学4年間、そして会社に入って3年半、計7年半が、私の喫煙歴だ。
本数は、1日平均30本程度だったと思う。

 

当然、親には内緒にしていた。
2年生の時、大学オケで10月に上野の文化会館で「第九」をやった時、記念碑的な演奏会ということで、実家から両親と妹を呼んだ。
開演前に、入口近くに並んでいる家族のところに顔を出したのだが、うかつにもその直前に火をつけた煙草を手に持ったままで、母に見とがめられたものだった。

 

銘柄はあれこれ吸ったが、大学4年の時に、セブンスターの新製品として発売されたマイルドセブンが、一番多かったような気がする。ハイライトはきつすぎて好まなかった。

 

私が就職した頃は、オフィスで喫煙できた。
自分のデスクに灰皿を置いて、仕事をしながら煙草をふかしていた。
今では考えられないことだが。

 

就職した後は、何度か禁煙を試みては挫折した。
金のない独身時代は、禁煙して煙草代を浮かせるというのも、結構大きな動機だったのだが、仲間内に喫煙者が多かったこともあり、長続きしなかった。

 

入社3年半たった、81年の今の時期、身近に病人が出たのが、禁煙の契機になった。
いわば願掛けの意味での禁煙スタートだった。

 

81年10月1日の夜、当時住んでいた浦和の独身寮の自室で、招き入れて一緒に飲んでいた1年後輩のM氏に、「この1本を最後に禁煙することにした」と宣言し、吸い納めをしたのだった。
最後に吸ったのは、「こもれび」というベージュ色の箱に入った銘柄の煙草だった。

 

この時、四半世紀以上も禁煙が続くとは思っていない。
決して本気ではなかった。何度目かの挫折をまたするものだと思っていた。

 

しかし、その病人の病気が長引いたことが一つ。
それから、この年に、入社後3年間勤務した本社を離れて、新しい職場、品川の支店に移っていた(たまたまだが、今年4月から勤務している今の職場だ)が、この職場には、喫煙しない人が多かった。
そして、時代が嫌煙に向かい始めていたことも大きかった。

 

気がついたら、煙草を吸いたいという気持ちはまったくなくなり、むしろ嫌煙の方に急速に傾いていったのだった。

 

酒と違って、煙草は人から強要されることがない。

 

もう大丈夫、やめたままでいられるだろう、という確信は割合早い時期に持てた。

 

そして26年が経ったのだ。

 

かつて喫煙していたことを棚に上げて言えば、煙草を吸う人には、ある鈍感さがあると思う。

 

一つは、喫煙者にそれを求めても仕方がないことだが、煙をただよわせることへの鈍感さだ。
自分自身、喫煙していた頃は、酒を飲みながら、喫煙しない人に向かって、煙を吹きかけるようなことをしていたので、非難する資格はないのだが、やはり煙のすべてを自分の肺に吸い込めない以上、周囲にただよわせることになるわけで、そのことへの感覚が鈍いと思う。
26年も煙草をやめ、嫌煙派になってしまうと、煙草の煙にはとても敏感になる。臭いに敏感になるのだ。
以前も書いたが、煙草の臭いのしみついたタクシーに乗った時の辛さ。
それから、喫煙する人は、アウトドア状態ならいいと思っているかもしれないが、例えば、朝の通勤の途中、5メートル先を歩いている人が煙草を吸っているのが、私の場合、わかる。臭いを感じるのだ。

 

もう一つは、吸い殻を路上に落とすことへの鈍感さ。
これも、自分もやっていたことなので、言えないのだが、不思議なことではある。
分別のある大人が、何故そういうことができるのか。
吸い殻のポイ捨てをするその人も、例えば、噛んだガムをそのまま路上に吐き捨てることはしないし、仮にそのガムを紙にくるんだとしても、それを路上に放り投げることはしないはずだ。
そのように、他のゴミを路上にポイ捨てすることはない、いい大人が、煙草の吸い殻に限っては、平気でそれができるのだ。
本当に不思議だ。その部分の感覚だけが鈍くなっているのだろう。

 

私の会社は、喫煙者率が世間一般より高いと思う。

 

それでも、さすがに時代の流れで、職場の分煙はできているのが幸いだ。

 

困るのは、飲み会の時。これは、なかなか解決が難しい・・・。

 

喫煙するのは好きずきだが、要するに、煙というのがやっかいなんだよね。
さっきも書いたが、喫煙する人が、その煙をすべて自分の体内に納めることができれば、問題ないんだけど。
こればかりは、解決ができないだろうな。煙草じゃなくなっちゃうし。

 

まあ、我慢するしかないね。

 

最近は喫煙者の皆さんも肩身が狭いしね。空港とか駅とか、檻みたいなところに入れられて、かわいそうになっちゃうくらいだ。
家の近くにあるロイヤルホストも、禁煙エリアと喫煙エリアを分けていて、それで充分だと思っていたら、最近改装して、喫煙の方を檻みたいな感じにしてしまった。
距離が離れているんだし、あそこまでしなくてもいいと思ったけど。
オケ練の時もそう。美浜公民館も、浦安市文化会館も、もはや屋内に喫煙場所はない。休憩の時は、皆表に出て吸っている。大変だなあ、といつも思って見ている。

 

お互い、気を遣い合ってやっていくのが大事なのだと思う。