naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

カラヤンは誰に敗れてレコード・アカデミー大賞を受賞できなかったか

先の5月場所。

 

14日目に、白鵬稀勢の里が13戦全勝同士で対戦した。

 

この全勝対決を熱戦の末に制した白鵬が、全勝で25回目の優勝を飾ったわけだが、「13戦全勝同士の対決」というシチュエーションで思い出したのが、昭和52年9月場所。

 

この場所は、横綱北の湖大関旭國が初日から13連勝して、14日目に対戦した。
これに勝った北の湖が9回目の優勝を全勝で飾った。そして、旭國は14勝1敗で場所を終えた。

 

旭國にとって、14勝1敗は十両幕内を通じて、ただ一度のこと。生涯最高の成績だったわけだ。

 

生涯唯一の14勝1敗だったのに、その上に北の湖がいたことで、旭國は優勝を逃した。結局、旭國としては、既に何度も優勝している北の湖に、千載一遇のチャンスをつぶされた形になる。
私は旭國ファンではなかったが、大いに同情したものだった。
そして、この後、旭國は一度も優勝できぬままに土俵を去る。

 

さて、ここで話は一気に飛びますが・・・。

 

 

先日、「レコード・アカデミー賞のすべて」という本が出た。

 

   ※その時の過去記事
       レコード・アカデミー賞のすべて
          http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/63537989.html

 

この本で、アカデミー賞の最大の謎として、賞の常連だったカラヤンが、一度も大賞を受賞していないことが指摘されていた。

 

で、ですね。

 

旭國北の湖の関係のように、カラヤンは一体誰に大賞をさらわれてしまったのか、これを改めて確認したくなったわけです。

 

結果は以下の通り。

 

1966年度
   カラヤン 交響曲管弦楽曲部門 
           R.シュトラウス ドン・キホーテ
   大  賞 オペラ・歌曲・合唱曲部門
           ベルク ヴォツェック ベーム

 

1969年度
   カラヤン 協奏曲部門
           ドヴォルザーク チェロ協奏曲 (ロストロポーヴィチ)
   大  賞 特別部門
           ドイツ歌曲大全集 フィッシャー=ディースカウ

 

1971年度
   カラヤン 協奏曲部門
           ベートーヴェン 三重協奏曲 (リヒテルオイストラフロストロポーヴィチ)
   大  賞 特別部門 日本人作品
           現代日本チェロ名曲体系 岩崎 洸 他

 

1972年度
   カラヤン 交響曲部門
           チャイコフスキー 交響曲第4番~第6番
        オペラ部門
           ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー
   大  賞 現代曲部門
           新ウィーン楽派弦楽四重奏曲全集 ラサール四重奏団

 

1974年度
   カラヤン オペラ部門
           ヴェルディ オテロ
   大  賞 交響曲部門
           ブルックナー ロマンティック ベーム

 

1978年度
   カラヤン オペラ部門
           R.シュトラウス サロメ
   大  賞 室内楽曲部門
           シューベルト ます ブレンデルクリーヴランド四重奏団員

 

1979年度
   カラヤン オペラ部門
           ヴェルディ ドン・カルロ
   大  賞 現代曲部門
           ウェーベルン全集 ブーレーズ

 

1980年度
   カラヤン オペラ部門
           ヴェルディ アイーダ
   大  賞 交響曲部門
           ベートーヴェン 交響曲全集 バーンスタイン

 

1981年度
   カラヤン 協奏曲部門
           メンデルスゾーンブルッフ ヴァイオリン協奏曲 (ムター)
        オペラ部門
           ワーグナー パルジファル
   大  賞 ハイドン 歌曲全集 アメリンク、デムス

 

1984年度
   カラヤン 交響曲部門
           マーラー 交響曲第9番
   大  賞 オペラ部門
           ワーグナー トリスタンとイゾルデ バーンスタイン

 

2012年度
   カラヤン オペラ部門
           モーツァルト フィガロの結婚
   大  賞 協奏曲部門
           ベルク、ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 ファウストアバド

 

この他に、録音部門、特別部門での受賞もあるが、これは省略。

 

こうして見ると、70年代から80年代、カラヤンが今に残る名盤を続々リリースしていたことがよくわかる。
部門賞に輝いたのもことごとく妥当な結果だろう。

 

しかし、うーん、一度も大賞に選ばれなかったとは、改めて不思議だ。

 

確かに、それに伍す、あるいは上を行く名盤が出た年もある。
しかし、どうだろう、1978年度の「ます」、1981年度のハイドンあたりは、あの「サロメ」、「パルジファル」をもってしてもだめだったのか、と思わぬでもない。
この年の大賞選考の過程は、どうだったのだろう。
 
また、1984年度は、ウィーン・フィルとのR.シュトラウスの「ばらの騎士」がリリースされているが、この年のオペラ部門は、大賞を受賞した、バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」が制しているので、当時、カラヤン待望の「ばらの騎士」新録音と評判になり、今に至るまで旧盤と甲乙つけ難い屈指の名盤と評価されている、このレコードは、部門賞すら取れなかったわけだ(この年の録音部門で受賞してはいるが)。これは、特に不運なことだったと思う。

 

前記の本で、「カラヤン大賞なしの不思議」について、座談会で語られているのだが、この中で、小林利之氏が「私の印象では、大賞の決選投票に残ったこともほとんどないはず」、歌崎和彦氏が「あまりの人気に反感もあったのかもしれません」と発言している。

 

反感云々はどうかわからないが、毎年のように部門賞を獲っていることが却って災いし、選定委員の間に、カラヤンにはいつでも大賞のチャンスがある、どう転んでもいつかはチャンスがある、という空気があったのかもしれない。

 

そんな推測をしたりする。