naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

赤塚不二夫氏の訃報に

赤塚不二夫氏が亡くなった。

朝日新聞では、1面で、かなり大きく扱われた。
確かにそれだけの存在だったと思う。

脳内出血で倒れて以後、6年もの間、意識がない状態だったという。
現役で活動する晩年でなかったことは、本当に残念だ。

癌闘病からの復帰会見で、水割りを片手に持っていたのをおぼえているが、その後も、酒を抜くために入院したりしていたそうだから、ある意味では、破滅型の芸術家だったと言えるかもしれない。

赤塚不二夫のマンガは、子供の頃、私もそれなりに読んだ。
ただ、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」、「エイトマン」、「スーパー・ジェッター」などのヒーローもの、あるいは、「黒い秘密兵器」などの野球マンガ、「伊賀の影丸」などの忍者ものの方が、ジャンルとしては好きだったので、私にとっては、そう没頭した対象ではない。
母親が、赤塚不二夫のマンガにあまりいい顔をしなかった、という事情もあった。
私の世代の子供を持つ母親は、おしなべて、赤塚不二夫のマンガには好意的でなかったように思う。

それはともかく、私がちゃんと読んだのは、やはり「おそ松くん」だ。少年サンデーは毎号読んでいたから。

チビ太がいつも持っていたおでんの串。これを見て、おでんを食べたいとよく思ったものだ。
コンビニなどはない時代。おでんは、家で母親が作ってくれるものだった。
  ※関連の過去記事「正月休み最終日~懸案の「Google Earth」と「チビ太のおでん」」
      http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/52907003.html

それから、イヤミ。おフランスのイヤミ。
リアルのnaokichiをご存知の方は既にご承知の通り、私は明石家さんま同様の出っ歯だ。
子供の頃は、周囲のクラスメイトに、しょっちゅう、「デッパ」「デッパ」とからかわれていたのだが、その時に、イヤミを引き合いに出されることも多かった。あれはイヤだったなあ。

あと、「りぼん」に連載されていた「ひみつのアッコちゃん」も知っている。鏡を見ながらとなえる変身のおまじないは、「テクマクマヤコン」として知られていると思うが、これは、アニメ化に際して採用されたのではなかったか。
雑誌誌上では、「なりたいものを逆から言う」おまじないだったと記憶する。例えば、「お姫さまになあれ」→「レアナニマサメヒオ」。

天才バカボン」は、少年マガジン
赤塚不二夫の新連載ということで、結構鳴り物入りで始まったように記憶する。
連載第1回は、ママがお産のために入院中のシチュエーションで始まる。そして、今日も生まれそうだったのに、バカボンのパパバカボンが起こした騒動のせいでひっこんでしまったというオチが毎号続いた。
さんざん待たせたあげくに生まれたのが、ハジメ君だ。

個人的な意見だが、赤塚マンガのさまざまなキャラクター(自分が知っている限りでだが)の中でのナンバーワンは、やはりバカボンのパパだと思う。
「これでいいのだ」。何と哲学的な一言。
赤塚不二夫の芸術性の高さは、スラップスティックなギャグの裏に流れる、こうした思想性にあると思う。

あと、赤塚不二夫の、作品以外での大きな功績として、タモリを世に出したことが挙げられる。
これは本当に大きいことだと思う。

6月に、文春新書から、「シェーの時代~「おそ松くん」と昭和こども社会」(泉麻人著)という新刊が出た。
買っていながら、きちんと読んでいなかったのだが、この訃報を機に、手にとってみたい。