naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

札幌交響楽団東京公演

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5日(水)、サントリーホールで行われた、札幌交響楽団の東京公演を聴いた。

毎年、この時期に札幌交響楽団が東京で演奏会を行っていることは知っていた(既に26年目になるようだ)が、これまで聴きに行ったことはなかった。

今回は、よくクラシックの話をする、会社の先輩との会話の中で、この演奏会が話題になり、その先輩は行くつもりだと聞いていた。

他ならぬシベリウスプログラムだし、私も行ければと思いつつ、当日時間がとれるか不明なので、チケットは買わずにいた。

幸い、行ける状況だったので、当日券を買い求めて、開演5分前に席に着いた。
1階17列5番。

ホクレン クラシック スペシャル 札幌交響楽団東京公演2014
   日 時 2014年3月5日(水) 19:00開演
   会 場 サントリーホール
   指 揮 尾高忠明
   管弦楽 札幌交響楽団
   曲 目 シベリウス 組曲「恋人」
        シベリウス 交響曲第4番イ短調
        シベリウス 交響曲第2番ニ長調
        [アンコール] シベリウス 悲しきワルツ

尾高先生の指揮する演奏会を聴くのは、いつ以来だろうか。
先生の指揮で一度だけ演奏したことがある。もう10年前のことになる。

冒頭の「恋人」。実演でじっくり聴くのは初めてだが、シベリウスらしい佳曲。
1楽章を聴いていると、どこか、ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」を思い出させられる。
基本、弦楽合奏で、ティンパニとトライアングルが、ちょっとだけ加わる。

今回の演奏会で、最も楽しみにしていたのが、4番だ。

個人的には、この4番は、シベリウスの神髄と言える音楽ではないかと思っている。

これまでに、4番を実演で聴いたことがあっただろうか。たぶん今回が初めてだ。

改めて、何という音楽だろう、と思った。

あまりにも独特の世界だ。

ある種の音楽、ある種の演奏を評する際に、「聴き手に媚びない」という表現がされることがあるが、シベリウスの4番は、それともちょっと違う。

何と言うのか、そもそも「何かを聴かせよう」としてさえいないように思うのだ。

孤高、という言葉は、何かニュアンスが微妙に違う。

どうにも形容し難い音楽だ。

聴いていて、個人的に気がついたのは、この曲は、「おぼえて歌う」ことができない。

2番なら、冒頭から、メロディラインを思い出しながら歌っていくことができるが、この4番は難しい。

音楽が鳴っている間は、そうそう、4番というのは、こういう音楽、こういうメロディ、と頭の中で納得しながら聴いているのだが、一瞬後には、今聴いていたのがどういう音楽だったのか、忘れてしまうわけではないにせよ、聴いた音楽のイメージが混沌とした形でしか残らない。

極度に具体性を欠く音楽、と言ったらよいのか。

各楽章の終わり方など、どれも、「そろそろこれで終わりますよ」という気配がないまま、突然に聴き手を放り出すようにして、途切れてしまう感じだ。

もう一つ思ったのだが、この曲は、演奏していて面白いんだろうか。
自分自身、過去に演奏経験がある2番だと、曲の盛り上がりでの爽快感だとか、アンサンブルの妙味だとか、全曲の締めの達成感だとか、普通のシンフォニーに通ずる面白さがあるだろうと感じるのだが、この4番は?

何か、弾いていて、「楽譜に書いてあるから弾いたけど、それがどうした」的な感じがないのかなあ、と思った。
(過去に一度だけ、この4番を譜読みしたことがあるが、もう昔のことで記憶が定かでない)

ともかく、4番の魅力をあれこれ感じさせてもらいながら、聴いた。

4楽章の疾走感は、3番や6番につながるものがある。シンフォニーにはまず使われないグロッケンシュピールをここで用いたことの必然性も痛感。

休憩の後は、2番。

同じシベリウスでも、4番に比べれば、格段にわかりやすく、通俗的な音楽であることは間違いない。

聴いていて、突然、宮沢りえを思い出した。
まだ10代の頃、少女役としての宮沢りえ、「ドリームラッシュ」を歌っていた宮沢りえ
(「サンタフェ」、買いました。まだ持ってます)
年齢を重ねて40歳になり、さらに美しく、しっとりとした大人の女性になった彼女。
どちらも彼女の魅力であって、20年余りの時の経過とともに彼女を見てきた側を納得させるものがある。

