naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

新入社員現場研修の思い出

昨19日の晩、在京の同期入社の者での飲み会。
78年4月の同期入社は、事務系7人、技術系11人の合計18人だったが、現在は合計16人在籍している。
内、東京近辺に勤務していて、声をかければ集まれる、というのが現在8人。

昨晩はその8人全員が集まった。

今年4月の異動で、我々の新入社員現場研修の時の先生であるK氏が、本社に転入してこられた。
昨晩は、そのK部長もゲストにお誘いし、ちょうど時期もあの研修が行われていたこの4月、先生を囲んで思い出話を、という趣向。

ちょっとその現場研修の話を。

78年3月、大学を卒業した後、会社の指示に従って、とりあえず家財道具は、国立のアパートから一旦実家に移した(配属先未定のため)。

入社式の後、今はもうなくなってしまったが、逗子にある会社の保養所を宿舎にして、1週間くらいだっただろうか、本社に通い、オリエンテーションを兼ねた座学の形での研修を受けた。
その中で、以後は現場研修になる、と知らされた。

現場研修の場所は成田市であった。
新入社員18人全員は、最初しばらくは千葉市内にある会社の研修施設から車で30分余りをかけて現場に通い、途中からは、現場すぐそばの工事事務所宿舎に寝泊まりし、5月半ばまでの約1ヶ月、現場作業に従事した。
事務系の者も含めて、作業服、安全靴、ヘルメットを支給され、朝早くから現場に出て、夕方宿舎に戻るまで、毎日、「ドカタ」をやった。

国鉄に就職した8歳上の従兄が、入社当初の研修で、電車の運転や改札口でのもぎりをしたという話を聞いていた。その職種のために入社したのではなくても、研修として、最前線の業務を経験させるのが当時の国鉄の考え方だということだった。
だから、自分が現場作業をさせられることには、格別の抵抗はなく、社会に出たというのはそういうことなのだ、と思った。
ただ、休みに実家に帰った時に、毎日の屋外作業ですっかり日焼けした顔を見た両親は、少なからずショックを受けていた。

作業の内容は、測量に始まり、スコップを持っての土工、交通整理など、様々だった。
ダンプで運び込まれてくる資材の検収(ダンプの荷台に上って納入数量を測る作業)もあった。
ダンプの荷台の上げ下げを呼び子(笛)で指示して、採石を、小さな山の形に点々と下ろさせるのは、すぐ巧くなって、結構自信があったりした。

工事事務所宿舎では、プレハブ2階の大部屋に18人が布団を並べての雑魚寝。
当然に、寝る前は、その一角に集まってよく飲んだりした。その延長線に、今でもやっている同期会がある。

現場作業そのものに疲労困憊したという記憶はあまりないが、学生時代のアパート生活では、昼夜を問わずレコードばかり聴いていた私である。
仮住まいの宿舎ではステレオを持ち込む訳にもいかないし、まして雑魚寝の環境である。ラジカセと何本かのカセットテープ(確かさだまさしとかアリスとか)を持ち込んでいて、僅かな時間を見つけてはそれを細々と聴いていたが、自由に音楽を聴けない生活は、やはり辛かった。
(若い方は驚くかもしれないが、まだウォークマンというものはその頃はなかったのだ)

現場との往復はマイクロバスだったのだが、ある日の夕方、作業を終えて帰る車中で、ふと、「アルルの女」第2組曲の「メヌエット」を、頭の中でたどって声には出さずに歌っていた時に、メロディのあまりの美しさに、突然涙がこぼれそうになったことがあった。
今でもこの曲を聴くと、その時のことを思い出す。

それから、休みが少ないこともこたえた。当時、私の会社はまだ週休二日制ではなかったので、土曜日の休みがないことには、文句も言えなかったが、ゴールデン・ウィークくらいは、カレンダー通りに休ませてもらえるものと期待していた。
しかし、現場がちょうど大詰めの段階にきており、そうは行かなかった。結果としては、この1ヶ月の現場研修、日曜日だけが休みで、祝日は作業であった。
仕事って、厳しいんだ、と痛感させられたものだ。

その連休中の4月29日、大学オケの演奏会があった。
一橋のオケ、津田塾大学弦楽合奏団と、東京学芸大のオケの合同演奏会である。
前年の暮れに、現役最後となる定期演奏会を終え、卒業までは、この合同演奏会の曲(リスト「前奏曲」、「未完成」、ショス5)の練習には参加させてもらっていた。
入社後どこにいるかは、卒業の段階ではまったくわからなかったので、演奏に参加することは考えていなかったが、現場研修は幸いにも成田、演奏会場は立川である。「聴きには行けるだろう」と期待していた。
4月29日は土曜日、かつ祝日(当時は天皇誕生日)であった。
しかし、その日が近づくにつれ、どうも当日は作業があるらしい、という気配が濃厚になってきた。
この現場研修では、「雨が降ればその日は休み」だった。
建設業界では「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」という言葉があるくらいなのだ。
4月29日は、しかし雨にはならず、朝から通常通りの作業となった。
曇り空ではあった。「今ならまだ間に合う、雨になってくれないかなあ」と、空を何度も見上げたのを覚えている。
しかし、結局雨は落ちてこず、遂に演奏会には行けなかった。
今でも思い出すとちょっとせつない思い出である。

この現場研修、18人が2班に分かれ、同じ敷地内の2つの工事に従事していた。
前述のK部長は、私の属する第2班の担当教官であった(もう1班の担当のH先生とは、数年後に、私が現場勤務をしていた頃、一緒になったが、残念ながらその後物故)。
「新入社員研修の先生」というのは、やはり特別な存在である。今の新入社員に至るまで、常にそうだろうと思う。

話は戻るが、そんなことで、昨晩の在京同期の飲み会、本社に異動してこられたK部長を囲んで、ということになった訳だ。
K先生からも、我々からもその研修での思い出話が次々に飛び出し、大いに盛り上がったのだった。
だいぶ飲んでしまったが、楽しかった。