naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

絶対音感と音程感

1週間くらい前、旧Twitterを見ていたら、「笛僧佐藤直紀」さんという人のツイートが目に止まった。

 

 

絶対音感がある」というと、音楽の才能があるかのように世間では勘違いされているフシがありますが、実はあまり関係ありません。そもそも絶対音感があってもオンチな人はたくさんいますし、その逆もしかり。絶対音感があるのと音程感が良いのは全く別物です。「音名がわかる」程度の絶対音感を持っていても、その音の音程が周りとくらべて高いか低いかを聴き分けるのには、全く別の能力が必要になってきます。
オーケストラには時々、「絶対音感があるからオレの音程は正しい」とか、「チューナーに合っているからオレの音程は正しい」などと主張する人もいます。そもそも「音程が正しい」とはどういうことかというと、周りの人に対して自分の音程が合っているかどうかが大切です。自分の基準に周りが合わせるべきだという考え方は、音楽的にも、人間的にも疑問であります。

 

私自身は絶対音感があると昔から思ってきたが、ここで指摘されている「「音名がわかる」程度の絶対音感」と、「音程感」の違いについては、なるほどと考えさせられた。

 

確かに、日頃、オケの練習時、家で個人練習をする時には、常にチューナーを楽器につけているのだが、自分が出している音が、合っているのか、高いのか、低いのか、は、チューナーを見ないと、つまり自分の耳では判断できないことを痛感している。

(ドの音なのにレを弾いている、とかはさすがにないものの、チューナーレベルでピタリドを押さえられているか、はまったくだめ)

 

さらに、「チューナーに合っているからオレの音程は正しい」とは言えないのだ、と。

「そもそも「音程が正しい」とはどういうことかというと、周りの人に対して自分の音程が合っているかどうかが大切」という話には、うーん、とうならざるを得なかった。

まわりの音を聴き、自分が出している音を聴き、その音程がどうなのかを都度判断しながら弾かなければならないということなんだ。

 

とどめは、「自分の基準に周りが合わせるべきだという考え方は、音楽的にも、人間的にも疑問」。

人間的にも。

確かに。

大切な教えとして心がけたいと思った。