naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

澤クヮルテット結成30周年記念演奏会

宇奈月温泉旅行中の、9月26日(土)、澤クヮルテットの演奏会を聴きに行った。

 

昨年7月にも、宇奈月で澤クヮルテットの演奏会を聴いている。

   澤クヮルテット&蓼沼恵美子七夕コンサート“室内楽への誘い”
      https://naokichivla.hatenablog.com/entry/66318252

 

それに続く2回目である。

f:id:naokichivla:20201031170351j:plain

f:id:naokichivla:20201031170422j:plain

f:id:naokichivla:20201031170519j:plain

 

入場時にもらったプログラム。

f:id:naokichivla:20201031170549j:plain

f:id:naokichivla:20201031170613j:plain

 

本来、この9月は、19日(土)~20日(日)に、毎年恒例の「湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト宇奈月」が開催されるはずだったが、新型コロナウイルスの影響で中止となってしまい、これに代えて、翌週にあたる25日(金)~27日(日)に別途旅行で訪れたものだが、そのことで、この演奏会を聴く機会が得られた。

 

●澤クヮルテット結成30周年記念演奏会

日 時 2020年9月26日(土) 16:30開場 17:00開演
会 場 黒部市宇奈月国際会館セレネ大ホール
演 奏 澤クヮルテット
曲 目 モーツァルト 弦楽四重奏曲第19番ハ長調「不協和音」
    ドビュッシー 弦楽四重奏曲ト短調
    ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番ハ長調「ラズモフスキー第3番」
    [アンコール]

    モーツァルト 弦楽四重奏曲第21番ニ長調「プロシャ王第1番」 第2楽章

 

自由席だが、間隔を1席ずつ空ける形。座れる席には連絡先を記入する紙が置いてあって、終演後は席に置いて帰るようにとのこと。自由席だから、もし感染者が出た場合、誰がどこに座っていたかを把握するためのようだ。

 

我々は、F列の23番と25番に座った。

 

冒頭、澤和樹氏が登場してのMC。

 

1990年11月の結成から30周年。記念演奏会を17公演予定したが、コロナ禍でほとんどが中止、延期となり、この演奏会が復活第1回とのこと。タキシードを出したら黴が生えていたそうだ。

 

最初は、モーツァルトの「不協和音」。この曲は、ハイドンセットの中でも好きな1曲だし、もう20年前のことだが、オケ仲間で四重奏団を組んで、しばらく練習したことがあり、その意味でもなじみがある。

 

2楽章の肩怒らせないしっとりとした味わいが、すばらしかった。K515の五重奏曲の緩徐楽章との共通性、親近性を感じる。

 

続いてドビュッシー。この曲を知ったのは、大学オケ時代。部室で仲間たちが合わせているのを聴いたのが最初なので、もう長い。自分で弾いたことはないが。

 

1楽章が始まって、ちょっとびっくりした。意図的なものだろうが、モーツァルトとは一転して、体躯の大きな響き。満ちあふれるような音だ。

 

2楽章は面白いところのある音楽だ。

 

3楽章では、ヴィオラの役割が重要であることがよくわかった。玄妙な響きに、宇奈月の山々を思い浮かべた。

 

休憩をはさんで、メインの「ラズモフスキー」3番。

 

1楽章冒頭の特異な和音は、同じハ長調の1番のシンフォニー冒頭を思い出させる。1曲目のモーツァルトと組み合わせたのは、選曲上の意図かもしれない。

 

ドビュッシーの後のベートーヴェンは、やはりがっちりした音楽と聞こえる。

 

2楽章は独特の憂愁がある。

 

3楽章は優美なメヌエットとして始まるが、すぐに地のベートーヴェンが顔を出すのが面白い。

 

4楽章はやはり圧巻の音楽と言う他はない。ベートーヴェンの音楽と澤クヮルテットの4人が格闘しているようだった。

 

全体を通じて、チェロがとてもよかったと思う。過ぎた野太さがなく、常にほどよい感じだった。

 

アンコールは、澤氏のMCで、「プロシャ王」のアンダンテとアナウンスされた。

 

f:id:naokichivla:20201031170728j:plain

(出口にアンコールボードにはこう書かれていたが、間違い。確かに23番の2楽章もアンダンテだが、調が違う。21番の2楽章だった)

 

昨年7月の演奏会では、ロビーで販売しているCDの購入者を対象とするサイン会があった。

 

