3月ももう終わろうとしているが・・・。
今から38年前、1975年の3月には、3つの思い出がある。
当時、私は大学1年生。4月には2年生になる、という3月だった。
大学オケの先輩に尽力いただき、2公演分のチケットを入手した。いずれもNHKホールだった。
終演後ロビーに出たら、NHKのカメラがいた。来場客にインタビューをしているのだった。
物欲しそうな顔をして近くに立っていたら、インタビュアーが私にマイクを向けてくれたので、「最高のベートーヴェンを聴けました」とかしゃべった。これ、後日放映されました。
物欲しそうな顔をして近くに立っていたら、インタビュアーが私にマイクを向けてくれたので、「最高のベートーヴェンを聴けました」とかしゃべった。これ、後日放映されました。
ブラ1の2楽章、コンマスのソロを演奏したヘッツェル氏が、楽章の終わりにソロだけが裸になるところで弓を返したことに、一緒に聴きに行ったヴァイオリンの同期のHは興奮しまくっていた。
二晩の感動さめやらぬ中、出かけたのが、大学オケの演奏旅行だった。これが2つ目の思い出。
大学に入ってヴィオラを始めた私は、この頃、やっとヴィブラートのかけ方をおぼえたところだった。
名古屋には、父母と妹が春休みの旅行を兼ねて聴きに来てくれた。名古屋勤務だった従兄も来てくれた。
この演奏旅行の道中、ウィーン・フィルのその後の公演についても話題になった。
「ドナウ」同様、自分たちが演奏している「マイスタージンガー」も、アンコールでとりあげられた、という情報が入り、みんなでへえー、と思ったものだ。
「ドナウ」同様、自分たちが演奏している「マイスタージンガー」も、アンコールでとりあげられた、という情報が入り、みんなでへえー、と思ったものだ。
最終公演地は松本。松本城にも観光に行った記憶がある。
優勝争いは、横綱北の湖と貴ノ花が1敗で並走する展開。
相撲ファンの間には、ついに貴ノ花が悲願の初優勝をなしとげるか、との期待が日々高まっていた。
私も貴ノ花ファンであり、同様の思いで場所の推移に注目していた。
相撲ファンの間には、ついに貴ノ花が悲願の初優勝をなしとげるか、との期待が日々高まっていた。
私も貴ノ花ファンであり、同様の思いで場所の推移に注目していた。
演奏旅行の道中、もちろん新聞で取組の結果は確認したし、時間が合えばテレビも観た。
13日目、宿舎のホテルのロビーにあるテレビで、貴ノ花と魁傑の対戦を観た。貴ノ花有利な体勢に持ち込んだところで、思わず「貴ノ花、頭をつけたいな」とつぶやいたら、その後すぐに、解説の神風さんが「頭をつけたいですね」と言ったので、周囲にいたオケ仲間がおーっ、と声をあげたのをおぼえている。
13日目、宿舎のホテルのロビーにあるテレビで、貴ノ花と魁傑の対戦を観た。貴ノ花有利な体勢に持ち込んだところで、思わず「貴ノ花、頭をつけたいな」とつぶやいたら、その後すぐに、解説の神風さんが「頭をつけたいですね」と言ったので、周囲にいたオケ仲間がおーっ、と声をあげたのをおぼえている。
その千秋楽は、演奏旅行を終えて、松本から東京に帰る日だった。
幕内の取組は、移動の最中。テレビはもちろん観られないし、ラジオも持っておらず、一体どうなっているのか、わからなかった。
幕内の取組は、移動の最中。テレビはもちろん観られないし、ラジオも持っておらず、一体どうなっているのか、わからなかった。
中学の頃から注目してきた貴ノ花の相撲。
輪島と同時に大関昇進したものの、成績は低迷し、すぐに横綱に昇進した輪島に続くことができず、既に2回のカド番を経験した貴ノ花が、ついに優勝できるかもしれない、というこの千秋楽の日に、外にいてテレビを観られないことを、つくづく恨んだものだ。
輪島と同時に大関昇進したものの、成績は低迷し、すぐに横綱に昇進した輪島に続くことができず、既に2回のカド番を経験した貴ノ花が、ついに優勝できるかもしれない、というこの千秋楽の日に、外にいてテレビを観られないことを、つくづく恨んだものだ。
どれも大きな思い出であるこれら3つの出来事、思ってみれば、全部1975年3月に相次いで、あるいは並行してのことだったんだ。
当時19歳。若かったねえ。