naokichiオムニバス

67歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「その時」・・・

8日(日)の、秋葉原での惨劇を、私は、翌日の昼過ぎにテレビで観るまで知らなかった。

8日は、オケの定期演奏会本番。
打ち上げから夜遅く帰宅。テレビも観ずに寝た。

9日は、休暇。
新聞休刊日で朝刊がなかった。

加藤容疑者は、8日の朝から、携帯電話サイトに犯行予告、さらに実況とみられる書き込みをしていたと報じられている。

思ってみれば。

「11:45 秋葉原ついた」

  その時、私はステージの上で、最後のリハーサル中。
  ブラームスを弾いていた。

「12:10 時間です」

  アンコールのレハールを最後に、ちょうどリハーサルが終わった頃。

そして、歩行者天国へのトラックでの突入が12:30。

  私は、ホールのロビーで、時間を気にしながら弁当をかきこんでいた。

犠牲者5人の死亡が確認されたのが、13:15。

  私は、ロビーコンサートの出番を待っていた。

年に2回の、演奏会本番。

その時、秋葉原で起きていた痛ましい悲劇をまったく知らずに、私は、ステージで、「こういう時間を過ごせる幸せ」をつくづくと噛みしめながら演奏していた。

・・・何と言ったらいいのか。

同じ時に、何故、こうして幸不幸が分かれなければならないのだろう。

運不運・・・?

何と理不尽な。

最近のこういう凶悪犯罪で恐ろしいと思うのは、「理由なく殺される」こと。
人を殺すことが、いかなる場合にも許されないのは当然だ。
その上で言うと、以前の殺人事件には、何かの恨みだとか、金ほしさだとか、思想信条の部分だとか、何かの理由、ストーリーがあった。認めがたく許しがたいものではあっても。

しかし、最近は、「誰でもよかった」「人を殺したかった」というだけで、人が人を殺す。
今回もそうだが、何の罪も落ち度もない人が、たまたまそこに居合わせてしまったというだけの不運で、幸せな人生を奪われる。まわりの家族や友人を含めて、すべてが暗転する。

自分は人に恨まれるようなことはしていないし、金持ちでもないんだから、殺される気遣いはない、と言えなくなった。
自分だって、いつ同じ目に遭うかわからない。
これは本当に恐ろしいことだ。

「人に殺される」ことを、例えば交通事故のように、生きていればある確率で遭遇するリスクとして考えなければならない時代・・・?

治安がいいと言われるこの日本で、表を出歩く時、人混みを歩く時、周囲を警戒しなければならない時代・・・?

子供を持つ親御さんは、心配が絶えないことだろう。

どうしたら、こういう心配がなくなるのだろうか。

・・・答えが見あたらない。