学生時代から40年余り越しの念願だった音盤である。
「ニーベルングの指環」。
クラシックファンとしての私にとってのこの巨峰については、これまでも書いてきた。
1973年、高校3年の時、ベーム=バイロイト祝祭管の全曲盤がフィリップスから鳴り物入りで発売された。オペラ4つでひとまとまり、という巨大な作品があることを、その時知ったのだと思う。確か「レコード芸術」の広告を見て、いささか興奮しつつ、脇にいた母に、こんなすごいオペラがあるんだよ、と話したのを記憶している。
その時まだクラシック初心者だった私が、初めてオペラ全曲盤レコードというものを買ったのは、3年半くらい経った大学3年の時。スウィトナー=シュターツカペレ・ドレスデンの「魔笛」だった。
当時は、大学オケでヴァイオリンを弾いていた親友のMと、毎晩のように私のアパートの部屋でレコードを聴きながらクラシック談義をしていた。Mはオペラ通で、その「魔笛」を買った時も、アパート近くのレコード店に一緒に行って選んでもらったのだった。
そのMとは、「リング」の話もしばしばした。買うなら誰のレコードにするか、と語り合ったものだ。確か、Mも「リング」のレコードは持っていなかったと思う。
1970年代のこの頃、候補となるレコードは、まずショルティ=ウィーン・フィル、カラヤン=ベルリン・フィル、それにリリース間もない前記ベーム盤あたりだった。フルトヴェングラーの盤も出ていたが、古いモノーラル録音であり、ファーストチョイスにはできなかった。
Mとの話の中では、やはり録音がいいデッカのショルティ盤が一番か、という話にいつも落ち着いていた。カラヤンももちろん話題になったが、Mは「カラヤンのワーグナーにはちょっと疑問がある」と言っていたのを覚えている。
ただ、どれを選ぶか以前の大問題は、ともかく値段が高いことだった。ベーム盤のリリース時、LPレコード16枚組で確か35,000円か36,000円だったと記憶する。ショルティが確か30,000円。ショルティ盤にはライトモチーフ集が付属していて、お得感があった。
組物の枚数としては、マーラーやブルックナーの交響曲全集などよりも多い。40年以上前のその値段は、今の貨幣価値で言えば6~7万円に相当するだろう(当時住んでいた国立のアパート(6畳一間)の家賃が月20,000円だった)。いくら聴きたくともおいそれと手が出せるものではなかった。
ということで、「リング」のレコードは、レコード店の店頭で見るだけで買うにはとても至らず、FMなどで耳にすることもないまま大学を卒業し、就職する。
給料をもらうようになったこともあり、色々なオペラの全曲盤を買い揃えるようになった。
ワーグナーについては、入社1年目に「トリスタンとイゾルデ」(ベーム)、2年目に「マイスタージンガー」(カラヤン)、「さまよえるオランダ人」(ベーム)、3年目に「タンホイザー」(サヴァリッシュ)を買った。
ただ「リング」に関しては、値段もさることながら、あまりに長いオペラであり、お話も複雑そうなので、腰を据えて予習した上で聴かなければならない、というハードルの高さがネックとなり、いつかは買おう、いつかは聴こうと常々思いながらも、踏み切れぬまま推移した。
幾星霜が過ぎ、50代に達して人生の残り時間を意識するようになった私は、長年の懸案である「リング」にいまださわってもいない自分に気づき、もういい加減聴かねば、と自分を鼓舞した。このままでは一生聴かずに終わるぞ、と。
とにかく、どれかの音源をまずは手に入れてしまうことだ、と思案の結果買ったのがカラヤン盤だった。今から10年前、2011年5月のことだった。思えば震災のすぐ後。大学卒業後実に33年が経過し、55歳での入手であった。
「初めての「リング」」には、学生時代からの本命だったショルティ盤と迷った末、結局カラヤンを選んだ。
ショルティ盤もカラヤン盤も、以前は冬のボーナス時期になると、数量限定プレスとか言って毎年再発売されていた記憶があるが、この2011年時点ではどちらも国内盤では入手不可能になっていた。ともかく手に入れるのが先決だったので、やむなく輸入盤を買った。
