今日のいつもの放送の最後に、何気なくという感じで発表した、との報道には、いかにもタモリらしい力の抜け方と感じた。
かねてから放送打ち切りについては、何度となく憶測報道がなされていたので、特段の衝撃を感じたわけではない。
えー!? というよりは、ああやっぱり、という印象かな。
でも、でも。
とにかくこれは、もう簡単には語り尽くせない感慨があるよね。
放送開始は、1982年10月。私は27歳だった。
あれから31年。
「いいとも」は、常に私のそばにあった。
独身寮のテレビで、その後移った現場事務所の食堂や宿舎のテレビで、そして今の家のテレビで、お昼の放送、日曜日の増刊号、年末の特大号。
20代、30代、40代、50代の私のそばに「いいとも」があった。
別に、平日のお昼に毎日必ず観ているわけではない。増刊号も、毎週観ているわけではない。
いや、むしろ、ちらっと観る程度で、実はほとんど観ていない、と言う状況だ。最近は。
つまり、空気みたいになっちゃってるんだな。
どうしても観ようとは思わないけど、その存在を忘れているわけでもない。
観ようと思えばいつでも観られる、というポジションにいてくれる存在。
長寿番組、というのは多かれ少なかれどれもそういうものかもしれないな。
「いいとも」の思い出、これはたくさんあるよ。
しっかり思い出さないと、書き出せないだろう。
いずれまた来年の3月くらいに改めて書くかもしれないけど、今思いつくだけでも列挙しようか。
・「笑ってる場合ですよ!」の後番組として始まったこと。
・「笑っていいとも!」というネーミングが、とても安易に感じられたこと。
・テレホンショッキングの安産祈願。
・テレホンショッキングは、当初、同じ人を呼べないルールだったこと(「あー、○○さんは前に出ちゃってますねえ」とNGだった)
・「エイズ」というものを初めて知ったのは、この番組でだった。金曜日のコーナーだった「5つのフォーカス」(タモリ、山本コウタロー、田中康夫の鼎談)で、アメリカで新しい病気が出てきている、とコウタローがしゃべったのが、私にとっての初耳。
・同じく金曜日のコーナーで、タモリ、(明石家)さんまが2人でしゃべるコーナーがあったが、ビートたけしがフライデー事件を起こした後、月曜日以降の放送で、タモリがこの件に一切ふれずに通してきたことに、さんまがツッコミを入れた場面。
・日常の疑問について、タモリが電話で問い合わせるコーナーを、父がお気に入りだった。自動車の後部座席の中央に座る人のシートベルトがないが、どうすればいいんだ、という質問を自動車メーカーにしたことがあったが、いい質問だ、と言っていた。
・増刊号は、最初、嵐山光三郎が進行していた。
思い出せばまだまだいっぱい出てくるけど、とりあえずこのへんで。
番組の歴史は、そのままタモリ本人の歴史でもある。このあたりが、長寿番組の中でも少し独自性のあるところだろうか。
たぶん、日本国民、誰もが、「いいとも」に関しては、それぞれの思い出があるはずだ。
タモリは私よりは10歳上。思ってみれば、彼も68歳、70の声を聞く歳になった。
今回の放送終了は、それと無関係ではないと思う。
タモリは健在だが、「いいとも」は終わる。
それも一つのあり方なのだろう。
後番組がどうなるかより、私には、タモリという人が、これからどうするのかの方に、とても興味がある。
とりあえず、「タモリ倶楽部」は、これまで通りの脱力感で続けてくれるだろう。
日頃、「いいとも」をやっているから、遠くへの旅行ができないと嘆いていた彼に、海外も含めて、気の向くままの旅をしながら、「ブラタモリ」のような、彼にしかできない旅番組を作ってもらえたらいいな。