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大関の地位

三月場所は、平幕中位に、髙安、正代、御嶽海と、元大関が顔を揃えていて、幕内前半戦の取組に登場してくる。

この3力士に限らず、大関から落ちて平幕で、時には十両で相撲をとる力士が近年は珍しくない。

昇進口上で「大関の名を汚さぬよう・・・」と述べた力士が、その地位を維持できずに陥落し、平幕でなお土俵に上がる姿を見ていて、彼らはどういう気持ちなのだろう、と以前から思っていた。

今場所も、元大関が次から次へと登場するのを見て、「元大関ばかりだな」とつぶやいたら、妻が、「昔もこうやって大関から落ちても相撲をとってたの?」と言う。

なるほど、思ってみれば、昔はカド番を乗り切れずに大関から落ちる力士自体が今ほど多くなかったような気がする。

 

いつもお世話になっているサイト「相撲レファレンス」にアクセスして、歴代の大関で関脇に陥落した力士のその後を確認してみた。

現行のカド番制度(2場所負け越しで陥落、翌場所関脇で10勝すれば復帰)になった、昭和44年(1969年)七月場所以降の大関を見てみた。※横綱に昇進した大関は除く

(×印は大関から陥落した力士。四股名の右は最終地位、引退場所)

 

 清國  大関 昭和49年一月 カド番場所で引退

×前乃山 平幕 昭和49年三月 (現制度初めての陥落力士)

 大麒麟 大関 昭和49年十一月 カド番場所で引退

 貴ノ花 大関 昭和56年一月

×大 受 十両 昭和52年五月 十両に陥落した場所で引退

××魁 傑 平幕 昭和54年一月 (二度陥落)

 旭 國 大関 昭和54年九月

 増位山 大関 昭和56年三月

×琴 風 平幕 昭和60年十一月

 若嶋津 大関 昭和62年七月 カド番場所で引退

 朝 潮 大関 平成元年三月

 北天佑 大関 平成2年九月

×小 錦 平幕 平成9年十一月

×霧 島 平幕 平成8年三月

××貴ノ浪 平幕 平成16年五月 (二度陥落)

×千代大海 関脇 平成22年一月 関脇に陥落した場所で引退

×出 島 平幕 平成21年七月

×武双山 大関 平成16年十一月 関脇陥落から復帰、カド番場所で引退

×雅 山 十両 平成25年三月 十両に二度目の陥落をした場所で引退

 魁 皇 大関 平成23年七月

××栃 東 大関 平成19年五月 二度の関脇陥落から二度復帰

×琴欧洲 関脇 平成26年三月

 琴光喜 大関 平成22年七月 (野球賭博問題で解雇)

×把瑠都 十両 平成25年九月 十両に陥落した場所で引退

×琴奨菊 十両 令和2年十一月 十両に陥落した場所で引退

 豪栄道 大関 令和2年一月 カド番場所で引退

××栃ノ心 十両 令和5年五月 (二度陥落)

 

こうして見ると、大関から陥落してなお一定期間相撲を取り続けたのは、昭和の時代だと、前乃山、大受、魁傑くらい。

それ以外の大関は、最終地位が大関なので、関脇に落ちてまで現役を続けることをよしとしなかったように感じる。

 

ところが、平成になって、小錦あたりを境に、関脇に陥落する大関が激増した印象がある。かつ、平幕に落ちても長く相撲を取り続ける力士が珍しくなくなった。小錦、霧島、出島、雅山琴奨菊など。

 

一方、近年になっても、大関で力士人生を終えた力士としては、魁皇豪栄道がいる。

また、武双山は、新大関の場所を全休したことに始まる関脇陥落だが、翌場所10勝して復帰し、以後長く大関を務めたまま、大関で引退。栃東も二度の陥落から即復帰した経緯を経て、最後は大関で引退。この両力士もそれに準じた位置づけができると思う。

(関脇を最後に引退した、千代大海琴欧洲も、平幕に落ちることをよしとしなかったようにもうかがえる)

 

大関から陥落した場合、即復帰可能な10勝をあげられなければ、一からの出直しとして大関復帰の目安となる3場所33勝をあげる必要がある。

間隔を空けて、改めての大関復帰を果たした事例は、魁傑、照ノ富士の2人である。

平幕に落ちるということは、3場所33勝はもとより、三役の地位さえ保てなかったということを意味する。そのような状況で、なお相撲を取り続ける力士の心境とはどうなのか、近年では琴奨菊あたりから、今場所の3人まで、量りかねてきた。

 

単純に、今からでも自分は大関に戻れる、と信じて土俵に上がっている力士もいるだろう。髙安はそのような意欲を口にしているし、実際、平幕力士の立場で優勝争いにからむこともあるので、応援したい気持ちになる(以前で言えば、雅山も、大関陥落後に力を取り戻した時期があり、新大関だった白鵬と優勝決定戦を戦ったこともある)。

ただ、むしろそれは例外で、今だと、御嶽海や正代に、三役に戻り大関に復帰したいという意欲あるいは熱意を感じることはできない。単に、まだ自分の限界を納得できていないから、というのなら、それは、「大関の地位を汚す」ことにならないのか、と思ってしまう。

もっとも、彼ら本人の口から何かを聞いたわけではないので、憶測ではある。あるいは怪我や体調面の事情を抱えつつ、これが治ればといずれ来るチャンスを期しているのかもしれない。

あるいは、年寄名跡取得の問題など、引退後の生活設計のこともあるだろう。

テレビで相撲を観ているだけの身でとやかく言えないとはわかっている。

 

ただやっぱり、半世紀以上相撲を観てきたオールドファンとすると、大関だった力士が平幕に落ちても相撲を取ることが当たり前になっている現状は、「大関の地位を汚す」面がないか、との思いから離れられない。

私の見方は、「大関の地位」は、一旦大関に上がった以上、そこから陥落してもついてまわる、というものだ。大関として望まれる成績をあげられず、その地位を保てなかった、即ち大関の地位を汚したので、その大関の地位から関脇に下がってリセットし、そこからやり直す、というものではない。大関だった力士が今どうしているかは、大関の地位の価値を左右する、という考えである。

 

関連する話だが、このところのNHKの相撲放送では、大関から陥落した力士のことを、「元大関」と言わず「大関経験者」と呼ぶ。

これには大いに抵抗を感じている。大関とは「経験するもの」なのか、と。横綱は全員が大関経験者だ。それは良い。しかし、大関をいっとき経験して、そこから下位に下がって相撲をとっていることが普通であるようなニュアンスが、「大関経験者」には感じられるのだ。「元大関」でもどうかと思うくらいだが、これはそれ以外に言いようがないので仕方がない。

相撲放送は、先場所の琴ノ若もそうだったが、新たに大関に昇進する候補者が出てくると、非常に大きくとりあげ、気運を盛り上げている。

一方で、横綱に昇進できず、大関としても期待される成績を残せず、残念ながら陥落した力士を、「大関経験者」と呼んで扱うこと。

大関の地位」というものの重さはどうなのか、という観点から、少なからず釈然としないものを感ずるのだ。

大関とは「経験するもの」なのか?

 

当の「大関経験者」たちの心境はわかりかねるものの、万一本人の気持ちの中に、同様の感覚があるとすれば、それはどんなものか、と思う。

 

※相撲レファレンス

    https://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j

 

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       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2023/07/22/102347