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ビートルズのモノーラルリマスター盤

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  記事タイトルと関係ない写真じゃないか、とお思いでしょうが・・・




ビートルズのリマスター盤、モノーラルのボックスを買った。

 

いっぺんに全部はとても聴けない枚数だが、これまでに、「ラバー・ソウル」、「リボルバー」、「サージェント・ペパーズ」、「ホワイト・アルバム」を聴いた。

 

今回、世界的に話題となったこのリマスター盤、ステレオのボックスとモノーラルのボックスが出ると聞いて、どうするか、非常に迷った。

 

福島章恭氏が、著書「交響曲CD絶対の名盤」(毎日新聞社)で、シューリヒトのベートーヴェンについて書かれていたのを読んでいたら、ビートルズのアルバムには、モノとステレオの2種類ずつが存在する、とされていた。
ステレオでのみ発売されたのは、「アビー・ロード」と「レット・イット・ビー」だけだということ、「サージェント・ペパーズ」で、ビートルズのメンバーがミックスダウンに立ち会ったのは、モノバージョンだけだったとのことだ。

 

これは、まだステレオが普及しておらず、モノーラルのラジオを中心に音楽が聴かれていた時代だったことが背景にあるようだ。

 

ところで、1970代の始めからクラシックのレコードを聴き始めた私の世代の場合、レコード店で売られているレコードには、モノーラル盤がたくさんあった。

 

おおざっぱに言えば、モノーラル録音がステレオに移行したのは、1955年前後のことだ。

 

フルトヴェングラートスカニーニのレコードは100%モノだし、ワルターだと、モノもステレオもあった。
そして、70年代には、「疑似ステレオ」というのがあった。EMIが特にこの方式に熱心で、フルトヴェングラーカラヤンの録音を、この疑似ステレオで発売していた。

 

当時、私が熱心に読んでいた批評家の一人である、出谷啓氏は、この疑似ステレオを「ニセステ」と言って批判していた。「フルトヴェングラーが発売を承認したのは、モノーラルの録音であって、技術者がエコーなどを付け加えてステレオもどきにしたものは、彼の真正の演奏と呼べない」「フルトヴェングラーが死んだ後で、こういう商品を売るのは、「死人に口なし」と言わんばかりのふるまいだ」という趣旨だった。

 

ということで、私は疑似ステレオ盤は買わずに、モノーラルで聴いていたが、フルトヴェングラーにせよ、ワルターにせよ、1940年代、50年代のモノーラル録音はやはり音が悪かった。
ステレオでない、という以前に録音自体が不鮮明なものだったから、往年の巨匠の演奏には打たれるものがあったが、急速に発達するステレオ録音の新譜に比べれば、聴き劣りがすることは否めなかった。

 

それやこれやが私の頭の中には根強くあったので、今回の「ビートルズのモノーラル盤」には、あれこれ悩んだ。

 

出谷氏流に言うなら、ビートルズのメンバー自身が承認したのは、「サージェント・ペパーズ」について言えば、モノーラル盤だ。学生時代から長年聴いてきたステレオ盤は、疑似ステレオほどではないにせよ、ビートルズのあずかり知らぬ音ということになる。

 

「モノの「サージェント・ペパーズ」を聴いてみたい」。

 

あれこれ考えた末、ステレオしかない、「アビー・ロード」と「レット・イット・ビー」は、ステレオの分売を買い(当然この2枚は、モノボックスには入っていない)、それ以外は、モノボックスで揃えることにした。
(ただ、後日、何点かはステレオの分売も買う予定)

 

で、上記4点のモノ盤を聴いてみて・・・。

 

ステレオでないことに、何の不足もなかった。

 

結局、クラシックのモノーラル盤のイメージが根強くある私としては、「モノーラル=古い(悪い、不鮮明な)録音」という図式を頭の中に持っていたのだが、ビートルズに関しては違った。

 

フルトヴェングラー時代の、モノ録音は、ウォークマンのイヤホンで聴くと、まさにど真ん中、頭の真上で「一本(モノ)の音」が鳴る、という感じだ。
要は、音場が狭いのだ。

 

しかし、思ってみれば、それは、「録音自体がモノ」だったからであって、ビートルズの場合は、録音は複数トラックを使っている。要するにステレオだ。
もちろん、録音技術も、1960年代に入っているのだから、ずっと進歩している。

 

それを、ステレオで聴けるようにミックスダウンするか、モノでミックスダウンするかの違いであるわけだ。

 

従って、モノリマスターのビートルズをイヤホンで聴くと、モノーラルではあっても、ある程度の広がりや深さを感じる。

 

別の喩えをすると、テレビのCMや電車の車内広告(上の写真)で見かける、サントリーザ・プレミアム・モルツの宣伝みたいに、「敢えてモノクロの写真を使う」みたいなものか?
カラー写真がなかった時代は、当然にモノクロ写真しか撮れなかったわけだが、カラーできれいに撮影できる今の技術で敢えてモノクロで撮ることで、また一つ違った情報(画像)の伝え方ができる、と言えるのだと思う。
今のモノクロ写真は、おそらく、昔とは比べものにならないくらい、鮮明なものなのだと思う。

 

フルトヴェングラーの、「やむを得ざるモノーラル盤」と、既にステレオが開発されていての、ビートルズのモノミックスは、本質的に異なる面があるのだろう、ということだ。

 

今回のリマスターが、「ビートルズがスタジオで聴いていた音」をイメージしてなされたものであるならば、やはり、モノーラル盤で聴くべきなのだろうし、音質面で何の不足も感じなかった私としては、「モノボックスを買ってよかった」と思っているところなのである。

 

※関連の過去記事
    ほんの数年の無念
        https://naokichivla.hatenablog.com/entry/49094919
    「技術の確立」の意義
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/54271820