今回もサイン会があればと、さだ(まさし)さんの「存在理由~レゾン・デートル」を家から持ってきていた。澤氏が作曲あるいは演奏している作品が収録されているからだ。

 

しかし、新型コロナウイルスの影響か、今回はサイン会はなく、残念だった。

 

CD販売はしていたので、この演奏会の3日前に発売された、「ヴァイオリンでうたう日本のこころ」を購入した。

f:id:naokichivla:20201031170915j:plain

 

またこの宇奈月で、澤クヮルテットの演奏を聴きたいものだ。

 

宇奈月モーツァルト音楽祭10周年記念誌

2010年に始まった、宇奈月温泉の「湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト宇奈月」が、10周年を迎えた。

 

これを機に、「宇奈月モーツァルト音楽祭10周年記念誌」が刊行された。

 

このことは、早くにSNSで情報を得ていた。

9月に現地に旅行することを予定していたので、黒部市宇奈月国際会館セレネに電話して、取り置きをお願いした。

 

この記念誌については、10月の宇奈月オペラ東京公演に向けた練習の時も、横島勝人先生からお話があり、多くのメンバーが、購入を申し込んで郵送で入手したようだった。

 

そして、予定の旅行。

9月26日(土)に、澤クヮルテットの演奏会でセレネに行ったので、入場時に1階のカウンターに、電話予約の旨を申し出て、無事入手することができた。

f:id:naokichivla:20201031165841j:plain

f:id:naokichivla:20201031165859j:plain

 

124ページ、分厚い立派な記念誌である。

 

オープニングオペラが始まったのは、2016年の第7回。10回の歴史の中のここ4回に参加させてもらったことになる。

 

音楽祭の芸術監督である横島先生の寄稿、我々のオーケストラの事務局であるHさんの寄稿。

 

2010年の第1回からの演奏会記録も載っており、オープニングオペラについては、各回のソリスト、オーケストラメンバー、合唱団メンバーも掲載されている。

 

大変読みごたえのある記念誌。大切にしたい。

宇奈月旅行<2> 9/26(土)

明けて9月26日(土)。

 

早朝起きて、露天風呂へ。

 

部屋に届いた北日本新聞。

f:id:naokichivla:20201031163745j:plain

 

富山県出身の朝乃山は、3年前の新入幕の時から、地元の新聞には毎日一面に記事が載っている。

昨年の平幕優勝を経て、今や大関だ。

九月場所も、まさかの3連敗スタートからその後10連勝と持ち直し、優勝争いにもくいついている。

一面とスポーツ欄の記事の他、今は、「日刊朝乃山」というページも設けられている。

f:id:naokichivla:20201031163900j:plain

f:id:naokichivla:20201031163919j:plain


朝食の後、持ってきた急ぎの仕事の書類を見る。いわゆるワーケーションである。本意ではないので、そこそこでやめた。

 

昼食に出かけた。

f:id:naokichivla:20201031164017j:plain

 

広くはない宇奈月の温泉街は、もうすっかり覚えた。

ぶらぶらと散歩。

f:id:naokichivla:20201031164107j:plain

 

河田書店。

f:id:naokichivla:20201031164135j:plain

 

中止となった音楽祭のチラシが貼られている。

f:id:naokichivla:20201031164204j:plain

 

朝の北日本新聞で、同社が朝乃山に関する本の広告を見たので、聞いてみたが、置いていないという。残念。

 

(後日、ネット注文で購入した)

f:id:naokichivla:20201031164246j:plain

 

昨日電車を下りた宇奈月温泉の駅。

f:id:naokichivla:20201031164426j:plain

f:id:naokichivla:20201031164505j:plain


駅周辺は、結構人がいる。観光客も少し戻ってきたのだろうか。


柏やで、すいかのソフトクリーム。

f:id:naokichivla:20201031164528j:plain

 

ロッコ電車。

f:id:naokichivla:20201031164558j:plain

 

昼食は、河鹿(かじか)に入った。

f:id:naokichivla:20201031164638j:plain

 

イカの黒作り。

f:id:naokichivla:20201031164716j:plain

 

「本日の焼き魚」は、ホッケ。

f:id:naokichivla:20201031164742j:plain

 

次回は、この店の名物である釜めしを食べてみたい。

 

延楽に戻る。

 

途中、澤クヮルテットの皆さんを乗せた延楽のバスとすれ違った。昨年もそうだが、延楽に宿泊されているようだ。これからリハーサルなのだろう。

 

部屋に戻って一服し、夕方、演奏会を聴くために、黒部市宇奈月国際会館セレネへ出かけた。16:30開場、17:00開演である。

 