ウォークマンで全曲を聴いた。
その後、2012年12月に、ドイツ・グラモフォンのワーグナーオペラ全集という輸入盤の格安ボックスを買ったら、「リング」はレヴァイン=メトロポリタン歌劇場管の演奏が入っていた。2組目である(これは現在に至るまで未聴)。
さらに、映像ソフトとしては、同じレヴァイン=メトのDVDを2013年6月に買い求めた。
そして、実演にふれるチャンスがとうとうやってきた。新国立劇場で2015~2017年に、四部作が順次上演されることになった。
そうそうめったにない機会だから、これは観なければならないと、懸命のにわか勉強をしてすべて観た。曲がりなりにも「リング」全曲を実演で観た、というのは大きな経験だった。
これまでの経過はざっとこういうものである。
ところで、「リング」の存在を知って半世紀近く。既に65歳となった現在、かつての本命盤、ショルティ盤をいまだ耳にする機会がないことは、常に気になっていた。
そんな折、今月、新国立劇場で「ワルキューレ」が5年ぶりに再演され、これを聴きに行くことにしたのが一つの契機、刺激になった。
今後国内盤の再発売はおそらく期待できない今、輸入盤で構わないので、とにかくこの演奏を聴いてみたい、と思い、検索してみたところ、タワーレコードのサイトで入手できることがわかった。
さっそく注文し、25日(木)に無事入手することができた。
真っ白なボックスのこの全曲盤、お値段は何と税込7,301円。半世紀前に3万円したものが、4分の1以下で手に入るとは。私は「レコードは物価の優等生」だと思っているが、それにしても安い。
ということで、さっそくPC経由でウォークマンに取り込み、今週は通勤時に聴いている。
「ラインの黄金」が終わり、今日は「ワルキューレ」の3幕まで来た。
この演奏、ウォークマンのイヤホンで聴く限りでも、英デッカの録音の優秀さは明らかだ。非常に明るく華やかなサウンドである。
ショルティの演奏自体がそうだという面もあるだろう。非常に明晰、明快なワーグナーである。
レコード史に語り継がれてきた不滅の名盤であることを充分に実感しつつ聴き進めているところだ。
それに比べると、これまで何度か聴いたカラヤン盤はもっと地味な印象で振り返られる。いや、カラヤンの方が「大人の演奏」ということかもしれない。いずれ近い内に聴き比べてみたい。
さて、ここまで来ると、この上はバイロイトの実況盤を聴いてみたいという気持ちが出てくる。
有力候補としては、上演が古い順に、カイルベルト、ベーム、ブーレーズが考えられる。高校時代から知っているベーム盤を聴いてみたいという気持ちもあるものの、ここはやはり、21世紀に入ってから思いがけず発掘されて大絶賛を浴びたカイルベルト盤を選ぶべきだろうと考えた。私が生まれた1955年の公演の録音でもあるし。
タワーレコードのサイトを通じて取り寄せ中。在庫切れということがなく入荷することを祈っているところである。
堀内修氏の著書「オペラの名盤」(平凡社新書)の、「リング」のページにこういう記述がある。
「ひとつの「指環」世界に没入した後は、別の「指環」へと向かうのも、悪くない。昔は不可能だったし、少し前までは非常な贅沢だったけれど、いまなら可能で、ちょっとした贅沢なのだから」。
そういう面はあるなあ、と思う。前記の通り、学生時代、アパートの家賃を超える値段だったショルティの全曲盤が、今は飲み会2回分にも満たない金額で手に入るのだから。
3組目、4組目の全曲盤を買うことは、あの頃ならとんでもないことだったが、今は確かにちょっとした贅沢のレベルになっている。
ただそれは、金銭的な部分。
購入した全曲盤をじっくり聴き比べる「時間」を捻出することは、別だ。
時間なら、学生時代の方がいくらでもあったなあ。
そこが人生か。
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