naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

星取記録30周年<3> 2021年9月末現在の成績など

さて1991年に前後して始めた、禁酒、勉強、運動、AVの4つの星取は、以後も続いて今年30周年となった。

 

30年間には、記録データを失う事故があった。

 

始めた当初、一連の記録は日本システム開発の「MyCalc」というソフトを使っていた。

MS-DOSのソフトだったが、Windowsの時代になっても対応版がリリースされなかった。

MS-DOS用のPCを使って入力を続けていたのだが、2002年のある時、データが破損した。

データはフロッピィ・ディスクに保存していたのだが、それが壊れた。そういう時に備えて、データは別のフロッピィに毎日バックアップしていたのだが、破損に直面した動揺から、バックアップの方のディスクの取り扱いを誤り、結局両方とも使えない状態にしてしまった。

 

色々対応を試みたが結局どうにもならず、諦めざるを得なかった。泣くに泣けない思いだった。

 

これを機に「MyCalc」を使うことはやめて、これらの星取を含む生活記録は、excelに移行した。時代を思えば遅すぎた話で、ひとえに自分自身が旧式のソフトとデータの蓄積に拘った結果である。

 

その結果、一連の星取データが残っているのは、2002年12月1日以降今日までの分。

前の記事で、星取を始めた時期を特定して書けなかったのもこのためだ。

 

さて、そんなわけで、以下は「記録が残っている2002年12月以降では」ということになる。

 

2003年1月以降の毎月の成績、年間成績を一覧表にしている。
(水色が月間勝ち越し、ピンクが月間負け越し)

f:id:naokichivla:20211003163001j:plain

 

●禁酒星取

   累計勝敗
     全体 2,694勝 4,154敗 勝敗差▲1,460 勝率0.393
     自力 2,694勝 2,610敗 勝敗差   84 勝率0.508

   最高連勝 6連勝(全体・自力とも同じ)
   最多連敗
     全体 19連敗
     自力 9連敗
   月間最高勝率
     全体 0.607 (17勝11敗)
     自力 0.720 (18勝7敗)
   月間最低勝率
     全体 0.067 (2勝28敗)
     自力 0.105 (2勝17敗)

 

全体と自力とでは、勝ち数は当然同じ。

 

負け数については、会社関係の飲み会、さらに星取記録開始当初はなかったオケ関係の飲み会分が控除されるので、全体よりは自力が少なくなる。但し、会社・オケの飲み会での●が増えると相対的に○が減るので、自力の勝率に影響する。うっかり自滅の●が重なれば、5割を切ることも出てくる。

 

ということで、過去の傾向としては、全体勝敗で月間勝ち越しは非常に難しく、自力勝敗でも半分方は月間負け越しで推移してきた。

 

ところが、上に掲げた2019年以降の成績推移では、これまでと明らかに異なるのが、新型コロナウイルスの影響である。

会社関係、オケ関係の飲み会が、非常にさみしいことだが、激減した。

2021年に入ってからは、全体の勝敗と自力の勝敗が同じ、という月が半数を超える。つまりそういう月は、公の飲み会が皆無だったわけだ。

緊急事態宣言等で飲食店の営業が規制されていること、また勤務先においても、社内の懇親会を控える方針が続いていることで、こうなる。
(となれば、自分が土日に飲むことさえ我慢すれば、50連勝でも60連勝でもできる理屈だが、まあその気はないので、今もって最高連勝は6連勝である)

 

自力の月間成績では、2021年1月以降負け越しがない。全体の月間成績でも、2021年は9ヶ月連続の勝ち越しと、かつてなかった好成績で推移しており、初めての年間勝ち越しはほぼ間違いないところだ。

 

●勉強星取

   累計勝敗 6,933勝 15敗 勝敗差6,918 勝率0.998
   最高連勝 3,005連勝(継続中)
   最多連敗   10連敗 
   月間最高勝率 1.000 (31勝0敗)
   月間最低勝率 0.677 (21勝10敗)

 

勉強星取に関しては、これを始めた1990年代の内から、長期の連勝を記録してきた。かすかな記憶だが、1992年か1993年には、連勝を途切れさせず続ける決意が固まり、何があろうと15分本を読む、あるいは資格取得の勉強をするなど、●回避に拘る生活が定着した。
たぶん、記録が失われる前の時点で、2,000連勝は超えていたはずだ。

 

連勝を続けるにあたっての一番の阻害要因は、酒だ。飲んでしまった後に本を読むのは私の場合、無理。

 

