今日12日(日)、郵便受けを開けてみたら、こんな封書が入っていた。
宛名は、私と妻の連名。私自身の字だ。
封緘のト音記号のマークは、妻が書き込んだものだ。
そうか、あの手紙が届いたんだ、と気づいた。
10年前に、明治村の中にある郵便局から投函した手紙なのだ。
2006年6月16日(金)~18日(日)、2泊3日で、妻と名古屋に旅行した。
金曜日は、仕事を終えてから、夜の新幹線で名古屋に行き、日曜日の午後には帰京したから、短い旅行だった。
観光の目玉として行ったのが、明治村だった。
園内を歩いていると郵便局があり、ここから手紙を投函すると、10年後に届く、という案内があったので、書いて投函したのだった。
あれから10年。
この間、この手紙のことをまったく忘れていたわけではなく、時々は思い出すことがあった。
しかし、まさに10年が経過する、2016年6月の今は、頭になかった。
郵便受けを開けて、そうだった、今年だったんだ、と思った。
ところで、10年後に届く手紙を投函したことはおぼえていても、その時に何を書いたかはまったくおぼえていなかった。
そんなわけで、開封する時は、ちょっとどきどきした。
開けてみると、明治村の便箋が2枚。私と妻が1枚ずつ書いたものだ。
私の手紙はこういう文面だった。
1975年3月に、父、母、妹がここに来ている
そうで、以来31年、やっと来ました。
そうで、以来31年、やっと来ました。
2016年
株式会社○○○(勤務先名)の社業は隆盛であるか。
自分は会社で何をしているか (2006年6月 営業企画部 課長)
まだ楽器を続けているか。
株式会社○○○(勤務先名)の社業は隆盛であるか。
自分は会社で何をしているか (2006年6月 営業企画部 課長)
まだ楽器を続けているか。
「やってまいりました」は、小田さん意識か?(笑)
園内の旧帝国ホテルを、小田さんが建築物として高く評価しているのは、この時知っていたと思う。
2016年に向けての記述。
おかげさまで、社業は隆盛、自分は定年後もまだ元気で働いている。
楽器も続けている。来週からは、秋の定期演奏会に向けてスタートだ。
「皆元気でいるか」の「皆」は、妻だけでなく、もちろん親のことも意識していた。残念ながら、父と母は他界してしまったが、妻の母は元気で、今日も妻と東京まで出かけてきた。
(妻の父は、手紙を書いた4年前に既に逝去)
(妻の父は、手紙を書いた4年前に既に逝去)
とにかく、手紙の宛先である私と妻が、今日、元気でこの手紙を開封できたことを、何よりの幸せと思いたい。
そういう気持ちで、後でビールを飲もう。
明日の通勤時には、小田さんが明治村のために書いた、「この街」(「小田日和」収録)を聴こう。