naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

10年前に明治村で投函した手紙が届いた

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今日12日(日)、郵便受けを開けてみたら、こんな封書が入っていた。

宛名は、私と妻の連名。私自身の字だ。

封緘のト音記号のマークは、妻が書き込んだものだ。

そうか、あの手紙が届いたんだ、と気づいた。

10年前に、明治村の中にある郵便局から投函した手紙なのだ。

2006年6月16日(金)~18日(日)、2泊3日で、妻と名古屋に旅行した。

金曜日は、仕事を終えてから、夜の新幹線で名古屋に行き、日曜日の午後には帰京したから、短い旅行だった。

観光の目玉として行ったのが、明治村だった。

園内を歩いていると郵便局があり、ここから手紙を投函すると、10年後に届く、という案内があったので、書いて投函したのだった。

※その過去記事
    名古屋旅行⑤~博物館明治村4~「はあとふるレター」を投函
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/37994723.html

あれから10年。

この間、この手紙のことをまったく忘れていたわけではなく、時々は思い出すことがあった。

小田(和正)さんが、明治村が好きで、ツアーのご当地紀行の時に、明治村が出てきたりもしていたし。

しかし、まさに10年が経過する、2016年6月の今は、頭になかった。

郵便受けを開けて、そうだった、今年だったんだ、と思った。

ところで、10年後に届く手紙を投函したことはおぼえていても、その時に何を書いたかはまったくおぼえていなかった。

そんなわけで、開封する時は、ちょっとどきどきした。

開けてみると、明治村の便箋が2枚。私と妻が1枚ずつ書いたものだ。

私の手紙はこういう文面だった。

   2006年6月16日夜 東京を出発、ハミルトンホテル泊。
    ↑51才の誕生日 1か月前。
   「世界の山ちゃん」伏見店で飲食。
   17日朝 名鉄、バス乗り継ぎでやってまいりました。

      1975年3月に、父、母、妹がここに来ている
      そうで、以来31年、やっと来ました。

   2016年
      株式会社○○○(勤務先名)の社業は隆盛であるか。
      自分は会社で何をしているか (2006年6月 営業企画部 課長)
      まだ楽器を続けているか。

      皆元気でいるか。 元気でいて、この手紙を
      開封できたら。

「やってまいりました」は、小田さん意識か?(笑)

園内の旧帝国ホテルを、小田さんが建築物として高く評価しているのは、この時知っていたと思う。

2016年に向けての記述。

おかげさまで、社業は隆盛、自分は定年後もまだ元気で働いている。

楽器も続けている。来週からは、秋の定期演奏会に向けてスタートだ。

「皆元気でいるか」の「皆」は、妻だけでなく、もちろん親のことも意識していた。残念ながら、父と母は他界してしまったが、妻の母は元気で、今日も妻と東京まで出かけてきた。
(妻の父は、手紙を書いた4年前に既に逝去)

とにかく、手紙の宛先である私と妻が、今日、元気でこの手紙を開封できたことを、何よりの幸せと思いたい。

そういう気持ちで、後でビールを飲もう。

明日の通勤時には、小田さんが明治村のために書いた、「この街」(「小田日和」収録)を聴こう。