夜の飲み会が予定されている日に、原則通り本を読む時間である昼休みに仕事の都合で昼休みに時間の余裕がないこともある。そんな時は、朝の段階で予想できれば始業前に読むようにしたし、予想外の経過で昼休みがつぶれてしまったら、午後、こっそり読んだりもした。


危機として一番記憶に残っているのは、労働組合勤務時の確か1995年のこと。

今日はまだ読んでいないから、帰りの電車の中で、と思って会社を出る時に同僚と2人で東京駅に向かう形になった。八重洲地下街に下りて歩いて行く途中で、その同僚が「飲んで行きませんか」と誘ってきた。

これはまずい、と思い、わかりましたが、ちょっと買物があるんで、先に店に入っていて下さい、と言って一旦その場を離れ、地下街の通路のどこかで立ったまま、人が行き交う中で鞄から本を出してひろげたことがあった。きっちり15分読んでから、先に行ってもらった店に急いだのだった。

 

そんなふうにして積み重ねた連勝がとぎれたのは、親の逝去時である。葬式を出すまでの日々は、さすがに本を読もうという気にはなれない。15分程度の時間はもちろん作れるが、そこは故人への気持ちの部分である。

 

2003年1月からの連勝が2,440で止まったのは、母が亡くなった2009年10月。
その後再開した連勝は、2,440に達する前に、2013年7月に父が亡くなって止まった。
それ以来の連勝が、2020年3月に2,440を超え、先月9月に3,000に達した。継続中である。

(記録が失われた時期にも、大きい連勝が、2002年2月に妻の父の逝去でストップした)

 

●運動星取

   累計勝敗 4,160勝 2,688敗 勝敗差1,472 勝率0.607
   最高連勝 401連勝(継続中)
   最多連敗  81連敗
   月間最高勝率 1.000 (31勝0敗)
   月間最低勝率 0.000 (0勝30敗)

 

○とするためにやっている「運動」は、30年間一貫して大した内容ではない。

 

今だと、休日の場合は録画してあるテレビ体操を観ながらのラジオ体操。
平日は、B社(三軒茶屋)では、始業時にラジオ体操があるので、それを。A社(西新宿)だと、気候のいい時期は、昼食後に20~30分速歩で歩くようにしており、それ以外には、椅子に座って足を交互に上げる運動をしている(2006年に膝を悪くして整形外科で治療を受けた時に、膝まわりの筋肉を鍛えることが再発防止につながるとして担当医から教えられたもの)。

 

そのため、上の2つに比べると勝敗や成績に拘るところはほとんどなく、まして連勝記録を作ろうなどという気持ちはなかった。

 

2004年4月から1年間出向した厚生労働省の外郭団体では、毎朝始業時にラジオ体操をしていたので、この1年間は連勝がしやすかった。
最初に作った連勝記録は、2004年9月から翌年3月までの186連勝だった。

 

以後は連勝を意識することなどなく来たのだが、どうした風の吹き回しか、2019年8月に、勉強同様少し拘ってみようかという気持ちが生まれ、そこから一気に連勝志向に切り替わった。

 

運動の場合、勉強に比べると連勝に困難が伴う。

出張、旅行など移動を伴う時が危ない。勉強の場合は、本さえ持っていれば基本的にどこでも読めるが、新幹線の中で体操をするわけにはいかない。目的地に移動後、即仕事、続いて飲み会などといった流れになってしまえば、機会を逸することになる。
従って、予め今日はいつどこで何をする、と決めておかねばならない。


そもそも、移動が伴う時は、ばたばたしているので、運動したかしないか忘れてしまうこともある。単に忘れただけで止まった連勝もある。

 

それでも、2020年2月に始まった連勝が同年8月にめでたく187連勝と、15年ぶりに過去最高を更新した。この連勝は同じ月の内に、うっかりして206でストップ。
その翌日からの連勝が、今年7月に207に達し、いまだ継続中。先月、400に乗った。

 

もっとも、やっている内容からすれば、記録のための記録に拘っているに過ぎない面がある。早い話、400連勝したから体重が減った、というような内容ではないのだ。

60代後半になった今、本来的には、連勝云々よりは運動の中身を見直し、減量、健康維持、体力維持につながるような取り組みを考える必要があるだろう。

これは、30年を振り返ってみて痛感するところだ。

 

※過去の関連記事

    星取記録30周年<1> 禁酒星取
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/10/03/162104
    星取記録30周年<2> 勉強星取、運動星取
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/10/03/162620

