1978年(昭和53年)に入社し、41年勤務した会社を、明日、3月31日付で退職する。
4月からは、西新宿にあるグループ会社に勤務することになっているので、まだ会社生活は続く。
さだ(まさし)さんの「退職の日」(「夢の轍」所収)のシチュエーションは、まだ先だ。
https://www.uta-net.com/song/62268/
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新しい環境での新しい仕事は、不安もあるが楽しみでもある。1ヶ月後、半年後、1年後、どう感じているだろうか。
ともあれ、人生において一番長く過ごした会社での勤務は終わった。
ざっと回顧する。
職歴はコスモポリタンだった。
本社経理部(財務課)でスタート。3年。
千葉市の現場事務所で総務担当。4年。
本社総務部(法務)。1年5ヶ月。
労働組合専従(会社は休職)。6年。
本社企画部。7ヶ月。
品川の支店総務課(課長)。1年。
品川の別の支店の管理グループ(課長)。1年。
本社人事部(課長)。3年。
本社営業企画部(課長)。この時期にこのブログを始めた。2年。
品川の支店総務部(部長)。3年。
本社内部統制部(部長)。2年7ヶ月。
本社総務部(部長)。6年5ヶ月。
最後に在籍した本社総務部が、15番目の職場、最後のポジションは総務部長だった。
6年5ヶ月、1部署にとどまっての勤務は最長(2番目は労働組合の6年)。総務部は若い時に一度勤務しているので、それも併せての7年10ヶ月は、通算の在籍としても最長である。
41年中、本社勤務が29年と7割を超える。また、本社外の勤務もすべて関東圏(東京と千葉)で、地方勤務は一度もない。このあたりは、当社としては珍しい経歴に属する。
自分にどれだけ仕事の資質、能力があったか、よくわからない。少なくとも、仕事に関する知識面では、充分なものを持っているとの自信を持てたことが一度もない。
自覚しているのは、何事も投げ打って、死に物狂いで仕事にだけ没頭するタイプの会社員ではなかったということだ。
若い頃から、仕事以外の生活局面も大切にしてきた。今で言う、ワーク・ライフ・バランスめいた方針は持ってきたと思う。
仕事に対しても自分なりにはがんばってきた、とは言えるが、会社に対していかほどの貢献ができたのだろう、と、会社とまったく縁が切れようとしている今、思うところもある。
そんな中でも、個人的にだが、「その時の会社(あるいは組織)」のためになることができたかな、と思う仕事を2つ思い出す。
1つ目は、労働組合に従事していた時、当時社会的な話題だった、HIV/AIDSについての啓蒙に取り組んだこと。組合員同士で、差別や排斥の動きが出てきてはならない、との思いで、様々な勉強をし、組織内での周知を図った。
2つ目は、人事部在籍時代に、障害者雇用の促進に取り組んだこと。これは上司の発案と指示に基づくものではあったが、当時低調だった雇用率の改善に、会社として舵を切った動きの一翼を担えたことは、その後今日の雇用率を見ると、誇らしく振り返ることができる。
ここ1年ほどは、SDGs(2015年に国連が採択した、持続可能な開発目標)の勉強をしてきた。社内で特段の指示を受けた訳ではないが、部下の総務課長とともに自主的に勉強し、国際的、国内的な動きの中で、従前のCSRの物の考え方が変化してきていることも含め、来年度あたりは社内への周知浸透を図って行きたいと思っていた。
これが一定の成果を収めていれば、上記2つに続く3つ目の仕事になっていたかもしれないが、それだけの時間がなかったのは、残念だ。この件は、4月からの新しい会社の中で、何かできればと思う。
いずれにしても、41年の勤務を経て、私の人生において一つの歴史が終わった。
できたこと、できなかったこと、さまざまだが、会社を離れた今、もう直接リカバリーのチャンスはない。人生とはそういうものなのかもしれない。
さて、振り返るのは、会社に籍がある今日明日まで。
週明け、4月1日(月)からは、過去を忘れて新しい会社人生をスタートさせねば。