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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

沢田研二 50周年記念LIVE 2017~2018

3日(金)、松戸の森のホール21へ、沢田研二のライブを聴きに行ってきた。

 

これまでも繰り返し書いてきたが、日本のポップス史上、男性ソロアイドルとしては、ジュリーと郷ひろみが双璧だと思っている。

 

ジュリーのライブに接するのは2回目だ。

 

前回は、千葉県文化会館。独身時代、千葉の現場事務所勤務の頃だったと記憶するので、1983年か1984年。私はまだ20代だった。

 

以後、ライブに足を運ぶ機会はないままに過ぎたが、ジュリーも来年には古稀を迎える。

 

もう一度は聴いて(観て)おきたいと思い、50周年記念のこのツアーに行くことにしたのだ。

 

松戸・森のホールへ行くのは初めて。

 

京葉線から武蔵野線に乗り継いで、新八柱駅へ行く。接続がよければそんなに時間はかからない。

 

   駅前シリーズ~新八柱駅南口
      https://naokichivla.hatenablog.com/entry/65903022

 

新八柱駅からは少し歩く。印象とすると、本千葉駅から千葉県文化会館くらいか。

 

「さくら通り」というところを行く。満開の時期は、さぞ見事だろう。

 

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途中、「やまもも通り」という通りと交差した。

 

しばらく行って左折し、こういうところを抜けて行く。

 

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森のホールに到着。

 

   やってまいりました、森のホール21
      https://naokichivla.hatenablog.com/entry/65902608

 

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開場を待つ人たちは、やはり年配の方々が多い。小田(和正)さんのライブも、小田さん言うところの、ジジィ、ババァが多いが、それに劣らない。男女比としては、小田さんよりも女性が多いように思った。

 

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私の席は、3階9列16番。最上階最後列。天井桟敷からステージを見下ろす形だ。

 

15:59、1ベル。定刻から3分遅れて16:03開演。

 

舞台前面に下りたスクリーンに、ジュリーらしき子供が映し出されて、場内が沸く。

 

以後、ザ・タイガース、ソロ転向と、時代を追って、写真やCM映像が流れる。最後、老けた姿の近影に、また場内が沸く。

 

そして、スクリーンが上がり、1曲目は、「あなたに今夜はワインをふりかけ」。オープニングにぴったりな選曲に、こちらの心も躍る。

 

バンドは4人。下手側から横1列に、ベース、ドラムス、キーボード、ギター。

 

2曲目は、「君だけに愛を」。

 

3曲目の「自由に歩いて愛して」と、ザ・タイガース、PYG、ソロから1曲ずつが歌われたところで、MC。メンバー紹介の後、すぐ次の曲へ。

 

「僕のマリー」。50年前の、ザ・タイガースのデビュー曲だ。

 

ジュリーが、テレビの歌番組に姿を見せなくなった後も、定期的に新作アルバムをリリースし、毎年1月に渋谷公会堂からスタートするツアーを続けていたことを聞いてはいた。

 

着実な活動ぶりは知りつつも、実際にフォローはしてこなかったので、このライブでも知らない曲が多数あった。

 

そのため、ちゃんとしたセットリストにはならないが、知っている曲を、歌われた順に並べると、以下の通りとなる。

 

   あなたに今夜はワインをふりかけ
   君だけに愛を
   自由に歩いて愛して
   僕のマリー
   青い鳥
   あなたへの愛
   許されない愛
   追憶
   サムライ
   ス・ト・リ・ッ・パ・ー
   ヤマトより愛をこめて
   巴里にひとり(フランス語バージョン)
   コバルトの季節の中で
   君をのせて
   憎みきれないろくでなし
   時の過ぎゆくままに
   勝手にしやがれ
   愛の逃亡者 THE FUGITIVE
   ラヴ・ラヴ・ラヴ
   LOVE(抱きしめたい)
   TOKIO
   ウインクでさよなら
   危険なふたり
   ダーリング
   麗人
   シーサイド・バウンド
   おまえにチェックイン
   晴れのちBlue Boy
   6番目のユ・ウ・ウ・ツ

 

一連のヒットシングルは、どれが何年の曲だったかを概ね覚えている。

 

ザ・タイガースを始めとするグループサウンズのブームが沸き起こったのは、1967年、私が小学校6年の時。

 

ソロとして初の本格的ヒット、「許されない愛」で日本レコード大賞の歌唱賞を受けたのが、1972年、高校2年。

 

「危険なふたり」は、1973年、受験生だった高校3年の時。

 

「時の過ぎゆくままに」は、1975年、大学2年。

 

日本レコード大賞日本歌謡大賞で大賞をダブル受賞した「勝手にしやがれ」は、1977年、就職活動をしていた大学4年。

 

1978年、今の勤務先に入社して、新入社員研修当時に流行っていて、宿舎で飲みながらみんなで歌ったのが、「サムライ」。

 

同じこの年のヒット曲、「LOVE(抱きしめたい)」は、日本レコード大賞の最優秀歌唱賞となった。ステージ上のインタビューで、「トロフィーの重さはいかがですか」と問われ、「昨年(の大賞のトロフィー)より軽い気がする」と答えたのを、一緒にテレビを観ていた母が、謙虚さに欠ける、と批判したのを覚えている。