    禁煙40周年
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/10/02/185706
    音楽「自分史」~クラシック音楽歴50周年
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/10/03/111453
    昔はなかったもの~パソコン<5:1990年代まで①>
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/62970492
    1日15分
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/04/29/152931

星取記録30周年<2> 勉強星取、運動星取

1991年の6月か7月頃、「禁酒星取」を始めた。

 

自分で始めたことだが、これはなかなか面白かった。

平日に家で飲みたくなってしまった時も、いわゆる星勘定をして、成績が下がらないように我慢することもあったし、白星を重ねていこうにも、会社関係の飲み会が続いたりすると、なかなか思うにまかせなかったり。

 

そんなことを重ね始めて間もなく、他のことでもこれをやろう、と思いついた。

 

一つは勉強に関するものだった。

 

当時36歳。もう会社では充分中堅と言える勤続年数には達していたが、この時点で、仕事に関して何か自信が持てるものはあるかと問われれば、これですと言えるものがないと感じていた。やらされてきた仕事はそれなりにできているが、それだけではないか、と。

 

もう30代後半に入ったのだから、そろそろ自分でちゃんと何か勉強することを習慣にして、将来に備えるようにしよう、と思ったのだった。

 

では、具体的に何をやるのか。小さいことから確実に、と思い、1日15分、仕事に関する知識を得るための読書をしよう、と決めた。

 

原則的には昼休みに15分、本を読むことにした。外出や出張の場合は外出先で。とにかく1日15分。

 

これについても星取をつけることにした。「勉強星取」である。

 

15分本を読めば○、さぼったら●。
外部のセミナーに参加すれば、その日は15分の本は見送って○。資格取得のための文字通りの勉強をした場合も同様。

 

それから運動に関するものもやろうと考えた。

 

もともと「禁酒星取」は、保健師の健康面談で始めたものだったが、面談では体重が多すぎることについても指摘されていた。

そこで、これもそろそろ意識的に少し運動をするようにしよう、と考えたのだった。

 

ジムに行って本格的な運動をするとかいうのでなく、ウォーキングをするとかラジオ体操をするとかの運動である。

 

その日何かすれば○、さぼったら●。

 

あと一つ、「AV星取」というのも考えた。「AV」と言ってもアダルトビデオじゃないですよ。オーディオヴィジュアルのAV。

 

レコードコレクターの私は、会社帰りとかについふらっとレコード店に寄り道して、あれこれ買ってしまうのが生活の常だった。

そこで、これを星取成績で律するため、何も買わない日は○、買った日は●の星取をつけようと考えた。

 

もともとつけていた「禁酒星取」に加え、これら3つ、勉強、運動、AVの星取を、同時に始めた。禁酒と同じ1991年の確か9月くらいだったと思う。

 

以後、今日まで、4つの星取をつけ続けて、今年で30周年に達したわけだ。

 

2021年9月の「勉強星取」、「運動星取」は、こうなっている。

f:id:naokichivla:20211003162443j:plain

f:id:naokichivla:20211003162454j:plain

 

尚、最後の「AV星取」だが、○を増やし●を減らそうとする行動は、この星取に限って、裏目に出た面がある。

つまり、●の数を抑えようとする反面、ある日レコード店に足を運んで買い始めたら、他の日にまた●を増やすよりは、どうせ今日は●(同じ1敗)なのだからと、あれもこれも買う傾向が見えるようになった(1枚買っても5枚買っても1敗は1敗)。ある日○で我慢したしわ寄せが他の日に出る形。レコード支出の抑制という本来の目的からは外れてきてしまった。

 

星取自体は現在でも続けているが、何か買ったかどうかの記録以外はほとんど意味のないものになっている。

 

ということで、この星取については、これ以上ふれない。

星取記録30周年<1> 禁酒星取

生活の記録として、日記をつけている他、諸々の記録をPCデータとして残しているが、その一環として、「星取記録」がある。

 

この「星取記録」を始めたのが1991年。今年で開始30周年となった。

そのいきさつ等、ここに記しておく。

 

元はと言えば、前の会社で年1回行われていた保健師(当時は保健婦と言った)による面談だった。

 

6月頃だったか、その年の定期健康診断結果をもとに、健保組合の部屋に呼ばれて、保健師から指導を受けたのだった。

 

1991年のその面談の時、当時の保健師、Sさんから、いつものようにあれこれ説教されたのだが、その中で、アルコールはもう少し控えなさい、と言われた。

 

