アンコール含めて、約3時間のライブ。さて、仙台に帰らねば。
会場を出て、シャトルバス乗り場へ向かう。さっき、バスを下りたよりも奥の方に、たくさんのバスが並んでいる。急ぎ足で、そっちへ。
会社で夜間工事の時に使う照明があたりを照らしている。
係員の誘導に従って、バスに乗り込む。
我々のバスは、21:30に出発。
帰りは、違うルートをとったようで、コボスタ宮城の脇などを通って、30分足らずで仙台駅東口近くに着いた。
宿泊先のホテル近くの居酒屋で、妻と飲み食いしながら、ライブを振り返った。
私は、最初の何曲かでは、小田さんの歌とバンドの演奏に齟齬を感じた。これは、音響機材の連携の問題だったかもしれない。やがて解消された。
妻の印象では、小田さんもバンドも雑だったと感じたと言う。
私は、ツアーも始まって3ヶ月経ち、ちょうど折り返しというには、どこか練れていないような印象を受けた。ただ、それは、今回のセットリストを初めて聴くこちらの事情かもしれないとも思う。来週、福岡で聴く時にはどうだろう。
いずれにしても、小田さんに疲れが見えたことは、妻と一致。山寺に上った件もあるしね。2曲目の「こころ」で、「世界中で一番」を最後に一段高音域で歌う時に、そこの声が十全に出なかったのを聴いて、えっ? と思った。
客席にマイクを向けたり、客席が歌うにまかせたり、と、途中、自分が歌うのを休むのは、今に始まったことではない。ただ、それ以上に、ちょっと「万全でなさ」が目立ったような気がする。
走る場面も減ったし。
妻と話していて、ふと思ったのが、マウリツィオ・ポリーニのことだった。
2012年、そして今年と、遅まきながら、ポリーニの実演に接した。そこで聴いた、生のポリーニは、私が学生時代から、ショパンのプレリュードやシューベルトの「さすらい人幻想曲」など、数々のレコードで聴いてきた、圧倒的な完璧さを感じさせてくれたわけでは、必ずしもなかった。どう受け止めたらいいのか、難しいものがあった。
それはやはり、年齢を重ねる、ということとは切り離しては考えられないことであり、もっと前に、ポリーニの実演を一度は聴いておくべきだった、と思った。
今回のライブ、「時に愛は」で、5人のオフコースの、あの完璧無類なパフォーマンスを思い出したりしたが、それと、今の小田さんが聴かせてくれるものをどうとらえるか。
私は、ライブ会場に着席すれば、ああ、またこの空間に戻ってくることができた、と実感し、幸せに感謝する。そして、3時間という時を、かけがえのないものとしてかみしめながら過ごす。これはいつものことだ。
ただ、ツアー中、9月には、小田さんも69歳となる。
ポップス系のアーティストが、老境と言える年齢に達するのは、日本の音楽シーンにおいては、今が最初の局面だ。このことは、これまでも何度か書いてきた。
その一つに、かつてmixiの小田コミュニティに書き込んだ文章がある。その中で、私は、かつて完璧指向だった小田さんは、老醜をさらすこともいとわずに、ステージに上がり続けるのではないか、と書いた。そのことも、今回、ふと思い出した。
これを書いたのは、10年前のことだが、確実に時は流れている。
今次ツアー、チケットが確保できているのは、今のところ、来週の福岡、そして、10月の横浜だ。できればもう1回、代々木には行きたいが・・・。
残るツアーのステージに接する中で、小田さんの今後について、もっとわかってくるだろう。