naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

大関の成績調べ

以前、カド番続きの大関の不成績について書いた。「1年を3場所でやっている」という話である。
その時は記憶というか、イメージで適当に書いたのだが、ちょっと思い立って、栃東が新大関だった平成14年1月場所から先場所、平成17年11月場所までの4年24場所の大関の成績を調べてみた。

平成14年1月場所の大関は、魁皇武双山千代大海栃東の4人。
この後、平成14年11月場所に朝青龍が加わるが、在位3場所で横綱に駆け上がったので、平成15年3月場所からまた前記4人に戻る。
そして、平成16年11月場所に武双山が引退、平成17年1月場所からは3大関
尚、平成16年7月、平成17年1月は、栃東が関脇に陥落しており、それぞれ3大関、2大関となっている(いずれも1場所で大関復帰)。

この間の大関の優勝は、魁皇千代大海栃東朝青龍がそれぞれ2回ずつ。24場所中の3分の1は大関が優勝している。まずまずというところかもしれない。

しかし、カド番大関が多いことに改めて驚く。
しょっちゅう誰かがカド番と言っているような気がしていたが、その通りで、24場所中、誰もカド番でなかった場所は、7場所しかない。3分の1以下だ。
平成16年11月場所から、毎場所誰かがカド番、という状況が続いている。今場所、千代大海魁皇が休場したので、次の3月場所で9場所連続となる。
この現象は、平成16年からの公傷制度の廃止とも関連があるかもしれない。それまでは、1場所休場してもそれが公傷認定されれば、翌場所全休しても陥落せず、翌々場所がカド番となっていた。今は、休場すれば即カド番になる。

この間、延べ21人がカド番を迎えている。
魁皇6回、武双山5回、千代大海5回、栃東5回。
これが優勝回数だったら壮観だが、カド番回数でこんなに争ってもらっても、という感じだ。
カド番になるほとんどは休場がらみだ。
皆勤して負け越した結果、カド番となったのは、魁皇1回、武双山1回、千代大海3回、栃東1回。

昨年、栃東が「今年は6場所皆勤したい」を目標とし、最後の11月場所で休場してしまって果たせず、今場所カド番となった。
「1月から11月まで皆勤できたか」を、この4年間について見てみると、これも驚くのだが、魁皇1回(平成16年)、武双山0回、千代大海1回(平成16年)、栃東0回というありさまである。
前記栃東の目標を聞いた時、大関にしては目標が低いなと思ったものだが、実態はこうであった。

1年を3場所で、というのはやはり最近顕著な現象であった。
カド番を1場所置きに迎えるパターンだ。負け越しか休場で、翌場所カド番、脱出したがまた翌場所負け越しか休場・・・。
平成16年は、武双山が、東京場所休場か負け越し、地方場所カド番を6場所繰り返した。
平成17年は、魁皇が、同様のパターンを6場所繰り返した。また千代大海も、逆に東京場所がカド番、地方場所で脱出を6場所繰り返している。つまり、1年6場所、魁皇千代大海は交互にカド番だった(今場所はめでたく二人ともカド番でなかったが、仲よく休場したので来場所は仲よくカド番)。
平成16年、17年といえば、この間、朝青龍が年間5回、6回の優勝を飾っているので、ますます大関の不成績がふがいなく感じられるのも当然だ。

大関昇進の目安とされる「3場所通算33勝」について見てみた。
大関で3場所通算で33勝以上をあげた回数は、
魁皇6回(15・3~7、15・11~16・3、16・1~3、16・3~7、16・5~9、16・7~11)、武双山0回、千代大海2回(14・5~14・9、15・11~16・3)、栃東1回(14・1~5)である。
やはり少ないと言わざるを得ない。

結局、2場所連続で負け越さないと落ちない、という恩典があって大関の地位を保っているというのが、現在の大関の実情ということになる。
栃東が2回大関から陥落し、2回復帰したのは、その執念や気力の面では賞賛すべきではあるが、2回の陥落があった平成16年は、6場所中皆勤2場所、年間で24勝しかしていない。大関にふさわしい成績とはとても言えないのも事実だ。

しかしその栃東は、平成17年3月に2回目の復帰を果たしてからは、10勝、12勝、9勝、10勝、2勝(休場)、そして今場所は14日目までで13勝とまずまず安定。
この間、カド番は1回にとどまっていることから、魁皇千代大海を含めた旧3大関の中では、一応大関の面目を保てている方と言える。
一方、魁皇千代大海は、前記の通り交互にカド番を繰り返しており、以前も書いたが、そろそろ身の処し方を考えてもらいたいところにきている。

今場所の新大関琴欧州については、朝青龍同様、短期間で横綱に上がってほしいものだが、旧大関のこの実情や、カド番をもちこたえられず、陥落した元大関が最近は珍しくないこと(武双山が引退した時、大関のままで引退したのは、北天佑以来と聞いて驚いた。つまり、それ以外は横綱になるか大関から落ちるかだった訳だ)と併せ、大関という地位はどういうものなのかと、あれこれ考えてしまう。

大関の一連の成績を見ていて、魁皇の平成16年の充実ぶりが唯一目立った。
6場所の成績は、10勝、13勝、10勝、11勝、13勝(優勝)、12勝である。
11月場所の千秋楽、力強い渾身の寄りで朝青龍を破った相撲が忘れられないが、この場所、もう1勝上積みしていたら、優勝同点(優勝は朝青龍の13勝2敗)、横審の内規を満たして横綱に上がっていたところだった。僅か星一つの差が命運を分けたと言える。
横綱になったとしても、その後この成績だったら、もう進退を問われていただろうが、仮に引退に追い込まれたにせよ、「元横綱」だ。
惜しいことだった。
既に優勝5回を数えていながら、横綱に上がれないのは、この人の場合、ケガが多いからだ。やはり、皆勤しながら好成績を続けるということは、それ自体大変なのだと感じる。
魁皇は結局「悲運の名大関」で終わるのだろうか。