そう言われるのは毎年のことで、別に初めてではなかった(当時はγ-GTPが当たり前に3ケタだったし)のだが、どういうわけか、この時はそれを謙虚に受け止めた。

「この人は、自分の母親でもないのに、自分のためにこんなに親身にアドバイスをしてくれているんだなあ」としみじみと感じ入った。

そして、よし、少しアルコールを控えるように生活を改めよう、と思ったのだった。

 

その時点での私の飲み方は、会社関係の飲み会はもちろん断らずに参加(これは今でもだが)、家では平日休日を問わず、夕食時に毎日飲んでいた。

 

これを改め、自宅で飲むのは土日だけにしよう、と決めた。平日、会社関係の飲み会に誘われれば仕方がないとして、家での行動は自分でコントロールできる。ここを減らそう、と思ったわけだ。

 

次に思いついたのは、それを自分に課す動機づけとして、「星取表」をつけよう、ということだった。相撲ファンとしての発想だった。飲まずに済んだ日は○、飲んだ日は●。できるだけ勝ち数を増やし、勝率を上げることを目指すことにした。

 

アルコールに関する星取の成績カウントは2種類。

   A:単に飲んだか飲まないかの成績
   B:会社関係の飲み会を除いた成績

 

例えば、1週間7日、平日に会社関係の飲み会が一切なく、方針として決めた土日だけ飲むとすれば、AもBも5勝2敗となる。

平日に会社関係の飲み会が1回あったとする。土日は飲んだとする。この場合は、
  A 4勝3敗
  B 4勝2敗
となる。Aの勝率よりもBの勝率が良くなる。会社の飲み会は仕方がないから。

これに加え、平日のどこか1日、方針に反して一人飲みしてしまったとする。この場合、これを「自滅の●」と扱う。
  A 3勝4敗
  B 3勝3敗
となる。Aの勝率もBの勝率も悪くなる。

 

Aは「全体成績」、Bの方は「自滅」に関連して「自力の成績」と呼ぶことにした。

 

そんな「禁酒星取」を始めたのが、1991年の6月か7月頃だったと思う。

それを続けて、今年丸30年になる、というわけだ。

 

先月、2021年9月の星取はこんな感じである。

f:id:naokichivla:20211003162019j:plain

 

音楽「自分史」~クラシック音楽歴50周年

1971年(昭和46年)、高校1年生の秋に、思い立ってクラシック音楽を聴くようになって、今年で丸50年、半世紀経った。

 

物心ついた頃から、母が聴いていたラジオの影響で歌謡曲少年となり、中学時代はこれにフォークソングが加わる。

 

クラシック音楽との関わりとしては、5歳から習い始めたピアノがあった。モーツァルトソナタシューベルト即興曲など、多くのピアノ曲を練習した。

ただ、中学3年生まで続けたこのピアノのレッスン時代、自分自身の中には、今弾いている曲がクラシック音楽であるという意識がまったくなく、ハノンやツェルニーの練習曲同様、ピアノが上手になるための教材でしかなかった。

 

ピアノを習うのをやめて高校に入学した秋に、どうしたきっかけだったか思い出せないが、よし、自分はこれからクラシック音楽を聴いていこう、と決心したのだった。

(似た経験としては、1976年、大学3年生のこれも秋に、ビートルズの音楽をちゃんと聴こうと思い、「サージェント・ペパーズ」を皮切りにアルバムを集め始めたことが挙げられる)

 

こづかいの中からクラシックのレコードを買って聴くことから始めた。

両親はクラシックにはまったく疎かったので、音楽教師をしていた母方の伯母に相談したりした。

当時、木更津駅西口の近くにサザナミ電気(電機だったか?)という店があり、ここがレコードも取り扱っていた。ここに取り寄せを依頼して買ったのが、フルトヴェングラーの「運命」と「第九」の2枚組だった。たぶんこれが、自分で意識的に買い求めた初めてのクラシックのレコードだったと思う。4,000円した。50年前の4,000円だから今だと1万円くらいに相当?