19時頃終演。延楽に戻って夕食。

 

相撲は、オンタイムでは観られなかったので、NHKの動画配信で観た。

朝乃山は正代に敗れて、優勝争いから脱落。残念。

 

f:id:naokichivla:20201031165144j:plain

 

のど黒浜焼き

f:id:naokichivla:20201031165222j:plain

 

食事は白海老釜飯と赤出汁。

f:id:naokichivla:20201031165346j:plain

 

宇奈月旅行<1> 9/25(金)

9月25日(金)~27日(日)、宇奈月温泉に旅行してきた。

 

宇奈月にはもともと、9月19日(土)~20日(日)に、毎年恒例の「湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト宇奈月」が開催され、オープニングオペラ「ドン・ジョヴァンニ」に参加するために行く予定だった。

 

ところが、このコロナ禍で音楽祭が中止となってしまい、当然にオペラ公演もなくなった(10月の初の東京公演は、無観客配信で実施)。

 

音楽祭がなくとも、旅行として宇奈月に行くことを考えたのだが、あいにく9月19日には東京公演に向けての都内練習が追加で組まれたため、これも中止せざるを得ず、それに代えて、1週間後に予約を取り直して出かけたのだった。

 

ただ、延期して一つの幸いは、9月26日(土)に、黒部市宇奈月国際会館セレネで澤クヮルテットの演奏会が行われることだった。この会場での澤クヮルテットの演奏会は、昨年7月にも聴いている。図らずも時期が合ったので、早速チケットを買い求めた。

 

9月25日は休暇をとり、朝、家を出た。

 

東京駅10:32発のはくたか559号に乗車。

f:id:naokichivla:20201031162718j:plain

f:id:naokichivla:20201031162747j:plain


黒部宇奈月温泉駅に到着後、併設の新黒部駅から、富山地方鉄道に乗って、宇奈月温泉まで移動した。

f:id:naokichivla:20201031162913j:plain

 

新黒部駅ホームからの田園風景。

f:id:naokichivla:20201031162959j:plain

f:id:naokichivla:20201031163019j:plain

f:id:naokichivla:20201031163038j:plain

f:id:naokichivla:20201031163053j:plain


宇奈月温泉に向かう。この特急は、終点の宇奈月温泉まで途中ノンストップ。

f:id:naokichivla:20201031163130j:plain

f:id:naokichivla:20201031163151j:plain

 

宇奈月温泉駅には迎えの車が来ており、いつもの宿泊先、延楽に入った。

f:id:naokichivla:20201031163241j:plain


窓からはいつもの景色。

f:id:naokichivla:20201031163305j:plain

f:id:naokichivla:20201031163319j:plain


以後、滞在中は、澤クヮルテットの演奏会以外に特段の観光等の目的はなく、部屋でごろごろして風呂に入るだけ、という過ごし方となった。

 

部屋には無料のマッサージ椅子があり、何かと言えば座った。

f:id:naokichivla:20201031163350j:plain


ありそうでなかなかない、のんびりするための旅行である。


九月場所は13日目。部屋のテレビでオンタイムで観戦できた。


夕食は、近くの別室で部屋食。


日本酒は、大河ドラマでよく観るみたいな感じで。

f:id:naokichivla:20201031163505j:plain

f:id:naokichivla:20201031163535j:plain

 

東村アキコ「東京タラレバ娘」読了

東村アキコの「東京タラレバ娘」全9巻を読み終わった。

f:id:naokichivla:20201031091117j:plain

 

読み始めれば止まらない面白さだったが、もったいないので一気に読むことはせず、時間をかけた。

 

東村アキコという漫画家を知ったのは、「ビックコミックスピリッツ」連載の「雪花の虎」だった。

きれいな絵だなあ、と思いながら読んだ。

(つい最近、完結)

 

今年の春には、「美食探偵 明智五郎」既刊6巻を読んだ。ちょうど、テレビドラマとしても放映していたので、それも併せて観た(小芝風花小池栄子が好演)。

 

そして、さらに「偽装不倫」全8巻を、これは一気に読んだ。東村アキコという人が作る物語の面白さに感じ入った。また、この作品全体に流れる幻想性も、独特の魅力だと思った。

 

この間、NHKの「あさイチ」に東村アキコその人が出演し、人物にもふれた。

 

こうなるとさらに探索したくなる。今回の「東京タラレバ娘」に至った。

 

