相撲は、「自分の目で」まず見たい。
これが私のこだわりだ。
話や活字で結果を先に知るのでなく、相撲そのものを、自分の目で確かめたい。
これが私のこだわりだ。
話や活字で結果を先に知るのでなく、相撲そのものを、自分の目で確かめたい。
これについて忘れられないのが、平成3年(91年)5月場所、千代の富士の引退の時である。
この相撲で千代の富士は引退を決意したと言われるが、実際は翌日以降も相撲をとっている。
帰るなり、妻が「千代の富士が引退したよ」と言う。
私は烈火のごとく怒った。
おそらく、あれほど妻に対して怒りを向けたのは、後にも先にもあの日が一番だったと思う。
おそらく、あれほど妻に対して怒りを向けたのは、後にも先にもあの日が一番だったと思う。
「どうして、そういう大事なことを、相撲を見る前に言うんだ」と責めた。
妻にしてみれば、私が好きでずっと見てきた千代の富士の引退というニュースを、早く知らせたいという、よかれと思ってのことだった。
しかし、私とすれば、その貴闘力戦がどんな相撲だったかを見る前に、引退を知らされたのが、許せなかった。
自分の目でその相撲を見て、ああ、やっぱりこういう相撲しかとれないんじゃ、引退だな、と思った上で、引退の結論を知りたかった。他の力士ならそこまでこだわらなかったが、自分が思い入れを持って見てきた千代の富士だ。自分がこれほど入れ込める力士はすぐには出てこないと思っていた。その千代の富士が、引き時にきていることはもちろんわかっていたので、その終わり方については、自分が納得する見届け方をしたかったのだ。
だから、引退自体はまったく意外でもなかったのであって、「自分として踏むべき手順」を踏まずにそれを知らされたことに憤ったのだった。
しかし、私とすれば、その貴闘力戦がどんな相撲だったかを見る前に、引退を知らされたのが、許せなかった。
自分の目でその相撲を見て、ああ、やっぱりこういう相撲しかとれないんじゃ、引退だな、と思った上で、引退の結論を知りたかった。他の力士ならそこまでこだわらなかったが、自分が思い入れを持って見てきた千代の富士だ。自分がこれほど入れ込める力士はすぐには出てこないと思っていた。その千代の富士が、引き時にきていることはもちろんわかっていたので、その終わり方については、自分が納得する見届け方をしたかったのだ。
だから、引退自体はまったく意外でもなかったのであって、「自分として踏むべき手順」を踏まずにそれを知らされたことに憤ったのだった。
妻にいくらそのへんを訴えようとしても、まあ、後の祭りだったし、飲んでもいたので、詳細には言わなかった。
あれから丸16年がたった。
今では私もあの時は大人げなかったと反省もしているし、まあ笑い話にする気持ちにはなっているのだが、実は妻はいまだに根に持っているのだ。
今では私もあの時は大人げなかったと反省もしているし、まあ笑い話にする気持ちにはなっているのだが、実は妻はいまだに根に持っているのだ。
おそらく、一生言われ続けるのだろう。私が相撲を見ている限り。