naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

元小結若浪逝去

今日の朝刊に、元小結若浪(前玉垣親方)の冨山順氏の訃報が載った。

若浪といえば、何と言っても昭和43年(68年)3月場所での平幕優勝を思い出す。

この場所は、東横綱佐田の山が場所前半で引退、東張出横綱大鵬は全休。もう一人の西横綱柏戸は7日目までに早くも3敗と不振。
14日目を終わって、
  2敗 西張出大関豊山、東小結麒麟児、東前頭8枚目若浪
  3敗 東大関玉乃島、西前頭9枚目龍虎
の5人が優勝圏内だった。

そして千秋楽、まず土俵に上がった若浪は海乃山に勝って、優勝決定戦の資格を得た。この時点で、3敗力士に優勝の可能性はなくなった。
そして、番付上位の麒麟児、豊山の取組が注目されたが、かねてからプレッシャーに弱いことで知られた両力士、ガチガチになって、麒麟児は前の山、豊山は清國に敗れてしまい、唯一2敗を守っていた若浪に優勝がころがりこんだ。

この優勝争いでは、当然、三役の豊山麒麟児が有利と見られており、若浪はまったくのダークホース。
豊山はいずれ横綱に昇進することが期待されていた大関だが、何故か優勝に縁がなく、やっと訪れた初優勝のチャンスを、みすみす棒にふった。そして、その後、一度も優勝することなく、最高位大関のままで土俵を去る。
麒麟児にしても、大関どころか横綱も望める逸材として期待されていた力士だが、この人も、後年大関には昇進したものの、これを最高位として、優勝のないまま引退した。

若浪にとっても、これが生涯ただ一度の幕内優勝となった。

3力士の誰が優勝しても初優勝というこの場所の千秋楽、結果としては、3力士の誰もが、その後優勝のチャンスがなかった。

豊山麒麟児が優勝していたら、その後の角界はどうなっていただろう、と思うと、非常に重い意味を持つ千秋楽だったといえる。

冨山氏はまだ66歳。
吊り、うっちゃりの名人だった。いずれも、今の相撲ではなかなか見られなくなった技だ。
また昭和の名力士が一人去った。