全9巻をゆっくり読み、ここに至って完全にとどめを刺された感じだ。

 

まず、ここでも物語、ストーリーの面白さ。展開や伏線が実に緻密だ。

一例を挙げると、「先生」。

KEYが自己のドキュメンタリー映画の撮影で、亡くなった妻を語る場面で、監督が、「「妻」、「彼女」、「先生」とその女を呼ぶ中で、「先生」が一番自然だった」と言う(7巻)。

(妻はKEYの主治医だった)

そのKEYが、北伊豆で酔いつぶれているのを、倫子たちが迎えに行くことになる。北伊豆の人たちが、「先生が迎えに来てくれるって」と告げると、彼は「先生・・・?」と反応する(8巻)。

(倫子は脚本家として北伊豆の人たちとローカルドラマを撮影した)

KEYの妻と倫子をつなぐ、「先生」というワードの用い方には、つくづく感じ入った。

ストーリー作りの巧みさでは、柴門ふみを思い出す。

 

それから、ここでも絵の上手さ。時代劇である「雪花の虎」よりも、彫りが深い印象を受ける。

そして、何と言っても、全ページにわたって、構図がすごい。

かつて、高橋留美子の「めぞん一刻」で、構図の妙を感じさせられたことがあるが、あれ以上だと思う。

 

結果、語られるストーリー、そのマンガ表現があいまって、上質の映画あるいはドラマを観ているような気にさせられる。この点では、浦沢直樹の一連の作品に匹敵する。

消防隊、軍隊、過去への回想等々、仮想、架空、空想をはさむ演出も絶妙である。

 

読み終わって、この漫画は、「思想の表現」だと感ずる。その思想に賛同するかどうかは別だが。

文学のレベルだとも思った。

 

さて、次は何を読もうか。

 

「スピリッツ本」!

昨30日(金)、会社帰りに西新宿のブックファーストに立ち寄った。

 

新刊の「ショパンの事件譜」(あおきてつお)の6巻を買うのが目的だったが、それを探していて見つけたのが、これ。

f:id:naokichivla:20201031084921j:plain

 

「スピリッツ本」!

 

この、小学館の「漫画家本」シリーズは、これまでに「島本和彦本」「あだち充本」「細野不二彦本」「浅野いにお本」などが発売されてきたが、雑誌をテーマにするのは珍しいのではないだろうか。

 

目次はこちら。

f:id:naokichivla:20201031085202j:plain

 

スピリッツファンにとっては、誠にたまらない内容。

 

読みごたえがありそうだ。

2020年10月時点のコロナ雑感

新型コロナウイルスの話も、何か今さらって感じですけど、ちょっと思うところもあって。

 

 


これまでの人生で、感染症に最も恐怖を感じたのは、やはりHIV/AIDSだった。

 

私が「エイズ」というものを知ったのは、確か1980年代半ば頃、「笑っていいとも」でだった。

 

国内であれこれ騒がれるようになったのは、これも確か1990年代前半。

 

当時、私は労働組合の専従役員の仕事をしていたが、HIV感染に伴う、差別、偏見等の話を聞き、組合員の中に感染者が出て、組織内でそのようなことがあってはならない、と感じた。

 

HIV/AIDSについてあれこれ勉強し、正しい知識の啓蒙のため、機関紙に連載記事を書いたり、研修で説明したりしたものだった。

 

当時の認識としては、「感染してしまったら、HIVを追い出すことはできない。いずれ関連疾病を発症して死に至る」というものだった。

 

日本で問題になった時期には、既に研究がだいぶ進んでおり、実像は把握されていたと思う。

 

少なくとも、感染経路、どうすれば感染を避けられるかは明確だったので、啓蒙がしやすい面があったと記憶する。

 

 


さて、コロナである。

 

あの頃のHIV/AIDSに比べると、まだまだわからないことが多いように感じる。

 

さんざん議論されてきた、感染拡大防止と経済のバランスを始め、万人が納得し、あるいは従うべき、「これが正解」というものが、私には見えない。

 

その背景の一つは、HIV/AIDSとは影響範囲が段違いであることだろう。コロナの影響を受けていない人は、一人もいない、と言ってもいいはずだ。それも全世界的に。

 

人が集まること、群れることが排除される特質により、仕事にせよ趣味にせよ、ありとあらゆる生活の分野が大きく影響を受けている。

 

そんな中、それぞれの人が、それぞれの立場、あるいは損得で物を言うから、まとまるはずもないのだろう。

 

