5月28日(水)、杉並公会堂で行われた茂木大輔先生指揮の演奏会を聴きに行った。
日本ベートーヴェンクライスという団体の特別例会として開催されたもので、管楽八重奏によるベートーヴェンの演奏だった。
17:45頃杉並公会堂に到着して入ると、1階のカフェで茂木先生が奏者の方々(おそらく)と談笑しておられた。
地下2階の小ホールに下りて並び、開場を待った(全自由席である)。
●日本ベートーヴェンクライス特別例会 東京音楽史管弦楽団第2回演奏会(管楽器セクション) ハルモニー(管楽八重奏で聴くベートーヴェン)
日 時 2025年5月28日(水) 18:00開場 18:30開演
会 場 杉並公会堂小ホール
指 揮 茂木大輔
解 説 丸山瑶子
オーボエ 榎かぐや、高橋早紀
クラリネット 内田ちまり、吉川晴香
ホルン 吉田智就、仮屋小夜
ファゴット 保崎 祐、岡田志保
コントラファゴット 柿沼麻美
曲 目 ベートーヴェン 管楽八重奏のためのパルティア変ホ長調作品103
コントラファゴットを含む九重奏編曲
もう飛ぶまいぞこの蝶々
プログラム冊子から。
先頭を切って入場したので席はよりどりみどりだった。D列10番に座った。
結果としてA列・B列・C列の10番には人が座らなかったので視界良好だった。
プログラム冊子には丸山瑶子先生による「ベートーヴェン時代のハルモニームジークと編曲」という解説が実に15ページにわたって載っている。座って開演までの30分足らずでこれを読みきるのは困難だ。
(3月に朝日カルチャーセンターの講座「名曲の曲名」を受講したが、この時の講師が茂木・丸山両先生だった)
斜め読みが精一杯で開演時刻になった。
日本ベートーヴェンクライスの代表理事である平野昭氏が冒頭挨拶し、その後丸山先生に交代した。以後丸山先生のトーク。
「前半は皆さまをボンの宮廷にご招待します」。ボンの宮廷では当時の流行として管楽バンド、ハルモニームジークが流行していたとのこと。
冒頭演奏される作品103はオーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン各2本、ウィーンで流行していた編成とのこと。皇帝ヨーゼフ2世がお抱えで雇い、他の貴族もステイタスとしてそれにならった。オケを雇うよりもコストが安い。オリジナル曲よりは編曲ものを演奏することが多かった。
作品103は食卓の音楽として書かれたオリジナル曲で、後日弦楽五重奏曲作品4に改作される(作品103の方が先に作曲されたがベートーヴェンの没後出版なので作品番号が逆転している)。
ここで茂木先生が呼び込まれて両先生のトークとなった。
茂木先生がN響のオーボエ奏者として最後に放送録音したのが作品103だったとのこと。
↓ 写真は東京ベートーヴェンクライスのWebサイトから転載しました
トークの後、作品103が演奏された。録音・実演問わず初めて聴く。4楽章構成で第2楽章がアンダンテの緩徐楽章、他は速いテンポの楽章だった。
改作された作品4も聴いてみたいものだ。
続いてWoO25のロンディーノについて丸山先生のトーク。作品103の八重奏曲の終楽章として書かれたなどの諸説があるとのこと。
そしてWoO25が演奏された。解説にあるようにホルンが活躍する曲だった。
15分の休憩。
後半は7番のシンフォニーをコントラファゴットを加えての九重奏に編曲したもの。
この当時、シンフォニーをオリジナルのオケ編成で聴くチャンスはきわめて稀だった。今と違って生の演奏会は新作を発表する場であることが多く、また録音技術もなかったため、オリジナルに代わるものとして各種の編曲が行われ、オリジナルよりも頻繁に聴かれていたとのこと。
この7番の編曲版は誰が編曲してものかは不明だが、ベートーヴェンはその存在を知り認めていたと思われるそうだ。
茂木先生からは、実際にこの編曲版に取り組んでみてわかったことが3つあるが何だと思いますか、という問いかけがあった。
①ティンパニがない。日頃いかにティンパニ頼りに振っているかわかった。
②弦がいないことで失われるものとして「きざみ」。
③同じく弦がいないことで「和弦」ができない。
これらは編曲した人自身が思っていたはずで、それを補うための作り方が興味深かったとのこと。補う作業が音楽の意味を変えたり、別の魅力を作ったりしている。
また管9人だけでこのシンフォニーを演奏するのは奏者にはきついことなのだそうだ。そのためか、この編曲では後半省略が増えて短くなっているとのこと。
ベートーヴェン本人がこの編曲をどこまで監修したかはわからないが、認めたことは確かだと思われる。
いよいよ演奏に移った。
↓ 写真は東京ベートーヴェンクライスのWebサイトから転載しました
管楽器としての演奏上の都合なのかもしれないが、オリジナルと同じ調で演奏されるのは第3楽章だけ。第1楽章はト長調、第2楽章はト短調、第4楽章はト長調だった。
聴きながらふと相撲のことを思った。今のようにテレビや動画で取組そのものを観ることができなかった時代、相撲場にいる僅かの人を除いては新聞に載る1枚の写真や手さばきの記述を通じてその取組を想像するしかなかっただろうと思う(ある時代からはラジオができて格段にリアリティが増しただろう)。そもそも相撲というのがどういう競技であるのかさえわからないという人がいたはずだ。
そんな時代の相撲への認識と、19世紀のヨーロッパにおける例えば「ベートーヴェンのシンフォニー」への認識には何か共通するものがあるのではないか。新聞の写真や手さばきにあたるものがこうした編曲版で、人々(オケというものも知らない人も多かったはず)はそこから原曲を想像していたのだろう。
第3楽章はA-B-Aの形式。
また聴いていて時々原曲と同じ楽器が原曲と同じように演奏する場面が出てくるとそこが逆に面白く感じられた。第1楽章序奏のオーボエソロとか第3楽章トリオのホルンの低音とか。友人や他人との集まりの中に家族が混じったような感じがする。
それにしてもその当時編曲版の演奏には上手な人を揃える必要があっただろうな、とも思った。でないとオリジナルに代わるものとして機能しないのではないか。東京音楽史管弦楽団の皆さんの見事な演奏を聴きながらそう思った。
第4楽章は提示部のリピートがあったものの、以後はずいぶんはしょった進行で編曲されており、展開部がないままコーダに行ったようだった。
演奏後茂木先生が「大変そうでしょ?」。「もうやめてやれよと思いましたよね」。
「こういうハルモニーというのはいわばジュークボックスだったんです」、と言われた。
「当時の人たちがハルモニーを抱えて一番聴きたがった曲をアンコールに演奏します」。
演奏されたのは「フィガロの結婚」第1幕最後の「もう飛ぶまいぞ」だった。終わりのところで奏者は立ち上がって演奏し、指揮の茂木先生が先に退場した。
全員がはけた後、平野昭氏が挨拶されて20:45終演。
興味深い演奏会だった。
※日本ベートーヴェンクライスWebサイト