以後、今日にまで続くレコードコレクター人生に至る。

 

情報収集もせねば、と「レコード芸術」を買うようになったのが、1972年1月号から。もちろん今日まで買い続けている。

(バックナンバーも揃えたいと思い、「読者のページ」を通じて、ある方から1968年~1971年の分を譲り受けた。実家に置いてある)

 

手持ちのレコードはそうそうすぐには増えない。市原に住む8歳上の従兄が何枚かのレコードを貸してくれた。フルトヴェングラーの「エロイカ」やワルターの「田園」などベートーヴェンの9曲が揃えられていたのを覚えている。

(余談になるがこの時点で既に社会人だった従兄は、小田(和正)さんと東北大学の同級生で、親しい友人関係にあった。1971年というと前年にジ・オフ・コースは「群衆の中で」でデビューしている。私がオフコースを知るのも、従兄と小田さんの友人関係を知るのも後年のことである)

 

少しずつ増えていくレコードを聴き、ベートーヴェンショパンなどを改めて自分でも弾いてみたりしながら、クラシックに親しんでいった。

 

大学受験に合格した時には、合格祝いとして、両親からはベームウィーン・フィルベートーヴェン交響曲全集、母方の叔父からはカラヤンベルリン・フィルモーツァルト6大交響曲集という、箱入りの組物を買ってもらったものだった。

 

この流れなくして、大学で管弦楽団に入部し、ヴィオラを弾くようにはならなかっただろう。

高校でクラシックファンになっていたからこそ、クラシックのオーケストラをサークルとして選んだのだった。

 

大学時代は、クラシック音楽に様々な蓄積ができた4年間だった。

家庭教師などのアルバイト代でレコード集めが格段に加速したし、オケ仲間との間でのレコード鑑賞、音楽談義も濃密だった。あれほど毎日のように時間を忘れて音楽の話ができたことは、卒業後はもちろんない。

大学オケでの演奏ももちろん大きい。スコアを見てレコードを聴くだけだった自分が、実際のそれらの音楽を演奏できるのだから、経験としては格段の違い、異次元のことだった。

 

卒業し就職した後は、配属先が東京だったので、レコード購入では石丸電気や山野楽器などの大型店の恩恵を受けることができ、それ以上に演奏会に通う面での環境に恵まれた。色々な演奏会を聴きに行けるようになったのは、学生時代との大きな変化だった。

 

一方、卒業後、ヴィオラを弾くことについては遠ざかった。

そのまま、鑑賞中心の音楽生活が続いたが、40歳を前に、今の所属団体である浦安シティオーケストラとのご縁ができて、演奏活動に復帰、以後今日までの四半世紀は、オケでの演奏が音楽生活の大きな柱となった。

 

演奏も鑑賞もアマチュアでしかないが、こうして半世紀を振り返ると、人生の過ごし方としては、自分なりに豊饒なものがあったと思う。

 

さて、あと何年くらいクラシック音楽と暮らしていけるだろうか。

10年、20年。

聴く方はともかく、弾く方を何歳まで続けられるのか。まだまだ引退は考えたくない。

 

ともかく、クラシック以外も含めて、生まれてきたこの人生に音楽という宝物があったことを、神に感謝したい。

 

※過去の関連記事

    音楽「自分史」~ ピアノ時代
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/15753202
    音楽「自分史」~ ピアノをやめてから
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/15760704
    音楽「自分史」~ヴィオラとの出会い
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/16718683
    音楽「自分史」~人生を変えた電話(浦安シティオーケストラへの入団)
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/22152259
    音楽「自分史」~中学時代のことなど(ピアノ、ヴィオラ以外の楽器歴)
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2020/12/30/174650

宇奈月オペラ11月の宇奈月公演が中止

昨2日(土)、マウントあさま・宇奈月オペラの事務局のHさんからメールが入った。

 

タイトルを見てびっくり。

 

宇奈月中止の連絡」

 

えっ、どういうこと?

 

今年の宇奈月オペラは、「ドン・ジョヴァンニ」を演目とし、東京と宇奈月温泉で公演を行うことになっていた。

 

   東京公演  10月31日(日) サンパール荒川 ※全曲演奏

   宇奈月公演 11月21日(日) 黒部市宇奈月国際会館セレネ大ホール ※抜粋演奏

 

7月から練習を重ね、いよいよ今月末には東京公演の本番という時期に、このタイトルのメール。

 

急いで開けてみた。

 

指揮の横島勝人先生からのメッセージが書かれていた。

 

それによると、11月21日の宇奈月公演を中止/延期するとある。

 

東京公演ではなく、宇奈月公演が中止なのか。

 

理由としては、コロナ禍で練習会場が使えずにソリストの練習が進んでいないからだとされている。

 

また、今後日を改めて開催する場合にはオケでなくピアノ伴奏とするそうだ。

 

そういうことなのか。

 