東京オリパラにしても、私個人としては、早く中止と決めてもらいたいと思うが、それは一市民の立場。ここで、完全な形でないにせよ、開催の実績を作ることに、意義を感じている人もいるはずで、それも理解できる。まして、当事者としての選手にしてみれば、長年目指してきた大会がなくなることなど、耐え難いはずだ。これも理解できる。

 

難しいんだよね、コロナは。

 

 


このところ感じるのは、連日メディアで色々報道されているものの、「身近に脅威がある」との実感が乏しい、ってこと。

 

千葉に住み、東京に通勤し、その東京では、連日3ケタの新規感染が確認されている、というが、自分が勤務する2社で、社内に感染者が出た、という情報は、皆無ではないものの、ごくごく稀だ。A社で1人(短期で復帰)、B社はゼロ。

 

友人、知人、親族関係でも話は聞かない。知らないだけかもしれないが。

 

メディアでは、芸能人やスポーツ選手などの感染情報が、これも日々報道される。ただ、志村けんさんが感染判明後早々に亡くなってしまったのはショックだったものの、このところの著名人の感染情報で、その後誰かが重篤化して亡くなった、という続報はあまり聞かない。

 

感染が確認された、ということと、だから死に至る、ということの落差。

 

ちょっと慣れた? マヒしてきた? ってことなのかな。

 

その点では、芸能でなく一般の報道に望みたいのは、単に今日何人新規に感染しました、を大きく扱うのではなく、人口に対する比率が例えば都市部と地方でどう推移しているか、とかの、「割合」に関する情報だ。だって、東京都では、昨日250人でしたが、今日は100人でした、と言われると、何だか減ったみたいに思ってしまうが、増え続けていることに変わりはなくて、その増え幅が鈍ったってだけだものね。

 

私が一番知りたいのは、新規の感染事実ではなく、感染したその人が、その後どうなったか、だ。

 

治癒したのか、重症化したのか、亡くなったのか。

 

「割合」で端的に言えば、感染者の人口比に加え、感染者に対する死亡者率が大事だと思う。それが、例えば以前に比べて悪化しているのか改善しているのか。

 

そのへんを、常に詳細に報道し続けてほしい。メディアに望みたいのはここだ。

 

とにかく、生活のあらゆる場面が、多かれ少なかれ不自由になっている現実。誰もがストレスや閉塞感みたいなものを、これも多かれ少なかれ感じながら、日々を生きている状況にある。

 

そんな中、今、思うことは、そうした重苦しさに負けてはいけない、と。ストレスや閉塞感に負けて、例えば家族の間で、友人との間がギスギスしたり、喧嘩するなんてことになっては、ほんとにつまらないと思うんだよね。

 

一個人としてできることは、鬱陶しさは否定できなくても、でけいるだけ元気を出して明るく過ごすこと。だってどうにもならないんだから。それは、あなたのせいでもないし私のせいでもないわけで、みんながおんなじ前提なんだから。

 

「正しく測定された脅威」の継続的な情報と、それへの「正しい対処方法」の整理された情報がほしい。

 

 


あとね、もう一つこのところ感じるのは、これがいつまで続くんだろう、という「スパン」の問題。

 

例えば、今年の1月の末くらいでしたっけね、コロナが報道で目につき始めたのは。あの頃は、「あったかくなったら収束するんじゃないか」って言ってたよね。つまり、3ヶ月後くらいのスパン、今にして思えば笑っちゃうけど、それを期待していたのも事実。

 

東京オリパラにせよ、延期決断までの時期って、今年7月下旬というのが「だいぶ先」のことで、その頃には何か状況が変わってるんじゃないか、という期待もあったように思う。今になるとどだい無理なことに迷ってたなあ、って感覚だけど。

 

個人的には、何と言ってもマウントあさまのオーストリア公演。6月予定の海外公演に行けるんだろうか、行けないんだろうか、なんてことを、オリパラ同様、結構ぎりぎりまで思ってたものだ。それが無理だったのは、今になれば当然と思っているのだが、ひるがえって、では延期になった来年の6月はどうなのか、とそろそろ考え始めている。

 

延期になった時点では、丸1年先のことなので、さすがに1年も経てば、状況も変わってるだろう、という気がしていた。そう、まさに「さすがに1年も経てば」って感じに思ってた。でもね、既にそれから4ヶ月が経って、その延期公演は、8ヶ月先のことになった。

 

