負けて、罰ゲームに、「コンドルの着地」芸をやった後、話の流れで、イグアナをやることになった。
「タモリのイグアナ」、実に久しぶり。
本人は30年ぶりと言ってました。
この芸を最初に見たのは、「うわさのチャンネル」。
和田アキ子、せんだみつお、デストロイヤー。
「タモリ」は、もちろん、センターのポジションでなく、彼らの脇でいじられていた。
そんな中で、毎回やっていたのが、イグアナだったと思う。
和田アキ子、せんだみつお、デストロイヤー。
「タモリ」は、もちろん、センターのポジションでなく、彼らの脇でいじられていた。
そんな中で、毎回やっていたのが、イグアナだったと思う。
「うわさのチャンネル」は、私が大学生の頃やってた番組だから、確かに30年くらい前。
いやあ、懐かしかった。
ついでの連想。
タモリが世に出るにあたって、赤塚不二夫、山下洋輔といった人との縁が大きかった話は有名だが、その頃、全国冷やし中華連盟とかいうのがあったの、ご記憶でしょうか。
夏だけじゃなくて、1年中、冷やし中華を食べられるようにする運動。
夏だけじゃなくて、1年中、冷やし中華を食べられるようにする運動。
山下洋輔が確か中心になっていたと思う。
その団体が、テーマソングみたいにしていたのが、「ソバヤ」という歌で、これはタモリのファーストアルバムに収録されていたと記憶する。
今から思うと惜しいことをしたものだ。