naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

たった一つのCの音~「田園」第5楽章

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  絶妙な、このC。



父の通院で病院に行って並ぶ時は、レコードを聴きながら過ごすことが多い。

昨18日に並んだ時は、コンヴィチュニー=ゲヴァントハウスの「田園」他を聴いた。

この「田園」は、ドイツ・シャルプラッテンから廉価盤で出た全集のものだ。
オケのサウンドがインターナショナルになってしまった今は失われた古きドイツの響き、と評される演奏である。

確かに、飾り気のない響きだ。ぶっきらぼう、と感じる部分もある。
自分の好みとしてどうか、というと、やはり「田園」に関しては、もう少し近代的な、うるおいというか華のある響きがほしい気はする。
「嵐」のティンパニなどは、「打ち込む」というたたき方ではない。まったく効果をねらわない、地味な音を「添えていく」感じだ。
よく宇野功芳氏が、「死んだ気の一撃」などというが、それとは正反対だ。
しかしこれは、大きい個性であり、時代の記録として貴重なんだろうと思いながら聴いた。

この演奏を聴きながら、いつものことだが、また思ったのは、「田園」は、やっぱり第2楽章と第5楽章だよなあ、ということだ。

特に第5楽章。
本当に、何と感動的な音楽なのだろう。「心洗われる」というのはこういうことを言うのだとつくづく感じる。

ところで、その第5楽章に、ヴィオラ弾きとして本当に嬉しい音符を見つけた。
私個人にとっては、「田園」という曲は、今回の演奏会でやることになって、初めて弾く曲なので、譜読みから今日まで、色々発見があった。
そんな中の一つだ。

ファーストヴァイオリンが主題を奏でる裏でヴィオラが奏するCの伸ばしである(写真)。
この部分、クラとファゴットが作るハーモニーにヴィオラが加わる。メロディの他は、チェロがピツィカートでリズムを刻むだけ。誠にシンプルなオーケストレーションだ。
何ということのない、たった一つのCの音を伸ばすだけ(少し上下に動くが)。それ以上のしかけはない。他の弦パートが一緒にハーモニーを作ることもしていない。
しかし、このCが実に絶妙な美しさだと思う。

先週の合宿でこの部分を弾いていて、そのことを強く感じ、「ヴィオラ弾きにはたまんねえな」と思った。
前にも書いたが、こういう部分で、メロディを弾いている人をうらやましく思うようでは、ヴィオラ弾きは務まらない。そのメロディを聴きながら、このたった一つのCをきれいに響かせていることに生き甲斐を感じるのが、ヴィオラ弾きなのだ。

嬉しいことに、ロンド・ソナタ形式だから、このCは何度も楽しむことができる。
本番までまだまだ他にも新しい楽しみを見つけていきたいものだ。