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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

入団記念日

毎年書いているが、1月15日は、浦安シティオーケストラへの入団記念日である。

 

1995年1月15日(日)、見明川小学校で行われた練習に初めて参加し、入団を決めた。

 

大学卒業後しばらくして、楽器から遠ざかっていたが、当時浦安オケに在籍していた大学オケの先輩(ホルン奏者)から突然の電話で、入団の誘いを受けた。

 

半年後に40歳になる、という時期、約16年ぶりにヴィオラ演奏へ復帰したのだった。今日に至る人生の大きな転換点であった。

 

1995年、平成7年という年は、その2日後の1月17日(火)に発生した、阪神・淡路大震災、あるいは、3月20日(月)の地下鉄サリン事件で、日本国民にとって忘れがたい年だが、個人的には、今のオケに入団した年として大きな意味を持つ年だ。

 

以来、今日で23年。

 

この間、遠方への転勤がなかったこともあり、退団することもなく、一度の休団もなく、自分にとってのこのフランチャイズオケで、切れ目のない活動を続けてくることができた。

 

オケに限らず、人生万事、「長く続ける」ことは、決して易しくない。

 

健康で元気であってこそ、というのはすべてのベースだし、他にもいくつもの幸運がなければ、どんなことでも長く続けることは叶わないと思う。

 

こと、このオケに関して言えば、「良き仲間に恵まれたこと」なくして、四半世紀近くの継続はありえなかった。年月を重ねるごとにその実感は深くなる。

 

さて、この先いつまで続けていけるんだろう。

 

40代後半の時期、「50代半ばくらいまでは続けられたら」と思ったことを覚えているが、そこはとうに過ぎ、半年後には63歳になる。

 

活動が長くなるにつれて、他団体の活動に参加する機会が増えた。同時期に複数オケへ並行参加することが体力的に厳しくなってきたのを感じる。
(現在も、所属オケの活動と他団体へのエキストラ参加が並行している)

 

また、人生の残り時間が決して多くはないと意識するようになった昨今、仕事を離れた時間の使い方を考え直す必要も感じる。プライベート時間の大部分をオケに費やしているのが現況だが、「やっておきたいこと」、「やらなければならないこと」にも目を向ける必要も感じる。
(例えば、前者は、例えば妻との旅行、後者は、例えば父母の逝去に伴う木更津の実家関係の対処など)

 

それから、これは今に始まったことではないが、オケ活動は、所詮趣味の世界ではあっても、人間が集まる場の常として、必ずしも楽しいことばかりではない。特に、団員としての立場で「自分のオケ」において活動する中では、大小思いわずらうこともある。誰しもそうだと思う。

 

ぼつぼつ生活全体を眺めわたした何かの整理が必要か、と思うようにはなったが、では今のオケを辞めるのか? と自問した時、それには相当な勇気が要るとも思えるのが正直なところだ。今の代え難い仲間と離れること、所属団体がない状態、即ち日常的な活動の場を持たなくなること、いずれを考えても。

 

また、今のオケには、23年前の今日、初めてお会いして以来、一貫してお世話になってきた恩人がいる。オケの運営の要として不断の尽力をされてきたこの方の背中が見える限りは、その後を走っていかなければ、という思いは常に持っている。この方ががんばって下さっている間は、(私も)辞めてはいけない、と妻に言われたこともある。

 

人生の節目としては、3年後、2021年3月末に会社の仕事を離れる。その時点では、入団後四半世紀を既に過ぎ、66歳を間近にしている。その時が何かの判断の目安になるだろうか。

 

そこまでがんばっていければ良いと思いつつ、そろそろ、演奏会が終わるごとに、「次の演奏会に乗るか乗らないか」を思案するようになる気もしている。

 

さしあたり、24年目の2018年、まずは6月の第50回記念演奏会に向けてがんばるとして、その次は、12月の市民演奏会、「第九」だ。「第九」はやはり別格で、弾きたい気持ちがあるので、そのような思案が始まるとすると、その次からか。

 

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