naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

ヴィオラ弾きであるがゆえに・・・?

浦安オケの練習予定は、弦と管のインペクが、指揮者やトレーナーと相談して決め、団内に周知される。

この週末練習予定は、
  28日(土) 午後 低弦分奏(チェロ、コントラバス)
  1日(日) 午後 ヴァイオリン自主練
            管分奏
と発表されていた。

つまり、ヴィオラだけが練習なしという発表だったのだ。

で、ですね。私としては、「練習ないのか、ラッキー!」と思っていたのです。日曜日には珍しく、1日ゆっくりできる、と。

そしたら、先週のオケ練の時に、コンマスのYdさんから、「naokichiさん、来週はヴァイオリンの自主練なんですが、もしよければ、ヴィオラの皆さんも一緒に練習しませんか」というお話があった。

急ぎ、ヴィオラのメンバーにこの話を流して、出欠の確認をしたのだが、練習がない前提で既に別の予定を入れてしまったなどの理由で、全員欠席。

私は当初出るつもりでいたのだが、まことに異例な話で、日曜日なのだが、栃木に日帰りで出張することになってしまった(もう少ししたら出かけます)。

ということで、ヴィオラは全滅。Ydさんにはその旨メールでお伝えし、今日の練習は、当初予定通りのヴァイオリンの自主練になってしまった。

で、思ったのだが、このことって、「ヴィオラ弾きの性格」が多分に影響しているんではあるまいか?

ヴィオラを弾く人って、目立たずに埋もれて弾くのが好きですよね。
だからこそ、ヴィオラを選んだ、と言う・・・。
ファーストヴァイオリンを弾きたがる人の気持ちが理解できない(笑)、って言うか。

従って、例えば、ショスタコーヴィチの5番の1楽章みたいに、すごく目立つ高音のパートソリをあてがわれたりすると、「何でヴィオラにこんなの弾かすんだよぉ(怒)」とか思ったりするわけです。

あるいは、「エニグマ変奏曲」だとか、「マノン・レスコー」の間奏曲なんかのように、ヴィオラのトップにソロを弾かせるなんていう、ほんとに余計なお世話(笑)を書く作曲家もいて、で、これは私の場合なんですが、本番でみごとに玉砕したりする(爆)ことになります。

学生時代、津田塾大学弦楽合奏団「アンサンブル・フィオリータ」が、バッハの「フーガの技法」を演奏したことがある。演奏会のプログラム冊子に、「パート紹介」というのが載っていたが、ヴィオラのパート紹介には、こう書かれていた。言い得て妙、とその時思ったものだ。

  「日頃はあまり日の目を見ないこのパートも、今回はフーガという曲の性質上、時々皆様の視線
  を一手に引き受けることになりました。(中略)中庸の道を歩み、マカロニサラダのポテトの如く、
  ポテトサラダのマカロニの如く振舞って来た私達も、とうとう修羅の巷の何たるかを知る羽目にな
  ったのです(後略)」

で、今回なのだが、練習予定が発表されて、ヴィオラだけが取り残されている状況だった時に、どうして、パートの中で、誰か、「ねえ、ヴィオラだけでパート練習をしませんか」とか、「ヴァイオリンの自主練に混ぜてもらいましょうよ」とか言う人が、一人もいなかったのか?

全員、お休みでこれ幸い、と思ってしまったんだろうか?

少なくとも、私にそういう発想がまったくなかったのは、やっぱりヴィオラ弾きだからではないのか?

と気づいたのでした。

他のパートメンバーがどうだったかは、わかりませんが・・・。

  ※「ヴィオラジョーク」というのが、オーケストラの世界には存在します。 
     ↓そのサイト。笑えます。
      http://vio.la.coocan.jp/jokes/violajoke.html