緊急事態宣言が続く中、本番が予定通り行われるかを私が心配していたのは、先に行われる東京公演の方だった。

(昨年も東京公演は行われたものの、無観客配信の形だったし)

しかし、9月末をもって全国的に緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が解除されたので、その心配もなくなったかと思っていた。

 

まして、富山県は今回の全面解除よりも早く、9月12日(日)まん延防止等重点措置が解除され、「何でもない県」になっていた。

宇奈月公演は東京公演よりも後の11月だし、問題なく行われるものと思っていたのだが、驚いた。

 

コロナによるソリスト練習の支障が原因とは思いもよらなかった。そういう事情か、と少々不意を突かれた感じがある。

 

延期開催があったにせよピアノ伴奏で行うとなると、我々オケの出番はない。

2回あると思っていた本番が今月の東京公演だけになってしまったのは、大変残念だ。

横島先生のご指名により、宇奈月公演ではトップを務める予定になっており、東京公演をステップに、さらに3週間精進しようと決意していたのだが、それもなくなってしまったのが重ねて残念である。

 

こうなったら、ただ一度の本番、東京公演に向けてがんばらねば。

 

11月の中止となった公演時期は、旅行として宇奈月温泉を訪れることにした。

楽器持ってって、ホテルの部屋で「ドン・ジョヴァンニ」を弾こうか(笑)。

 

※過去の関連記事

    宇奈月オペラ参加申込
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/05/11/085141

 

 

 

 

 

逆版

10月3日は母の命日。12年経った。昨2日(土)は墓参りに行った。

 

ところで、リビングにかけているドイツ・グラモフォンのカレンダー、10月はラファエル・クーベリック

f:id:naokichivla:20211003085249j:plain

 

これって逆版ですよね・・・。

 

ベルグルンドは左手の指揮者だったけど、クーベリックは、記憶にある諸々のレコードジャケットでも右手で指揮棒を持っていたと思う。

 

どうしてこんな間違いが。

「ドン・ジョヴァンニ」初演当時の衝撃は?

今年の宇奈月オペラ(10月東京公演、11月宇奈月温泉公演)の演目である「ドン・ジョヴァンニ」をこのところ繰り返し聴いている。

 

先月、二期会の「魔笛」の実演に接し、やはりモーツァルトのオペラの中で「魔笛」が特別な存在であるとの思いを強めたが、ストーリーの面での欠陥は否めぬところであり、オペラとしての円満さでは「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」の方が上だと感じている。

 

そんな「ドン・ジョヴァンニ」を繰り返し聴き、やっぱりこのオペラはすごい、とそのたび思っているのだが、数日前、クレンペラー盤を聴いていて、ふと思った。

 

このオペラの大詰めで、ドン・ジョヴァンニと騎士長が激しくやり合う場面から地獄落ちにかけての音楽って、それまで絶対になかった類いのものではないか。

 

これだけドラマティックで肺腑をえぐるような音楽は、モーツァルトとしても初めてだったのではないかと思うし、オペラとしてもこんなタイプの深刻な音楽はかつてなかったのではないだろうか。

 

まさに前代未聞の音楽だったのではないか、と思ったのだ。

(クレンペラー盤でのここの演奏は、とてもえぐりのきいた立体的なものですばらしい)

 

それで思ったのは、このオペラが初演された当時、聴衆にはどう受け止められたんだろう、ということだ。

さぞかし衝撃的なもので、もしかすると前衛的と受け取られたり、理解不能の音楽と受け取られたりしたのではないか、などと思う。

 

手元にある音楽書によると、プラハ初演は好評だったという。

ほんとかなあ。

もう少し調べてみよう。

10月の相撲カレンダー

10月になりました。

 

日本相撲協会のカレンダーをめくると・・・。

f:id:naokichivla:20211002190449j:plain

 

鶴竜、三月場所限りで引退。

 

白鵬、昨1日(金)、引退会見。

 

朝乃山、出場停止処分で大関陥落。

(この写真は大関昇進の時のものだろうな)

 

貴景勝、8勝7敗でカド番をギリギリ脱出。

 

うーん(笑)。

 

一方、「相撲」誌の10月号。

f:id:naokichivla:20211002191431j:plain

 

この写真は、思ってみれば衝撃的だ。

 

横綱になった照ノ富士

5回目の優勝。

 

1年前、これを予想できた人がいるだろうか。

 

禁煙40周年

10月2日は禁煙記念日。

 

