(このブログでは、個人的な方針として、暗い話や、読んで楽しくない話はできるだけ書かないようにしていますが、今回は、1本書いておかないと、自分の気持ちが先に進めない気がしているので、すみません)
母が急逝した。79歳だった。
5日(月)、普段通りに出社。いつもの習慣で、腕時計をはずしてデスクに置く時に、ベルトの止め金具がはずれて落ちた。
ほどなく、携帯電話に着信。母が倒れたとの一報だった。4日前の夕方、電話で話したばかりだったのに。
急ぎ、木更津の実家に向かう。下りの京葉線で新浦安を通過するあたりで、死亡確認の連絡。
実家に到着して以後は、喪主としてやらなければならないことが次々に出てきて、追い立てられるように、突き動かされるように、何やら夢を見ているように時間が過ぎた。
折から、あの台風が接近する中のことだった。
告別式の8日は、夜中から激しい雨と風。どうなることかと思ったが、朝、家を出る時には雨は降っておらず、日さえ差していた。
しかし、やはり寺での式の間にたたきつけるような雨が降り出した。会葬の方々に申し訳ない。
ところが。
出棺の時になって、雨がやみ、空が晴れた。母の徳か。
よかった・・・。
出棺の時になって、雨がやみ、空が晴れた。母の徳か。
よかった・・・。
この数日間、泣くまいと自分に言い聞かせていたが、一度だけ泣いてしまった。
それは、家に置いてあった棺が、通夜に向けて運び出された時。
それは、家に置いてあった棺が、通夜に向けて運び出された時。
今の家は、79年の10月に父が新築したもの。ちょうど30年経つ。
30年間、あれこれ手入れをして、きれいに維持してきた家を、今、出ていかなければならないのだ。
運び出される母の棺を見送りながら、この時だけ、どうしてもこらえることができなかった。
雨の中、棺が去っていく庭には、母が丹精込めた金木犀が香っていた。
30年間、あれこれ手入れをして、きれいに維持してきた家を、今、出ていかなければならないのだ。
運び出される母の棺を見送りながら、この時だけ、どうしてもこらえることができなかった。
雨の中、棺が去っていく庭には、母が丹精込めた金木犀が香っていた。
葬儀後も、後始末はさまざまあるので、木更津の家との間を行き来している。
月並みだが、喪失感。
当たり前だけど、生まれてこの方、母が生きていないのって、54歳にして初めてだもんねえ。
家の中に、生身の母は既におらず、遺影写真としてだけそこにいる。
「ちょっと、あんた」と、台所から私を呼ぶ声が聞こえてきそうな気がする。
当たり前だけど、生まれてこの方、母が生きていないのって、54歳にして初めてだもんねえ。
家の中に、生身の母は既におらず、遺影写真としてだけそこにいる。
「ちょっと、あんた」と、台所から私を呼ぶ声が聞こえてきそうな気がする。
母は昔から新しい物好きで、パソコン歴も既に12年、デジカメなどは、私よりも早くに買い求め、どちらも今は2台目を使っていた。
このブログも、一番熱心で大切な読者を一人失ってしまった。
少し前、Suicaのチャージをする時に、カードを、表裏、前後逆にしても、機械は対応する、という記事を書いた。その中で、「次は、チャージ不足を承知で、自動改札を強行突破してみるか」という冗談を書いたら、先月、父の定期通院で母と会った時に叱られた。「そんなことは冗談でも書くもんじゃない」。
私と妹を厳しく育ててきた母らしい言い方だった。
思ってみれば、これが母の顔を見た最後になった。
私と妹を厳しく育ててきた母らしい言い方だった。
思ってみれば、これが母の顔を見た最後になった。
家に帰り、遺影に線香をあげていても、また何か小言が聞こえてきそうな(笑)、そんな気が、いまだにする。
(更新が滞りましたが、この記事を区切りに、また少しずつ普通に記事を書いていけるようになれたら。そんなふうな思いもあり、正直、ちょっと頑張ってですが、書きました。このような内容の記事を読んで下さってありがとうございました)