今、オーストリアはさほど深刻な状況ではないが、フランスやドイツで再度のロックダウンなど、ヨーロッパ全体は状況が悪化し始めている。私自身は、もしかするとまた中止か延期になるのではないか、あるいは予定通り決行されても自分は行かない選択もあるかな、とそろそろ現実味を持って考えるようになってきた。

 

「だいぶ先」、「さすがにその頃には」、なんていう「スパン」は、きわめて相対的なものなので、時間が経過すればするほど、「だいぶ」でも「さすがに」でもなくなってしまうことが、この数か月の経過で少しずつわかってきた。

 

先日、前の会社の同期で飲んでいた時、仲間の一人が、「ある人から、この状況はあと4年続くと聞いた」、と言っていた。

 

瞬間、4年かあ、と思った。ここでも、「いくら何でも4年までは」という感覚になりかかったが、現状が2年、3年経っても変わらなければ、だんだんそうでもなくなって、ついに4年経過した時点では、「あと10年経てば」になってる可能性もあるな、と思ったりもした。つまり、「4年はありうるかもしれない」と。

 

1月頃の、「春になったら」は、今、万人が笑い飛ばすんだろうけど、今の時点で、「来年の今頃には何とかなっていてほしい」みたいな話は、まだ必ずしも笑わない。しかし、そんな保証がある話でもない、とも半分気づき始めている。

 

 


そうなるとね。

 

そこを突き詰めて見つめた場合、「時間がなくなってくる」んだな。

 

万事にわたって、「早く以前のような状況に戻りたい」と、誰もが思う。

 

例えば、会社の仲間と、「コロナが落ち着いたら、久しぶりに一杯やりたいですね」などと言い合う。しかしそれがいつ来るのかはわからない。

 

所属オケ。今は、有志だけで集まって、椅子の消毒だとか何だとかめんどくさいことをやりながら、制約のある選曲で12月の定期演奏会を目指している。「早く前のように、何の心配もなくみんなで普通に集まって、好きな曲を笑いながらしゃべりながら演奏したい」と思う。しかし、それはいつになるのか。65歳3ヶ月の私には、そんな日は来ないかもしれない、と思うことが増えてきた。若い団員とは残り時間が違う。
(来年5月の定期演奏会では、普通にブラームスの2番他をやることが先日決まったが、できるんだろうか・・・)

 

あとね、小田(和正)さんのツアー。前回のツアーは、昨年終わった。これまでだったら、次のツアーは来年あたりかな、ってことになるが、小田さんに限らずコンサート会場を満員にして公演できる状況は、いつになったら来るのか? 待つしかないのだが、時間がなくなってくるという点では、当の小田さんが先月73歳になった事実は軽くない。若いアーティストとは残り時間が違うと思う。

 

東京オリパラも同様だ。アスリートたちにとってみれば、2021年の延期大会が中止になって、次の2024年のパリを目指せ、と言われても、パフォーマンス能力のピークを考えれば、間に合う人と間に合わない人がいるだろう。そう、分野によっては、そのように若い人にも時間がなくなる場面はある。

 

つくづくとんでもないことになったものだなあ。

 

私としては、感染後の重篤化や死亡リスクの関係が解明整理され、今の諸々の不自由を部分的にでも解除できるような、医学的科学的なエビデンスが確立されることを願う。有効なワクチンの開発ももちろん待ちたい。

 

それまでの間は、重苦しさに負けずに、明るく。

 

今、元気であることは、とにかく何よりのことだ。ありがたいことだ。

 

だから、今、できることを、元気にやりたい。それしかない。

 

※過去の関連記事
    「笑っていいとも!」終了のニュースに
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/63941010
    どうなる、新型コロナウイルス・・・
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2020/03/14/003541
    「今日も元気でよかった」という1日1日を積み重ねたい
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2020/04/18/103423
    井上道義氏の主張
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2020/07/08/224203
    

新宿駅

新宿駅ホームの時刻表示が変わった。

f:id:naokichivla:20201030160832j:plain
f:id:naokichivla:20201030160851j:plain
f:id:naokichivla:20201030160924j:plain

文字がくっきりとして見やすいし、かっこいい。

ドット式の文字表示がずいぶん昔のもののように感じる。

どんどん進歩しますね。

千葉駅でも、このタイプを見かけるようになりました。

オケ練日誌~ホール練、初めてのコンチェルトソロ合わせ

今日25日(日)のオケ練は、今月2回目のホール練。

 