 

また、同曲では、紅白歌合戦のトリを、ポップス系の歌手として初めて務めている。

 

と言った具合なので、これらの曲に関しては、イントロを聴いた瞬間に何の曲かわかるわけで、大いに興奮し、楽しんだ。

 

どの曲も、基本的に1コーラスのみ。このことは、ツアースタート時の新聞報道で知っていた。

 

1曲終わるごとに、バンドへの拍手を促す動作をしてから、上手、下手、正面を順次向いて「ありがとう、サンキュー、ありがとうね」と言うスタイル。

 

MCはほとんど入らず、歌い続け。

 

やっと入ったMCで、「50周年なので、50曲歌います」、「ここまでで24曲歌いました」との話があった。「フルサイズで50曲歌うと、皆さん帰れなくなってしまうので(笑)」と、1コーラスずつであることの説明も。

 

「では、25曲目をお送りします」と、ライブは後編へ。

 

そして、40曲終わったところでMC。「残り10曲です」。

 

そこで始まった「シーサイド・バウンド」を機に、立つことにした。以後終演まで立ったままでいた。

 

18:07、本編終了。

 

一旦下りてきたスクリーンに、「渚でシャララ」の映像が映し出された。

 

5分後、再びジュリーが登場して、ここで長めのMC。

 

ザ・タイガース、そしてソロで「若くして売れてしまった」自分の芸歴を語るMCだった。

 

歌番組の常連だった時期を過ぎてからのことにもふれた。バラエティ番組に呼ばれる機会もあったが、そういうことをして、自分の歌を売って行くことを良しとしなかった、と。

 

以後、ライブ活動と、芝居に軸足を置いてここまでやってきたが、こうして大勢のお客さまの前で、この歳まで歌えるとは思っていなかった、という話だった。

 

来年、70歳。「ここまで来たら、だましだましで75まで、勢いつけて80までやりたい」と話し、場内の歓声を浴びていた。

 

彼が若い頃、セールス面での全盛期には、生意気だったりはねっ返りの言動もあったと記憶するが、このステージでの最後のMCは、とても謙虚な話しぶりで一貫し、伝わってくるものがあった。

 

また、話の中で出た、「たった4年の活動だったが、自分にとって、ザ・タイガース以上のことはできないとずっと思って来た」との言葉が印象に残った。私は、加橋かつみの脱退や、解散後の瞳みのるとの断絶など、決して順風満帆な活動ではなかったという理解をしていたので、少し意外に感じた。

 

「では、次が50曲目です!」と、「いくつかの場面」。

 

アンコールはこれ1曲で、18:32終演。2時間半のステージだった。

 

50曲中、知らない曲がほぼ20曲。4割を占めた。初めて聴くそれらの曲も、昔通りのロック調のものもあり、バラードもあり、すべて良い曲ばかりだった。遅まきながら少しトレースしてみたいと思った。

 

往年のヒット曲としては、「カサブランカ・ダンディ」が聴きたかったのだが、とうとう出てこなかったのが残念。

 

それはさておき、ともかく、すばらしいライブだった。

 

沢田研二と言う歌手は、1970年代、ヴィジュアル面では種々先駆的なところがあったので、誤解されがちだが、歌自体は、きわめて正統的なものだと当時から思っていた。

 

単に美声というだけでなく、アイウエオの母音の口の開け方は、常にはっきりしているし、発声も本格的。

 

3階のてっぺんから観るジュリーは、遠目にも太ったのがわかった。そのジュリーが、ステージの左から右までをしばしば走り、歌いながら何度もジャンプした。

 

1歳上の小田さんがスリムなのに比べると、太ってしまったジュリー、あんなにがんばって大丈夫か? などと思ったりしたが、遠目のヴィジュアルはともかくとして、聞こえてくる歌声は、まぎれもなくジュリー。

 

いささかの衰えも感じさせない、私が10代、20代の時にテレビやレコードで聴いていた、あのままのジュリーの歌声が、生で届いてくることに、痛く感じ入った。

 

知っている限りの曲は、すべてオリジナルのキー。このことも含め、よほどの鍛錬、努力があるものと感じさせられた。

 

ジュリー、69歳。いまだ健在。

 

三十数年前の千葉でのライブは、アイドルシンガーとしての「ショー」的な性格が強かったと記憶する。

 

それと比べると、今回のライブは、アーティストとしての沢田研二の、圧倒的なパフォーマンスだった。

 

来年、「古稀のツアー」があるなら、また行ってみたいと思いながら、頬を火照らせて、新八柱駅に向かった。

 

(同じ時代によく聴いていた実力派シンガーという点から、久しぶりに布施明のステージを観てみたい、ともふと思った)

 

※過去の関連記事
    沢田研二「ミスキャスト」
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/15821548
    ジュリーも聴きたい
        

 https://naokichivla.hatenablog.com/entry/58004568


    ザ・タイガース再結成
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/63444868
    沢田研二「ROYAL STRAIGHT FLUSH」
        

 https://naokichivla.hatenablog.com/entry/65415491


    ジュリーのツアーに行きます!
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/65841592