同様に、2番も、4番も、シベリウスその人が、時の経過の中で残してくれた、タイプの異なる音楽だ。

しかし、そういう感じ方とは別に、今回の演奏会、4番に続いて2番を聴いていて、指揮者がそういう音楽作りをした面もあるのだろうが、2番の一般的なイメージよりは、ずっと渋い感じの音楽に聞こえた。

2番と4番、そんなに遠い音楽ではない、と感じた。

1楽章と2楽章は、ほぼアタッカで演奏された。こういう演奏は初めて聴く。

4番では、ホルンがやたらゲシュトップトの音ばかりで、そういう書き方なんだ、と気づかされていたが、そのホルンの楽員も、2番では思い切り発散できたかもしれない、と思った。

4楽章のテンポが、私の好みからすると速い。ちょっと残念だった。

しかし、この4楽章、トロンボーンがとてもよかった。まず、楽章冒頭の和音の刻み。個人的には、ここには結構こだわりがあって、長年レコードで聴いていても、テンポが決まって満足できる例がほとんどなかったのだが、札響、すばらしかった。
それから、コーダも、この曲はトロンボーンあってこそ、と痛感させられる見事な演奏だった。

その曲締めも、「わめかないシベ2」が貫かれた。やはり指揮者のコンセプトだったのだろう。

前にも何度か書いたが、私にとって、シベ2は特別な曲だ。大学に入って、管弦楽団に入部し、ヴィオラを始めて、初めて弾いたシンフォニーがシベ2だったからだ。
それまで、この曲は聴いたことがなく、練習の過程でレコードを聴いておぼえていった。

富浦の大学施設での夏合宿。畳の部屋での合奏で、2楽章の冒頭、コントラバスのピツィカートがチェロに受け継がれるところが強く印象に残ったのが、昨日のことのようだ。

19歳での演奏以来、今年で40年。変わらず大切な曲であり続けているシベ2を、久々の実演で聴けて満足した。

アンコールは、「アンダンテ・フェスティーヴォ」を期待したが、「悲しきワルツ」が演奏された。

この北国のオーケストラは、昨年からシベリウス交響曲の全曲チクルスに取り組んでいる。昨年は1番と3番がとりあげられ、レコーディングもされた。
来年2月には、札幌での定期演奏会で、5番、6番、7番が演奏される。
おそらく、来年の東京公演も同じ曲目になるだろう。これは、今年以上に楽しみだ。絶対に聴かねば。

すばらしい演奏会が聴けた幸せを感じつつ、帰途についた。

出口で、上から2枚目の画像にある、ホクレンの「てんさい糖」が配られていた。ありがとうございます。

<追記>

吉田秀和氏は、著書「LP300選」(今は「名曲300選」のタイトルでちくま文庫から出ている)で、シベリウスについて、あまり好意的でない記述をしている。

「多くの交響詩と7曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲で有名だし、彼よりも1年年長のR・シュトラウスの向こうをはって、長生きしたおかげで、特に英米の批評家からは、現代音楽家に数えられているけれど、作風としては、民族主義的ロマン派中の大家とみて、差支えあるまい。(中略)交響曲も、伝統的なものに多少目新しい変化もつけはしたが、実は、マーラーほどの革新も行ってないのである」。

そして、古今の名曲の中から300曲を選ぶという、本書の趣旨の中で、シベリウスについては、「私が無理にえらぶとすれば、まあ、「交響曲第2番」ということになろうか」と、1曲だけを採っている。

シベリウスファンとしては、誠に残念なことだ。

「LP300選」が刊行されたのは、1962年(昭和36年)のことだ。

以後、一昨年に亡くなるまでの間、氏がシベリウスについての認識を変化させたかどうか、不明にして知らないのだが。

※関連の過去記事
    一発オケの思い出②~シベリウス交響曲を演奏する会(01年10月)
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/34589605.html
    一発オケの思い出③~「兼松講堂リニューアル記念コンサート」(04年6月)
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/34589780.html