昼食は、アトレの月の坊で。混んでいたようで、入ってすぐ左手のコーナーに通されたが、こんなところに席があるなんて、長いこと通っていて初めて知った。

今日はさんまの塩焼き。

f:id:naokichivla:20201025190212j:plain

 

ホール到着後、舞台セッティング。

今日は、ショパンのピアノ・コンチェルト第1番(弦楽合奏伴奏版)の、初めてのソロ合わせがあるので、ピアノが登場。

f:id:naokichivla:20201025190308j:plain

 

日 時 : 2020年10月25日(日) 13:00~16:30
場 所 : 浦安市文化会館大ホール
指 導 : 本番指揮者N先生
内 容 : 合奏
曲 目 : ベートーヴェンチャイコフスキー(1・2・4楽章)、

      ショパン(ソロ合わせ)
弦人数 : 8・4・3・6・3(ベートーヴェン)、

      9・4・3・6・3(チャイコフスキー)、5・4・2・4・2(ショパン)
弓の毛 : 無事

 

最初は、ベートーヴェン「運命」の4楽章から。今回の定期演奏会、オーケストラ曲は、この1曲(1つの楽章)だけだ。

 

何度も弾いている曲だが、やっぱり「運命」は難しい。

16分音符、8分音符の刻みがはまらない。きっちり数通り刻むのは大変だ。ちょっと歳を感じたりもする。

ちゃんと弾かなければと思いつつ、なかなかうまくいかない。

それと、やっぱり疲れる曲だな。1つの楽章だけなのに、やっぱりベートーヴェンはエネルギーが要る。

 

休憩。管のメンバーはこれで終了だ。

 

ホワイエ。以前はもっと椅子が並んでいたのだが、新型コロナウイルス対策ですっかり間引かれてしまった。

f:id:naokichivla:20201025190933j:plain

f:id:naokichivla:20201025190949j:plain

 

再開後は、チャイコフスキーの弦楽セレナーデ。これは全曲演奏する。

1楽章、2楽章、4楽章と練習した。

ベートーヴェンよりも、この曲の方が肉体的には楽だ。

弾き慣れてきたものの、相変わらず進歩がない。

 

再度休憩の後、最後は、ショパンの1番のコンチェルト(弦楽合奏伴奏版)の1楽章。演奏するのは、この楽章だけだ。

 

ソリストは、桐榮哲也さん。昨年11月の定期演奏会で、ラフマニノフの2番のコンチェルトを共演した。コロナ禍の中、有志で行う今回の定期演奏会の話を聞いて、このショパンを弾きたいとのお申し出があり、再度の共演が実現したものだ。

 

約1年ぶりにお目にかかる桐榮さんと、ショパンの初めての合わせ。

フルオーケストラでの伴奏ではない。少人数の弦楽での伴奏なので、ソリストのピアノとどういうバランスになるのか、見当がつかないまま、とりあえず通して合わせた。

そうおかしな感じはないように思った。

 

ソロのテンポが動くので、しばらく休んで小節を数える時は、ソロを聴いているだけだとわからなくなる。指揮者の出す小節頭のカウントを数える必要がある。

 

何度か返し練習をして、大体感じがわかったところで終了。

 

これまであまりなじみがなかった曲なので、少し楽譜を勉強しなければ。

 

ソリストとの合わせは、本番までにあと2回ある。

N先生の次回練習は、約1ヶ月後。その間は、トレーナーの先生の指導を受ける。

 

ステージかたづけ。

椅子と譜面台は消毒する。

f:id:naokichivla:20201025192118j:plain

 

日が短くなってきた。

帰りの京葉線から、茜色の空と富士山が見えた。

f:id:naokichivla:20201025192218j:plain


※練習往復に聴いた音楽

    メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

       ムター=カラヤンベルリン・フィル

    ショパン ピアノ協奏曲第1番(室内楽版)

       シー・シャン・ウォン=ジェモー四重奏団、マルチニャク

    シベリウス ヴァイオリン協奏曲

       辻 彩奈=ゲレロ=モントリオール

    ムソルグスキーラヴェル 展覧会の絵

       セル=クリーヴランド

    ムソルグスキー 展覧会の絵

       ポゴレリチ

上原彩子ピアノ・リサイタル

24日(土)、J:COM浦安音楽ホールで行われた、上原彩子ピアノ・リサイタルを聴きに行った。

f:id:naokichivla:20201025072854j:plain

f:id:naokichivla:20201025072920j:plain

 

