昨18日(金)は、いくつか用事があって午後から東京へ出かけたのだが、スマートフォンを持つのを忘れた。
これから電車に乗ろうという最寄り駅に着いた時に気づいた。
取りに戻った場合、20分はロスする。
上京後の用事からすると、それでは遅いので、やむなくそのまま電車に乗った。
改めて思ったが、スマートフォンがないと心もとないねえ。
今は何でもスマートフォンを通じてやっていることを改めて痛感した。
私の場合、常時起動している機能は大体以下だ。
・電子メール(携帯メール、PCメールの両方)
・LINE
・Twitter(今やそう言わないらしいが)
・カメラ
・アラーム(目覚まし)
電車に乗って東京に向かいながら、普通ならスマートフォンを取り出して、メールやFB、Twitterのチェックをしたりするのが常だが、それができない。
何か思いついたことをネットで検索しようとしてもできない。
車中居眠りして寝過ごさないようにアラームをしかけることもできない。
高校野球の途中経過を見ようと思ってもできない。
道々目にしたものを写真に撮ることもできない。
うーん、何から何までスマートフォンに頼ってるんだなあ。
スマートフォンに依存しすぎ、という意見もよく聞く。
昔は、連絡手段として携帯電話自体なかったんだし、インターネットへのアクセスももっぱら固定のPCからだった。
電車の中では、スマートフォンばかりいじってないで、本を読んだりもっと有効に過ごしては、という意見だ。
それもわかる。たかだか外に出ただけなのだから、なければないで済むのはわかる。
でもなあ、一旦手に入れた便利を失うと、そのありがたみを痛感するのも確かだ。
昔はできなかったんだし、それで済んでたんだから、ぜいたく言わずに我慢すべきだ、というのはちょっと違うんじゃないかな、と思ったりもするのだ。
少なくとも、安否の情報についてはそうだと思った。
この日、出かけていたのは8時間半ほどだったが、もしその間、妻に何かあったら、私に何かあったら、と考えた時、双方がスマートフォンを持っていない状況というのは誠に心細いものだ。
持っていれば、当然電話はできるし、メールもLINEもできる。
その一切が、片方の私が家に置き忘れただけで遮断されてしまっているわけだ。
昔はそうだったんだ、と言ってしまえばそれまでだ。確かに固定電話しかない時代、外出してしまえばもう連絡のとりようがなかった。
(今、たまたまCS放送で「踊る大捜査線」をやっていたが、湾岸署から青島のところに連絡が入る場面はポケットベルだった。1997年放映)
でも今は違う。
互いに動いている者同士でも、連絡のとりやすさは比較にならない。
その利便性は享受すべきだよなあ、とつくづく思ったのだった。
さしあたり昨日は、道中見つけた公衆電話から妻に電話して、スマートフォンが家にあることを伝え、互いの無事を確認した。
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やがて消えゆくのか、駅の伝言板
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「昔はなかったもの」~携帯電話
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