naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

1975年3月の3つの思い出~ウィーン・フィル、演奏旅行、貴ノ花初優勝

3月ももう終わろうとしているが・・・。

今から38年前、1975年の3月には、3つの思い出がある。

当時、私は大学1年生。4月には2年生になる、という3月だった。

1つ目は、ベームウィーン・フィルの来日公演。

大学オケの先輩に尽力いただき、2公演分のチケットを入手した。いずれもNHKホールだった。

3月16日(日)、この来日公演の初日、ベートーヴェンの4番と7番。初日なので、君が代も演奏された。アンコールは「美しく青きドナウ」だった。

終演後ロビーに出たら、NHKのカメラがいた。来場客にインタビューをしているのだった。
物欲しそうな顔をして近くに立っていたら、インタビュアーが私にマイクを向けてくれたので、「最高のベートーヴェンを聴けました」とかしゃべった。これ、後日放映されました。

翌17日(月)の、「レオノーレ」3番、「火の鳥組曲ブラームス1番にも行った。今でも伝説的名演とされているブラ1だ。この時もアンコールは「ドナウ」。

ブラ1の2楽章、コンマスのソロを演奏したヘッツェル氏が、楽章の終わりにソロだけが裸になるところで弓を返したことに、一緒に聴きに行ったヴァイオリンの同期のHは興奮しまくっていた。

二晩の感動さめやらぬ中、出かけたのが、大学オケの演奏旅行だった。これが2つ目の思い出。

マイスタージンガー前奏曲、「未完成」、ブラームス2番というプログラムだった。

大学に入ってヴィオラを始めた私は、この頃、やっとヴィブラートのかけ方をおぼえたところだった。

18日(火) 沼津市公会堂
19日(水) 清水市民会館
20日(木) 名古屋市民会館
21日(金) 木祖村
22日(土) 松本市民会館

この内、清水は、静岡大学のオケとの合同演奏会だった。静岡大学管弦楽団ドヴォルザークの8番、我々がブラ2を演奏し、最後に、「マイスタージンガー」を合同演奏した。

名古屋には、父母と妹が春休みの旅行を兼ねて聴きに来てくれた。名古屋勤務だった従兄も来てくれた。

木祖村では、子ども向けの音楽教室を行った。ウィーン・フィルが演奏した「ドナウ」を、我々も演奏した。

この演奏旅行の道中、ウィーン・フィルのその後の公演についても話題になった。
「ドナウ」同様、自分たちが演奏している「マイスタージンガー」も、アンコールでとりあげられた、という情報が入り、みんなでへえー、と思ったものだ。

最終公演地は松本。松本城にも観光に行った記憶がある。

そして3つ目は、大関貴ノ花の初優勝。
この演奏旅行は、3月場所の最中だった。

優勝争いは、横綱北の湖貴ノ花が1敗で並走する展開。
相撲ファンの間には、ついに貴ノ花が悲願の初優勝をなしとげるか、との期待が日々高まっていた。
私も貴ノ花ファンであり、同様の思いで場所の推移に注目していた。

演奏旅行の道中、もちろん新聞で取組の結果は確認したし、時間が合えばテレビも観た。
13日目、宿舎のホテルのロビーにあるテレビで、貴ノ花と魁傑の対戦を観た。貴ノ花有利な体勢に持ち込んだところで、思わず「貴ノ花、頭をつけたいな」とつぶやいたら、その後すぐに、解説の神風さんが「頭をつけたいですね」と言ったので、周囲にいたオケ仲間がおーっ、と声をあげたのをおぼえている。

この場所、貴ノ花は、花道に登場して、土俵に向かう前に四股を踏んだ。それ以前の場所にはなかったことだったと思う。
その姿に場内に大きな拍手が沸くのが、毎日の恒例となっていった。

14日目、北の湖は魁傑に星を落として2敗。貴ノ花が1敗を守って単独トップに立ち、千秋楽はその両者が対戦する、という展開となった。

その千秋楽は、演奏旅行を終えて、松本から東京に帰る日だった。
幕内の取組は、移動の最中。テレビはもちろん観られないし、ラジオも持っておらず、一体どうなっているのか、わからなかった。

中学の頃から注目してきた貴ノ花の相撲。
輪島と同時に大関昇進したものの、成績は低迷し、すぐに横綱に昇進した輪島に続くことができず、既に2回のカド番を経験した貴ノ花が、ついに優勝できるかもしれない、というこの千秋楽の日に、外にいてテレビを観られないことを、つくづく恨んだものだ。

後に知った結果では、本割りでは北の湖が勝って2敗同士の優勝決定戦に持ち込んだものの、決定戦は完全に敵役にまわった形の北の湖貴ノ花が寄り切り、兄でもある二子山親方から優勝旗を受けた。

どれも大きな思い出であるこれら3つの出来事、思ってみれば、全部1975年3月に相次いで、あるいは並行してのことだったんだ。

当時19歳。若かったねえ。