上原彩子ピアノ・リサイタル

日 時 2020年10月24日(土) 13:30開場 14:00開演
会 場 J:COM浦安音楽ホール コンサートホール
ピアノ 上原 彩子
曲 目 ショパン 24の前奏曲
    ラフマニノフ 13の前奏曲から第12番嬰ト短調
    ラフマニノフ 13の前奏曲から第6番ヘ短調
    ラフマニノフ 13の前奏曲から第10番ロ短調
    ムソルグスキー 組曲展覧会の絵
    [アンコール] ラフマニノフ 前奏曲「鐘」
           シューマン=リスト 「献呈」

 

我々の席は、1階F列8・9番。

 

今回のリサイタルは、J:COM浦安音楽ホールが持つ2台のピアノが使われた。ホールの開館にあたり、仲道郁代さんが選んだという2台のピアノを、上原さんが弾き比べるという企画だ。

 

前半のショパンは、ヤマハCFXというピアノ。

 

上原さんは、曲間をほとんどアタッカで演奏した。例外が2箇所。曲数として折り返しになる12番と13番の間に長く時間をとったのと、20番と21番の間に少し間があった。

 

曲が進むにつれて、奏者が音楽に没入していくのがわかった。それに合わせて、こちらも引き込まれた。

 

24曲を通して聴いて、やはりこの曲集はよくできているなあ、と思った。調性配列が規則的である一方で、曲想は多彩。この順番に組み立てられた、ひとまとまりの音楽として聴くことの楽しみは、格別だ。

 

聴いていて、各曲の終結の仕方が様々であることが、特に印象に残った。

 

あと、24番の冒頭、右手で奏される激情的なモチーフが、15番(雨だれ)の穏やかなそれの変容であることも、強く印象づけられた。

 

やっぱりショパンの作品の中では、私はこの曲集が一番好きかもしれない、と思った。バラードの1番や、幻想即興曲、一連のマズルカなども好きだが、まとまった曲集としての聴きごたえは、やっぱりこのプレリュードだ。

 

20分間の休憩の後、ピアノは、スタインウェイD-274に入れ替えられた(ヤマハスタインウェイが置いてあった舞台下手に移されたが、蓋が開いたままだった。そういうものだろうか)。

 

後半の冒頭、上原さんがマイクを持って登場し、MC。

 

新型コロナウイルスの状況下、活動を休止していたが、再開して2回目の演奏会になるとのこと。

 

2つのピアノについては、ヤマハは、穏やか、まろやか、繊細な響きが特徴だが、これから弾くスタインウェイは、カラフルな感じの音を楽しんでいただけると思う、とのお話だった。

 

また、前半のショパンは、鐘の音で終わったが、後半の曲にも鐘が出てくる、そこに今回の演奏会全体のポイントがあるとも話されていた。

 

まず、ラフマニノフ前奏曲3曲から。

 

プログラム冊子の解説で、ラフマニノフが、「鐘」と称する前奏曲を書いた後、10の前奏曲、13の前奏曲を書き、ショパン同様、24の調性による前奏曲を網羅した、と知った。

 

ラフマニノフが始まった瞬間、ヤマハとの音の違いをすぐ感じた。私には、スタインウェイの方に、ピアノらしさ、重厚さ、高級感を感じる。奏でられているのが、ラフマニノフだったこともあるかもしれない。

 

続いて「展覧会の絵」。

 

上原さんは、過去にこの曲をレコーディングしている。チャイコフスキーの1番のコンチェルトとのカップリングでCDが出ており、聴いたことがある。宇野功芳氏が絶賛していた録音だ。

 

展覧会の絵」という曲、ショパンのプレリュード集に劣らず、実によくできた曲だと思う。これも、ひとまとまりの音楽として聴く楽しみは無類だ。

 

上原さんの演奏は、きわめて多彩な表現だった。

 

一つ気になったのは、「バーバ・ヤガー」の盛り上がりから、「キエフの大門」に入った、最初のEsの和音が、ペダルで保持された直前の和音と混ざって、濁った響きになったこと。ここは、局面ががらりと変わって、Esのきれいな和音が聴きたかった。

 

それはともかく、良い演奏だった。

 

展覧会の絵」をオケで(ラヴェル版)、また弾いてみたいと思った。そういうチャンスが今後あるだろうか。

 

アンコールは、2曲。

 

ラフマニノフの「鐘」。聴いていて、ラフマニノフその人のピアノ演奏はどんな演奏だったんだろう、実演で聴いてみたかった、と思った。

 

そして最後に、シューマン=リストの「献呈」。味わい深く、華やかな音楽だった。