naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

相撲を見るのも大変なんですよ~その2(続き) 一生言われ続ける宿命の話

相撲は、「自分の目で」まず見たい。
これが私のこだわりだ。
話や活字で結果を先に知るのでなく、相撲そのものを、自分の目で確かめたい。

これについて忘れられないのが、平成3年(91年)5月場所、千代の富士の引退の時である。

この場所、初日に貴花田との初顔合わせで、気鋭の若手に敗れた。
かつて父貴ノ花に引退の引導を渡した千代の富士に、その息子が挑んで見事に勝ったこの一番は、非常に有名だ。

この相撲で千代の富士は引退を決意したと言われるが、実際は翌日以降も相撲をとっている。

2日目、板井に勝って、1勝1敗。
そして3日目、貴闘力との取組が組まれた。
結果、貴闘力がとったりで勝ち、敗れた千代の富士は、打ち出し後、「体力の限界っっっ!気力もなくなり・・・」の引退会見をする。

この日、私は飲み会があって、千代の富士の引退を知ることなく、遅く家に帰った。貴闘力との相撲もまだ見ていない。

帰るなり、妻が「千代の富士が引退したよ」と言う。

私は烈火のごとく怒った。
おそらく、あれほど妻に対して怒りを向けたのは、後にも先にもあの日が一番だったと思う。

「どうして、そういう大事なことを、相撲を見る前に言うんだ」と責めた。

妻にしてみれば、私が好きでずっと見てきた千代の富士の引退というニュースを、早く知らせたいという、よかれと思ってのことだった。
しかし、私とすれば、その貴闘力戦がどんな相撲だったかを見る前に、引退を知らされたのが、許せなかった。
自分の目でその相撲を見て、ああ、やっぱりこういう相撲しかとれないんじゃ、引退だな、と思った上で、引退の結論を知りたかった。他の力士ならそこまでこだわらなかったが、自分が思い入れを持って見てきた千代の富士だ。自分がこれほど入れ込める力士はすぐには出てこないと思っていた。その千代の富士が、引き時にきていることはもちろんわかっていたので、その終わり方については、自分が納得する見届け方をしたかったのだ。
だから、引退自体はまったく意外でもなかったのであって、「自分として踏むべき手順」を踏まずにそれを知らされたことに憤ったのだった。

妻にいくらそのへんを訴えようとしても、まあ、後の祭りだったし、飲んでもいたので、詳細には言わなかった。

あれから丸16年がたった。
今では私もあの時は大人げなかったと反省もしているし、まあ笑い話にする気持ちにはなっているのだが、実は妻はいまだに根に持っているのだ。

毎年、5月場所になるたびに、妻はこの話を持ち出す。
千代の富士の引退の話をして怒られたのって、5月場所だったよね」
ほんとに毎年必ず言う。恐ろしいね。

おそらく、一生言われ続けるのだろう。私が相撲を見ている限り。

その元千代の富士九重親方は、今日も正面で審判長を務めていた。