naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「迷惑なヴィオラ」ほど世の中にいらないものは無い

昨16日(土)に銀座山野楽器で買った、「サラサーテ」最新号。

ヴィオラに恋して♪」という特集が組まれているが、その中に、今井信子、百武由紀、小栗まち絵、3先生の特別鼎談、「ヴィオラを伝える」が載っている。

今井先生の発言。「「ヴィオラの音でクァルテットは決まる!」、そのくらいのプライドが私にはあります」。さすが。

同じく今井先生。「「ヴィオラだから引っ込んでおこう」という人では駄目です(笑)」。あ・・・。

浦安のヴィオラは、このタイプが多いような・・・(苦笑)。

百武さんの発言。「昔は正直言ってヴィオラの人権は無かった」。そうなんだ。プロの世界でも、ヴィオラってそういうポジションだったのか。

この鼎談での話によると、今井先生が、ヴィオラが中心になる演奏会を始めたことで、ヴィオラが市民権を得たのだという。「学校の中でもヴィオラを中心に語ってもいいんだということになりました」、と百武さん。

色々な話の中で、心に残ったのは、同じく百武さんの発言だが、「私はよく「迷惑をかけるヴィオラにだけはなるな」って、学生たちに言いますね。音程であれ、人間性であれ、“迷惑なヴィオラ”ほど、世の中にいらないものは無いって思います。ヴィオラはすべてがちゃんとしてなければ駄目です」。

これを受けて、今井先生が、「外国に行くと、“迷惑なヴィオラ”ばっかりですけどね(笑)」。

ヴィオラのプロをめざす学生について語っている場面ではあるが、それを脇に置いても、「迷惑なヴィオラ」という言葉には、思わず我が身をふりかえってしまう。

「迷惑なヴィオラ」ほど、世の中にいらないものは無い、か。

裏を返せば、ヴィオラって、それだけ大事だってことだね。

人間性にまで言及されているのだから、ヴィオラは特別な楽器だということなのだろう。

「すべてがちゃんとしてなければ駄目」、か・・・(汗)。

少しでもがんばります。