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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

東京フィルハーモニー交響楽団 第160回東京オペラシティ定期シリーズ

 

2月27日(火)、東京オペラシティコンサートホールで行われた東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴きに行った。

 

この日は、妻の実家に行ったり、家で、うらやすシンフォニエッタの曲をさらったりしていたので、東京へ行くのは純粋に演奏会のためだけ。16時を過ぎて家を出た。

東京オペラシティに着き、大戸屋で夕食をとった後、コンサートホールへ。

 

プログラム冊子から。

 

東京フィルハーモニー交響楽団 第160回東京オペラシティ定期シリーズ

日 時 2024年2月27日(火) 18:15開場 19:00開演

会 場 東京オペラシティコンサートホール

指 揮 チョン・ミョンフン

管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団

曲 目 ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調「田園」

    ストラヴィンスキー バレエ音楽春の祭典

    [アンコール] ストラヴィンスキー バレエ音楽春の祭典」から「大地の踊り」

 

私の席は、2階C4列12番。4列目ではあるがほぼ中央の位置。

このホールは雰囲気が好きだ。規模感もいい。

 

ヴィオラは、ベートーヴェンが10人、ストラヴィンスキーが12人。トップは須田祥子さん。須藤三千代先生のお姿はなかった。

 

「田園」。

1楽章冒頭のとても微妙な動き、呼吸。以後も、全曲にわたって、ほんのちょっとした呼吸、表情づけがなされた。あからさまな溜めなどはない。

数えきれないくらい聴いてきた曲だが、ベートーヴェンは、これと「運命」とを、同じ初演演奏会に、「交響曲」として載せたんだなあ、と改めて思う。

同じ4分の2、アレグロ、冒頭に8分休符、主題提示後フェルマータ、などは意図的なものだろうし、しかしながら、まったく性格の異なる「交響曲」。

チョン・ミョンフンの作り方として、2楽章だけすごくコンパクトに演奏させたように思われた。音量も小さい。パステル画のような感じだった。

これも改めて思ったが、楽章終わり、木管による3種の鳥の声。直前のtuttiの終わり方(和音)は、つまりコンチェルトにおけるカデンツァの発想だったんだろうか。

3楽章になると、一転してくっきりとした音。音像もひろがった。いきいきとした農民の踊りだった。

4楽章でも、微妙にして絶妙な表情づけが届いてくる。一体、どういうリハーサルをしているんだろうか。

ティンパニの打ち込みは胸がすく。メリハリのきいたダイナミックな嵐だった。

「運命」との大きな違いは、5楽章構成であることだが、この4楽章を、続く5楽章への前奏曲的な位置づけ、拡大された序奏と見れば、「田園」も通常の4楽章構成の設計ととらえることもできるように思った。

嵐が去っての5楽章、冒頭の弦が何と清澄で喜びに満ちた音だったことか。

この楽章は、変奏曲的な要素があると思うが、それを含めて本当によく書けている音楽だと痛感する。個々の楽器の使い方、楽想の変化のさせ方。

チャン・ミョンフンは、大きな呼吸の音楽を作った。彼の指揮は、視覚的には常に音よりも早く動いているように見えた。

涙が出てくるような音楽であり演奏だった。終盤、終わってくれるな、終わってくれるなと思いながら聴いた。

全曲の終わりは、無神経なフライングブラボーや拍手を封じた。ほぼ充分な間があって、しかし待ちきれない拍手がパラパラと出て、それを受けてのブラボーは出てしまったものの、まあ許容範囲。

 

15分の休憩後、「春の祭典」。

今ごろ気づくのも恥ずかしいが、この曲って、ハープがないんだね。意外。

冒頭のファゴットの長いハイCから、以後、全曲にわたって言うことなしの演奏だった。ほんとに完璧。すばらしかった。

「田園」はともかく、こっちは終わったとたんにブラボーの嵐なんだろうな、と思っていたが、さにあらず。「春祭」なのに、最終音からちょっとの静寂があった。これはすごい。

 

カーテンコールもそこそこに、アンコールとして第1部の終曲、「大地の踊り」が演奏された。

 

来た甲斐がある、大満足の演奏会だった。

 

チョン・ミョンフン指揮の東京フィルは、6月にメシアンを聴く予定。