前の会社に入社して4年目の秋、1981年10月1日の夜、独身寮の自室で、最後の1本を吸って禁煙に入った。26歳の時だった。

10月2日は禁煙がスタートした日ということだ。

 

それまで、何度も何度も禁煙しようと思っては挫折していたのだが、この禁煙はずっと続き、とうとう丸40年となったわけだ。

 

この間、煙草をとりまく状況はずいぶん変わったように思う。

 

私が吸っていた頃の自動販売機は、せいぜい10種類くらいの煙草しか売っていなかったが、今は何列もパッケージが並んでるし、コンビニに行けば、一つ一つどう違うんだ? と思わせる夥しい種類の煙草がレジカウンターの後ろにびっしりと並んでいる。

 

あ、それと、今では、火を点けない煙草もあるんだよね。詳しく知らないけど。

 

値段も上がった。私が吸っていた頃は、ハイライト80円、セブンスター100円。今はいくらなんだろう。

 

そんなことより、今は喫煙者にとっては厳しい社会になった。

 

電車も飛行機も全席禁煙。

とりわけ、飛行機に乗っている時に煙草を吸えた、というのは、若い人たちには信じられない話だろうが、そうだったんですよ。

羽田空港喫煙室ができたのを初めて見た時は衝撃だったものだ。牢屋みたいなところに押し込められて、日陰者のように煙草を吸っている人たち。

今や当たり前の光景だが。

 

大体、私が禁煙した40年前、会社のデスクに灰皿を置いて煙草を吸うことは普通だったんだもの。これも今じゃ信じられないことだ。

 

40年続いてきた禁煙。当初は別にして、吸いたいのを我慢している、ということはまったくない。従って、これは死ぬまで続くはずだと確信できる。

ただ、60代も後半に入った今、死ぬまでに1本くらいは吸ってみてもいいかな(笑)と思ったりもする。

何て言うんだろう、死ぬまでにあと1回あそこに行ってみたい、とかもう1回あれを食べてみたい、とかいう感じ。

 

まあ、吸わないだろうけど。

むしろ目指すのは、禁煙50周年でもまだ元気、60周年でもまだ元気、とカウントしていくことかな。

 

※過去の関連記事

    禁煙記念日
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/51340297

    煙草1箱1,000円!(笑)
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/55363077

    マイルドセブン410円
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/61149195

    懐かしい~! マイルドセブンの初代パッケージ

       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/63396565

 

風雨の中三軒茶屋から西新宿へ移動

昨1日(金)は、接近する台風16号の影響によるすごい風雨の中、B社(三軒茶屋)からA社(西新宿)へ移動せねばならなかった。

 

大変だった。

 

9月は2社の諸々の業務が立て込む中、今週はB社の業務に専念してきた。

 

7月~9月に監査役として実施した監査業務の結果について、昨1日に社長以下の本社幹部に報告するのが、大きなミッションだった。

 

   夏休みの宿題さながらの日々
      https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/09/25/185717

 

今週に入って、9月27日(月)、28日(火)と、在宅勤務で報告書の作成に没頭。29日(水)はB社に出社して最後の仕上げを行い、1日の報告に先立って一読しておいてもらうべく、社長以下幹部宛にメールで送付した。

 

こうした動きの中、台風16号は、太平洋上を関東に向けて接近してきていた。

 

もっとも関東に近づくのが1日。日中から夕方にかけては相当な風雨になるとの予報だった。

 

当日朝、風は少し強いものの雨は大した降りではない。会社に行けなかったらどうしようと思っていたが、出社については問題なかった。普通の雨の日の通勤という感じだった。

 

報告は、9:00から毎月定例で行われる会議の場で無事終了。このところの、夏休みの宿題さながらの追い込みは、めでたく終わった。

 

さて、会議が終わって窓から外を見ると、予報通り、風雨が強くなっているのがわかる。

 

18時頃にはおさまるだろう、という予報なので、そのままB社にいて少しのんびりできればよかったのだが、実はA社に移動しなければならないのだった。

 

と言うのは、B社のこの仕事を優先するために後まわしにせざるを得なかったA社の仕事がある。本来は9月30日(木)にケリをつけるのが目標だったのだが、この日はB社で1日会議があり、目標達成できず、10月にずれこんでしまっていた。

 

この仕事はどうしても週明け4日(月)までは持ち越せない。翌日が休みでもある1日の内に、遅くなっても終える必要がある。

 

B社ではアクセスできないA社のサーバーのデータを用いる仕事なので、どうしてもA社に行かなければならないのだ。

 

