先の5月場所。
この全勝対決を熱戦の末に制した白鵬が、全勝で25回目の優勝を飾ったわけだが、「13戦全勝同士の対決」というシチュエーションで思い出したのが、昭和52年9月場所。
生涯唯一の14勝1敗だったのに、その上に北の湖がいたことで、旭國は優勝を逃した。結局、旭國としては、既に何度も優勝している北の湖に、千載一遇のチャンスをつぶされた形になる。
私は旭國ファンではなかったが、大いに同情したものだった。
そして、この後、旭國は一度も優勝できぬままに土俵を去る。
私は旭國ファンではなかったが、大いに同情したものだった。
そして、この後、旭國は一度も優勝できぬままに土俵を去る。
さて、ここで話は一気に飛びますが・・・。
先日、「レコード・アカデミー賞のすべて」という本が出た。
で、ですね。
結果は以下の通り。
1972年度
カラヤン 交響曲部門
チャイコフスキー 交響曲第4番~第6番
オペラ部門
ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー
大 賞 現代曲部門
新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲全集 ラサール四重奏団
カラヤン 交響曲部門
チャイコフスキー 交響曲第4番~第6番
オペラ部門
ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー
大 賞 現代曲部門
新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲全集 ラサール四重奏団
この他に、録音部門、特別部門での受賞もあるが、これは省略。
こうして見ると、70年代から80年代、カラヤンが今に残る名盤を続々リリースしていたことがよくわかる。
部門賞に輝いたのもことごとく妥当な結果だろう。
部門賞に輝いたのもことごとく妥当な結果だろう。
しかし、うーん、一度も大賞に選ばれなかったとは、改めて不思議だ。
確かに、それに伍す、あるいは上を行く名盤が出た年もある。
しかし、どうだろう、1978年度の「ます」、1981年度のハイドンあたりは、あの「サロメ」、「パルジファル」をもってしてもだめだったのか、と思わぬでもない。
この年の大賞選考の過程は、どうだったのだろう。
しかし、どうだろう、1978年度の「ます」、1981年度のハイドンあたりは、あの「サロメ」、「パルジファル」をもってしてもだめだったのか、と思わぬでもない。
この年の大賞選考の過程は、どうだったのだろう。
また、1984年度は、ウィーン・フィルとのR.シュトラウスの「ばらの騎士」がリリースされているが、この年のオペラ部門は、大賞を受賞した、バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」が制しているので、当時、カラヤン待望の「ばらの騎士」新録音と評判になり、今に至るまで旧盤と甲乙つけ難い屈指の名盤と評価されている、このレコードは、部門賞すら取れなかったわけだ(この年の録音部門で受賞してはいるが)。これは、特に不運なことだったと思う。
前記の本で、「カラヤン大賞なしの不思議」について、座談会で語られているのだが、この中で、小林利之氏が「私の印象では、大賞の決選投票に残ったこともほとんどないはず」、歌崎和彦氏が「あまりの人気に反感もあったのかもしれません」と発言している。
反感云々はどうかわからないが、毎年のように部門賞を獲っていることが却って災いし、選定委員の間に、カラヤンにはいつでも大賞のチャンスがある、どう転んでもいつかはチャンスがある、という空気があったのかもしれない。
そんな推測をしたりする。