よりにもよってこの天気の中を移動するのか、と状況を呪いつつ、正午前、B社を後にした。

 

表に出てすぐ、差していた傘が風にあおられてお猪口状態になり、骨が1本折れた。早くも傘が壊れてしまったか。

 

三軒茶屋からA社へ行く場合は、渋谷駅から新宿駅西口行きのバスに乗る。この路線だと、A社の目の前がバス停なので、便利なのだ。

殊にこの風雨である。是非ともバスで行きたい。

 

問題は渋谷駅までどう行くかだ。通常であれば、昭和女子大前の歩道橋をわたって、246号の反対側へ行き、渋谷駅行きのバスに乗るのだが、早くも傘が壊れた状況で、歩道橋を上って行くことはためらわれた。

 

平地を行くしかない。渋谷駅とは反対方向になるが、三軒茶屋駅の方向に歩いた。

この間も、風雨は激しく、たびたび傘があおられて難渋しつつ歩いて行った。

 

昼どきだし、とりあえず一旦屋内に避難しよう、と三軒茶屋駅近くにある天丼てんやに駆け込んだ。

当然、スーツは上下とも相当濡れてしまっている。服と鞄をタオルで拭いて座った。

f:id:naokichivla:20211002175002j:plain

 

さて食べ終えて、いつまでもいるわけにいかない。さあどうするか。

 

目の前の交差点を渡ってすぐのところに三軒茶屋のバス停があり、ここで待っていれば渋谷駅行きのバスが来る。

しかし、店内から外を見ていて、そこまで歩くことも嫌だと思った。

 

店のすぐ前が、三軒茶屋駅に下りる階段とエレベーターになっている。

この状況であれば、そこから下りて、田園都市線で渋谷駅まで乗るのが得策と思われた。

 

すぐにそう決めて、駅への階段を下りた。

南栗橋行きの電車に乗って、池尻大橋、渋谷と移動。

 

そこからが大変だった。

渋谷駅は迷宮、とよく言われる。その通りだと思った。

目指すバス停はモアイ像側。それはもちろんわかっているのだが、めったに下りない田園都市線の渋谷駅改札からそこまでどうやって行ったらいいのか。

もちろん案内図はあるのだが、今一つわからない。

 

ここだろう、と思ってB6出口というのを目指して行ったのだが、そこまで行ってみると、外はまったく見覚えのない風景で、そこから行きたいバス停に行けるとは思えなかった。

 

首をひねりながら戻り、銀座線の渋谷駅の方へ行ってみることにした。

案内表示をさがしながら行く途中、建物のガラス窓にたたきつける雨の音のものすごさに驚かされる。

そこから外を見ると、歩いている人みんなが、こういう時のニュースでよく観る、風で傘がコントロールできない状態。さっきの自分もそうだった。

 

これって、さっき三軒茶屋にいた時よりひどくなってるんじゃないだろうか。

今、建物から外に出るって無理じゃないのか?

 

西新宿への移動を半分あきらめる自分がいた。

この状況では、予定の仕事がさらに遅れても仕方がない。無理に移動して身に危険があってはいけない。

最低限、屋内で何時間か待避し、風雨が収まるのを待つ方がいいか。

 

そう思いつつ、銀座線の渋谷駅改札あたりを歩いていたら、モアイ像の左背後あたり、日頃見慣れた場所に出た。

 

おっ、これならバス停まではそう遠くない。

行ってみることにした。

相変わらずの風雨だったが、傘をだましだまし何とかバス停に到着。

バスもすぐ来て乗車でき、以後の運行は順調。めでたくA社目の前のバス停に到着した。

 

B社を出てから、昼食の時間も含めて1時間半弱の移動だった。

 

渋谷駅での徘徊はロスだったものの、風雨の中、地上を歩いた距離は短く抑えることができた。渋谷駅まで電車で移動したことは正解だったと思う。

 

ところで、A社に到着してからの仕事だが、来ることができたからには、遅くまでかかっても(そうすれば風雨もやむだろう)やりきる、と決意を固めて取り組んだ結果、予想よりも順調に短時間で終了。18時過ぎには会社を出ることができた。もう雨は降っていなかった。

 

ということで、9月の両社の懸案はめでたく終了したのだった。

夏休みの宿題、全部終わった!

 

明けて今日2日(土)は、まさに台風一過の晴天。

土日はのんびりするぞー。

f:id:naokichivla:20211002181703j:plain

f:id:naokichivla:20211002181714j:plain